Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

梅雨の星

2019年06月12日 23時54分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先ほど軽くウォーキングに出かけた。西の空は雲が多かったが、あっという間に雲がなくなっていき、30分後にはほとんど雲が消えていた。月も鮮明で、星もよく見えた。ちょうど正面に木星とさそり座、土星を見ながら帰宅。

★梅雨の星齢といふも茫々と       廣瀬直人
★水底の石にこもりし梅雨の星      伊藤敬子
★電報の文字は「ユルセヨ」梅雨の星   西東三鬼


 第1句、何か身につまされる句である。梅雨の季節になると切実に気になる。ただし茫々と。
 第2句、これは本当の景かとちょっと疑ってみたが、でも都市の川では流れに星が映ることは想像は出来ない。蛍のことでもないであろう。私がもう忘れてしまって想像できなくなった景だろうか。
 第3句、想像の幅が大きすぎる句である。ドラマの物語的。私のイメージでは、俳句であることのギリギリの際のような気がする。私自身の俳句の世界をもっと広げないといけないかもしれない。

梅雨の月

2019年06月12日 21時55分18秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 今夜の雨の確立は60%で、夕方に少しだけばらついた。今は降っていない。一昨日が上弦の半月、月齢9の月が雲の向こうに透けて見えている。なかなかいい月である。星はまったく見えない。

★梅雨の月金(きん)のべて海はなやぎぬ    原 裕

 作者の詳しい経歴・句の履歴はわからないので、どういう時代に詠まれた句なのかはまったくわからない。しかしそういうことはさておいて、絵画的に美しい句である。梅雨の晴間に見た海に月が照り、月あかりが海に金色の光の帯が移っているのであろう。「金のべて」がちょっと理解しずらい言葉遣いであるが、「のべて」(多分「展べる」という漢字が相応しいと思う) がポイントであるのかもしれない。そして「はなやぎぬ」が 「一瞬の美しさ」を感じさせる。梅雨の晴間のほんの一瞬の美しさに惹かれる。
 広い浜辺から見た月でもいいが、都会に住む私は港に映る月の光がまず目に浮かんだ。人工物の中で、雲の間から見える月と波だけが自然の景物というのがいい。


「星の文学館」 3 読了

2019年06月12日 12時47分28秒 | 読書
 「星の文学館 銀河も彗星も」(和田博文編、ちくま文庫)の「1.天の川と七夕」「2.ハレー彗星と日蝕」を読み、全編に目を通したことになる。
 ハレー彗星は1910年に地球に接近し、日本の社会にも大きな影響(混乱)を遺した。76年後の1986年も大きな関心を持たれたが、これは天体ショーとして楽しんだことが私は記憶に残っている。しかし混乱を煽り、それを生活の糧にした者も、それに乗じたものもいる。この76年の天文学の発展と社会の受容の差と、そして同質であったこと、これを冷静に見極めるのも大切であろう。

 森繁久彌の「ハレー彗星」が江戸時代、1910年、1986年の3回の社会を皮肉をこめて簡潔に記していた。

 山口誓子、石田波郷の文章には七夕にまつわる次の句が記載されている。

★蛍獲て少年の指みどりなり    山口誓子
★脂粉なき少女とともに蛍狩    山口誓子
★七夕竹惜命の文字かくれなし   石田波郷


 波郷の句、惜命(しゃくみょう)は波郷の句集の名。戦時中の結核の療養所での体験にもとづく句。当時法華経由来の「不惜身命」を大日本帝国軍人の間では、「天皇、お国のため、この命を惜しみなく捧げよう」と盛んに使われた。むろん誤用なのだが、それが当然のようにまかり通った時代である。にもかかわらず結核療養所で七夕竹の短冊に「惜命」という文字が書かれていたことに波郷は眼を止めたのである。生死のせめぎ合う療養所での体験が、込められている。私は強烈な社会批評の句と捉えた。本来ならば「不惜身命」は仏道修行の為ならば、という句なのであるが、果たして貴乃花はこの言葉を「仏道」のかわりに「相撲道」を置き換えたのだが、果たしてこの誤用の歴史を踏まえていたのか、と思うと同時に、「惜命」の方が私には大切なことと思っていることは記しておきたい。

 安藤次男の芭蕉の句「文月や六日も常の夜には似ず」とこれに続く「荒海や佐渡に横とう天の川」の句を、七夕伝説との関係で読み解いている。まだ人に解説できるほど読み解けていない。じっくりと考えなくてはいけないと思っている。宿題である。

「この句(荒海や)の雄大なる趣向は、年に一度の流人の恋路は雨夜の荒海を漕ぎ渡るしかない、と言っているようにも読める。‥それとも荒海を渡るすべもない流人たちにむかって、一夜の銀河を渡れとか。いずれとも解することができるが、これは一嘱目の句などではあるまい。芭蕉の使嗾(しそう)、あるいは共犯参加の句だろう。佐渡という怨念の島の名もそこに活きてくる。」(安藤次男、「七夕幻想」)

 なかなか難しい。