Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

病院六日目 流動食、胃にもたれる・・

2018年09月08日 22時05分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
20時までみなとみらい地区で花火が打ち上げられていた。病院のエレベーターホールからちょうど正面に見える。一番上と真ん中あたりの階で、見比べた。こんなことは滅多に出来ない。入院患者と見舞いの家族のいい思い出のようだ。

朝と昼に食べたものは、夜に食べたものと体積は変わらない。しかしボリューム感というか、満腹感というか、お腹にたまる感じは倍以上だ。胃がビックリしているのだと思う。まだもたれている。
回復していない消化機能にはあれが限界であったようだ。痛いわけではないし、吐き気があるわけではないので、心配は無いと思われる。

病院六日目 「苦海浄土」読了

2018年09月08日 19時55分48秒 | 読書
夕食は、
重湯、スープ・ドウ・レギューム、ササミスープ裏漉し、食塩5㌘、ほうじ茶、紙パック入りのテルミールミニコーンスープ味。
同じ流動食でもスープ・レギュームがポタージュ味でボリュームがあった。これは横浜の「霧笛楼」が関係して作ったメニューだという。香りも良いらしいが鼻の効かない私は悲しい。テルミールも始めて口にした。高タンパクの人工栄養食品。

「苦海浄土」(石牟礼道子)、読了。今回はあくまでも小説として読んだ。文章の力に吸い寄せられたから。詳細は後日。
「山中九平少年」「舟の墓場」「第三章 ゆき女きき書き」「第四章 天の魚」「潮を吸う岬」「草の親」「満ち潮」など一見聞き書き風のところが秀逸である。作者のこの小さな沿岸地域の共同体へ共感・共鳴する感性と筆力に圧倒される。特に汚染される以前の海の内外の景観や小さな舟を操る漁のようすの美しさが印象的である。現在の「苦海」と対比されるのだが、あんちょこな半近代の匂いはしない。水俣病という状況の中に身をおくことで獲得した視点、発語による小説である。一筋縄では解けない世界が広がる。ルポルタージュやドキュメンタリーましてや政治的文章としてかかれたものではない。あるいは「聞き書き集」でもない。無論読み方は自由であろうが。
そして渡辺京二の解説が私の読解と通低するものがあった。

病院六日目 流動食レポート

2018年09月08日 14時34分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
今朝から流動食。



朝は、米粒の入っていない糊よりも薄い重湯、具のない味噌汁、ほんのり甘い葛湯、ほうじ茶、牛乳1合、塩0.5㌘。
胃が驚かないように15分ほどかけてユックリ食べた、というよりはスプーンで飲んだ。塩は半分は残す。重湯美味しかった。具の無い味噌汁はあまりにさびしい。
牛乳にちょっと驚いた。しかも冷たい。室温になるまで待って飲んでみた。思ったより飲めた。



昼は、朝と同じ重湯、濃い目のコンソメスープ、カルピス、ほうじ茶、リンゴジュース200CC、塩0.5㌘。
コンソメスープはコクがあり美味しい。カルピスもリンゴジュースも冷たい。室温まで時間がかかる。甘いジュースは飲んだことがないので困った。それでもカルピスは何とか飲んだがリンゴジュースはまだ手もとに残っている。どうしたらよいか思案中。

昼食後すぐにシャワー。さっぱり。土曜は昨日とは違い、それとなく静かに時間が過ぎてゆく。