横浜駅から歩いて帰るか、近くの私鉄の駅経由で帰るか、バスを利用するか、酔った頭で考えると面倒になる。
明日は、少しでも読書タイムを確保したい。来週の予定であった降圧剤の処方を兼ねて、明日の7日は、無料でしてもらえる国民健康保険の健康診断を受けてみることにした。
昨晩NHKのテレビで「連合赤軍47年後の告白」を見た。私は全共闘の追体験のような運動に参加してきたので、まったく予定をしていなかったが、テレビを最後まで見てしまった。あの「武装闘争」路線とは無縁な世界にいたので、私には何も語る資格も無いのだが、同時代を経たことは間違いがない。苦い、そして口の中が焼けるような嫌な思いが先に立つ。あってはならないこと、と思っていたことが現実に起きてしまった、ひょっとしたら自分は無縁だと思ってはいても、「もしかしたら自分だったかもしれない」という思いがゼロではない。
私はそれぞれが自分の頭の中で勝手につくりあげてしまった「人民」や「革命」という観念に逆規定されることからは自由でありたい、と思って運動に参加した。既成左翼にはない新左翼の自由闊達さにあこがれたものでるが、そうではない人々がいることに運動の中でおおいに違和感を持ちながら、自分なりの開かれた運動を作ってきたつもりである。
だから今さら、という気持ちも強かった。
だが、同時代ということで、まったく自分が無関係だと、コメントを拒否することもしない。いつまでも引きづってどこかでこだわっていることは確かである。
今はまだ、この程度を語るにしたままでいたい。いつか、もう少し語りたい、とは思っている。