Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「星の文学館」

2019年06月10日 23時33分24秒 | 読書
 本日は家にほぼ閉じこもり、ウトウトしたり、起き出して読書をしたりとのんびりと過ごした。何事もしないと時間の経つのは早い。あっという間に23時を過ぎてしまった。

   

 本日読んでいた本は「星の文学館 銀河も彗星も」(和田博文編、ちくま文庫)の「4.天体観測と星座」「5.宇宙の深淵」。
 埴谷雄高と谷川俊太郎、宮沢賢治以外は初めて読んだ作品ばかり。三浦しをん、中村紘子、岡本かの子、尾崎喜八は読むことも初めて。埴谷雄高の文章は少なくとも3回はこれまで目にした。

 岡本かの子の文章はなかなかいい文章だと感じた。冒頭から引き込まれた。
「大洋を後悔してゐるとき闇夜の海上の彼方から一点の光がこちらに向かつて近づいてくる。何であろうと一心にそれを見守つてゐると、突然のその光の下に黒々とした山のやうな巨船の姿を見出してびつくりしたことがある。星を見つめてゐると何か判らない巨大なものがその星を乗せてこちらに迫つて来るやうな気がする時もある。さういふ錯覚は一種の恐怖に似て神秘的な楽しさである。星の瞬きは太古から人間にいろいろな暗示や空想を与へてゐる。」

 巨大なものが星を乗せて迫ってくる、という感覚は私も共通な感覚であった。小学校に入ッタばかりの頃の私の場合は、巨大なものが巨大な虚無、果てしなく深い尺度の時間と空間を抱えて私を飲み込んでしまうのではないか、という恐怖であった。それは中学生になるまで続いた。

 大江健三郎の「宇宙のへりの鷲」は大江の文学論として興味深く読んだ。
「宇宙論的な構想というように、極大のところから出発して架空の物語をつくり出そうとする場合(‥)、いったいその小説は、現にいまこの時代を生きている書き手の、状況にかかわっても、本質にさかのぼっても、決して他の人間といれかえ可能でない、その肉声をどうすれば響かせることができるのか?」

 この問いの前に多くの人はたじろいで書くことを断念するのである。

大雨・洪水・強風・雷・波浪注意報

2019年06月10日 18時18分14秒 | 天気と自然災害
 夕方になって雨が強くなってきた。私の住む地点でも時間雨量換算で30ミリの雨の区域が通り過ぎた。
 現在横浜市域には「大雨・洪水・強風・雷・波浪注意報」が出ている。県内では横須賀市・平塚市・小田原市などに大雨(土砂災害)警報も出ている。
 雨の区域は少しずつ南から北に移動しているが、伊豆半島と房総半島の南端から北側で雨の区域が発生しているようだ。
 風と雨の音はするが、雷の音も光も聞こえてこない。高台なので水が出る心配はないが、気温が昨日よりも低く、長袖でも寒く感じる。今のところ最高気温は17.4℃と4月初めころの気温らしい。

 このまま夜半まで雨と風が続くらしい。

 横浜気象台の天気概要が、17時過ぎに発表になった。

★天気概況★
令和元年6月10日17時24分 横浜地方気象台発表
 神奈川県では、10日夜遅くまで土砂災害に警戒してください。東部では、10日夜遅くまで河川の増水に警戒してください。
 日本の南には、梅雨前線が停滞しています。また、低気圧が伊豆諸島付近にあって、東北東へ進んでいます。
 神奈川県は、雨となっています。
 10日は、低気圧や北東からの湿った空気の影響により、雨で夜のはじめ頃まで雷を伴う所があるでしょう。
 11日は、関東の東海上の低気圧や日本海に発生する低気圧の影響により、曇りで朝晩を中心に雨の降る所があるでしょう。
 神奈川県の海上では、10日から11日にかけて波がやや高いでしょう。船舶は高波に注意してください。


 結局本日は団地から外に出ることはなかった。夜のウォーキングもまずは無理であろう。

「空間に線を引く」展

2019年06月10日 13時08分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 平塚市美術館では「正司福・荘司貴和子」展と同時に「空間に線を引く 彫刻とデッサン」展を開催していた。
 彫刻はなぜか苦手、物の質感に惹かれるということがあまりない。縄文土器・土偶、仏像なででは私なりに心をゆさぶられる「何か」を感ずるのであるが、彫刻一般は足が遠のいてしまう。
 今回は、彫刻作品のそれを制作する過程で描かれた彫刻家のデッサンが並べられているのが特徴の展示であった。

 美術館のホームページには次のような文章が掲載されていた。

 彫刻家は素材に働きかけ、何もない空間に作品を表します。彫刻を制作するにあたり、自身のイメージを定着させるためデッサンを描く場合があります。彼らが描いたデッサンは魅力に富んでおり、画家のデッサンにはない美しさがあります。この美しさはどこから来るのでしょうか。
 おおむね画家の絵は、三次元を二次元で表現します。一方、彫刻家のデッサンは二次元から三次元を目指します。対象が空間にどのように働きかけるかということが、常に彫刻家の念頭にあるからです。紙面は空間であり、いわば空間に線を引く感性です。これらの線は、対象の存在感、ものの粗密を表現しているように見えます。これを可能としているのは彫刻家の「手」(触覚)です。
 彫刻家にとって、まず重要なのは触覚です。彫刻は視覚以前に触覚にうったえかける芸術です。彫刻家は触覚に導かれて作品を手がけます。彼らの手は描く以前に「触れる手」なのです。このような手によって描かれたデッサンはおのずと画家によるものとは異なります。彫刻家は空間から対象をすくい出すかのように描きます。描くことがすなわち触れることであり、視覚と触覚の連動があります。これが彫刻家のデッサンの特異な点です。そこには、画家のデッサンにはない様々な要素が見出せることでしょう。
 本展はプロローグとして橋本平八から始め、具象、抽象の現代彫刻家19 人のデッサンと、それに関連する彫刻を展示し、その魅力と創作の秘密に迫るものです。


 私は「画家の絵は、三次元を二次元で表現します。一方、彫刻家のデッサンは二次元から三次元を目指します」という表現にびっくりした。私は彫刻とは「三次元の空間から三次元の空間」に移行させる行為だと思っていた。空間からある質感や存在感を切り取って、別の空間に再構成する。彫刻家自身の感じた質感を新たな空間の中に現出させる行為が彫刻なのではなかったのか、と。
 画家とは違う「彫刻家のデッサンの在り方、二次元というものの捉え方」、という視点で考えてみたいと思った。しかしこれはなかなかすぐには頭の整理は出来そうもない。

 とりあえずは、私なりに気に入った「彫刻」作品をあり上げて見た。デッサンもあったが、「比較」についてまだまだよくわからない。なお、図録は高価だったので残念ながら購入できなかった。

「若い女」 佐藤忠良
「午後三時の玩具」 砂澤ビッキ
「雲谷2018-1」「天蓋2018-2」 青木野枝

 青木野枝の鋼材を使った作品は会場の入り口の外に展示されていた。また青木野枝・若林奮のデッサンは二次元作品として惹かれるものがあった。特に「光のブランコ」(青木野枝)、「森のはずれ」(若林奮)。これらのデッサンと彫刻作品の関係までは私にはわからなかった。


「雨読」の日

2019年06月10日 11時59分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 雨の区域はほぼ南から北へ動いているように見えるが、相模湾の海上は降っていない。神奈川県で雨雲が発生している。しかし強い雨の区域は北関東方面に去っていった。今は5ミリ未満の雨の区域が残っている。

 終日雨の予想。このような天気で、気分的に外に出るのが億劫である。本日は小説でも読みながら休養日、ということになりそう。