Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

病院九日目 皆と時計が違う

2018年09月11日 22時21分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
病棟の消灯は21時。消灯後は枕元の小さな電灯で読書タイム。実際に寝落ちするのは0時から1時。私は5時から7時半の間が睡眠のコアタイムである。この時間が確保できればなんとかなる。

だが病棟では6時過ぎから引き継ぎを始め慌ただしくて寝かせてもらえない。
8時にベッドから起きて顔を洗い始めるともう朝食の配膳と服薬確認。すぐに検温・血圧測定等々と慌ただしい。

普段から、どうも私は世の人々の時間とは違う時計で動いてるのではないかといじけている。そんなことをあらためて実感させられている。

病院九日目 愚感偶感

2018年09月11日 20時41分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
日没を過ぎるとこの病院の高いエレベーターホールから横浜の臨海部の高層ビルの明かりがきらびやかである。それは一般的には美しい。だがそのなかで働く人々の現場に思いをいたすとさまざまな感慨がわいてくる。
地方公務員としての視点、その労働組合の役員としての視点、これらはいつかは記述したい論点である。
ひとつだけ言えるのは、多くのパワハラやセクハラは、職場や企業があまりに閉じられた空間で自己完結してしまっていることも、原因かと思われる。そんな事例も見受けられる。官民を問わず、職場というのは社会に向かって常に開かれていなければならないと思う。
その視点からみてあのきらびやかなビルの灯りの裏に、極めて閉鎖的な前近代的な職場の実態を想像するのは思い違いが甚だしいのだろうか。

「病棟」という閉じられた空間もまた然り。閉じられた空間から、閉じられた空間を眺めて得る感慨、たいしたものではないとは思いながらも・・。

病院九日目 ゴーギャンとセザンヌ

2018年09月11日 17時52分40秒 | 読書
血液内科では問診のみ。血栓の出来た原因を探る一環での受診だったようだが・・。明日の朝の採血を通告された。残念ながら原因究明の期待はうすそう。
明日は朝食抜きで胃カメラ。経験したことのある妻は「苦しかったよ」とニヤニヤしている。自分の苦しみを私にも味あわせたいらしい。

本日は「セザンヌ物語」の3節「ゴーギャンからセザンヌへ」を読了。ゴーギャンとセザンヌの作品を比較しながら、構図・描かれた平面の分析。読みごたえがあった。全部の理解は一読では無理、後日再読すべき40頁。
ゴーギャンという画家、あらためて注目したくなった。あまり馴染みがなかった、というよりは好みではなかった。
セザンヌとゴーギャンの直接の関係で言えば、セザンヌはゴーギャンを批判し、ゴーギャンが一方的にセザンヌに傾倒するという関係であったようだ。

病院九日目 今週は予定がいっぱい

2018年09月11日 10時42分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
朝、明日の胃カメラの同意書に署名。同時に本日の午後は血液内科の診断、金曜には大腸の内視鏡検査を申し渡された。
大腸内視鏡は想定していなかったので、チョイとビックリ。今年の2月に続いて2回目である。
強い腹痛が症状であったわけで、血栓の原因を探る一環であれば致し方ない。

先ほど正面玄関の外に立って、風に思い切り当たってきた。曇り空でカンカン照りでなく、気持ちよかった。

本日は朝から医師、看護師などの動きもどこか慌ただしい。外来はいつもの通り混雑。