Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

無月・月の雨

2018年09月25日 22時32分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 旧暦8月15日の名月が曇って見えない状態を無月、雨が降って月が見られないときに月の雨・雨月という。通常は使わない言葉なので、私はあまり好まない季語である。しかし気分はなんとなくわかる。冴えわたる月や雲に見え隠れする月を詠むことが多かった和歌の世界から、全く見えない月の状態や雨で月が隠れてしまった情景に、情緒や感慨を見つけた世界は当初は斬新だったのであろう。

★街灯の丸く光りし無月かな      宗廣貞芳
★高層の明かりに人影月の雨      庄司 猛


 秋晴れという言葉があり、秋は晴れわたった日が多いと思われがちだが、雨の日が多いのが実際である。街頭や信号が湿気や水分を多く含んだ空気によってボーっと丸く見える。ふとそれが月と思ってしまうこともある。
 また高層ビルの下をとおるときにふと、高いオフィスビルの窓に人の気配を感じると、なにがしかのドラマを感じることもある。それは秋の名月ならではの印象ではないだろうか。


本日は満月だが‥

2018年09月25日 19時57分20秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は満月だが、あいにくの雨模様。厚い雲に遮られて月を見ることなどできない。そこで西行の山家集をめくって、月の歌を読んでみた。実に十数年ぶりにめくってみた。

★なにごとも変わりのみゆく世の中に同じ影にてすめる月かな     西行
「社会のすべてが今迄とは変わってゆく無常の世界だが、月は昔と変らず同じ光に澄んでいる」

 むろん「なにごとも」には人間社会の仕組みや人の盛衰だけでなく、西行自身の人生の変化もむくまれているであろう。もののふとして宮仕えしていた時の自分と、出家後の西行の心の変化、政治にかかわった様々な人々の盛衰、あらゆるものが変化しているとの感慨として読んで間違いではないと思う。
 人が内省的になるには、寄って立つ何かの定点が必要である。定点は、しかしあまりにこの定点を固定的に考えると天動説に固執するあまり、物差しの不具合に眼をつむってしまうこともある。みずからの基準=定点もまた相対的に、変化するものとして見極めながら、自分の周囲と時間軸を見極めたいと思う。

 特段優れた自然詠でも、心境を詠った歌でもないが、月が内省的であることに極めて自覚で着であった西行ならではの歌と感じている。

本日の診察結果

2018年09月25日 15時35分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 病院に向かった8時半ごろは曇り空であった。採血と診察終了後会計を済ませて外に出たら弱い雨が降り始めていた。妻と横浜駅で待ち合わせて、昼食後の買い物は杖を突きながらゆっくりと歩いた。
 バスに乗ろうとしたら外は強い雨。大雨・洪水・雷注意報が出ていた。軽いとはいえ買い物の袋を持って傘をさし、杖を突くというのは面倒であった。杖は短く畳んでリュックへ。だが、強い雨のため運動靴には水が入り込み、靴下はビショビショになってしまった。

 診察の結果は、経過良好とのこと。ワーファリンの効き方も一応想定範囲内であった。念のため1割ほど量を減らすことになった。1錠を半分に分割して服用、という指示である。ちょいと面倒。ただし錠剤には半分に割りやすいように線が刻まれていた。
 次回は来週月曜日。短い間隔でに様子を見るようだ。

 杖は用心のために外に出るときに利用するつもりであった。たが、杖はなくともフラフラしたり、つまづいたりすることはなかった。あと2~3日で杖は使わないようにしようかと思った。