Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日はホテル泊まり

2019年06月01日 22時26分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の夜のウォーキングはごく軽く30分ほどで済ませる予定。5日間続けてかなり歩いたので、足の休養も必要。
 先ほどまで娘夫婦が来て、台湾旅行の報告。後半はちゃんと起きて聞いていたが、前半はワインを飲み過ぎてうつらうつらしてしまった。
 明日と明後日は組合関係の他都市の役員OBの集まり。横浜に集まるということで、いろいろと手配をさせてもらった。どの方も私よりは上の世代、ずいぶんと世話になった方たちである。明日の夕食は中華街、そして山下公園の傍のホテルに私も宿泊する予定。月曜日は港内のクルーズ船に乗る。これは私も初めての経験である。乗船券は団体割引で1500円未満と安かった。

ビオウヤナギ(未央柳)

2019年06月01日 18時06分30秒 | 俳句・短歌・詩等関連


 ビオウヤナギ(未央柳)は別名ビジョヤナギ(美女柳)とも。オトギリソウ科の低木。中国原産で江戸時代中期に日本にもたらされたらしい。中国では金糸桃と表すという。雌雄の蕊も花弁も黄色で鮮やか。群生すると見事である。

★夕陽落つ未央柳の蘂に墜つ      庄司たけし

 花が豪華過ぎるためか、私好みの句はなかった。別名の「美女」に振り回されたくないものである。

 一昨日のホタルブクロの記事に、白いホタルブクロの写真を追加してみた。濃い紫のホタルブクロだけでなく、白いものも団地の中で咲いていた。


「図書6月号」 2

2019年06月01日 12時31分32秒 | 読書
・語らざるものたちの言葉を引き受けて   梯久美子・若松英輔
「(若松)死者は語らざるもので、ある意味、沈黙を強いられた存在でもあります。広い意味での文学は、語らざるものたちの言葉を引き受けるということが、重要な役割としてあるのだと思います。そのためには、自分を少し開けて、そこに言葉が入ってこないといけない。語り得るものだけを語るのが文学であるなら、世界は単層的になってしまいます。死者との交わりは、‥量的な経験といっさい関係のない、質的な関係です。‥量的な世界と質的な世界の交わりを、ときに音楽的に、ときに絵画的に書くのが文学です。」
「(若松)文学はさらに、読み手が第二の創造を始めます。書き手と読み手の間に文字がある。‥現代では、書き手が書いたものが完成形で、それをどれだけ正確に理解するかが読み手の仕事だと思われがちですが、ほんとうは夏季てすら気がつかなかったこと、もしくは書き手が深層意識でとらえながらも意識できなかったことを読み手が新しく深めていくのが、「読む」ということです。‥本が売れない時代と言われますが、そうなるのも当たり前だと思っています。書き手があらゆるものを完成させるのだとしたら、読み手の入る余地がないわけですから、読み手は要らなくなります。」
「会社の社長が、あたかも全部自分がやったかのような言い方をしますが、会社は社長のものではなく、みんなでやっていることです。自分以外の力によって起きているものを自分でやったということほど、大きな嘘はありません。」
「世の中に詩人と認められた人が詩を書くと思われていますが、詩人だから詩を書くのではなく、詩を書いた人が詩人なのだと思います。」


・幸運の南硫黄島             千葉 聡
「進化は、偶然の歴史と偶然の突然変異、そして遺伝的変異に対する自然選択-より生存率や出生率の高い変異が次世代により多くの子孫を残すことで進むプロセスの結果である。そこに意思や目的は一切ない。」
        
・ドナルド・トランプの危険な兆候     村松太郎
「何か大事件があると、マスコミで精神科医がしたり顔で心理分析をしてみせたり、時には診断名を口にしたりもする。報道された断片的な情報だけに基づいて発言するのは無頼派というより軽薄派とでも呼ぶ壁か。‥米国精神医学会は、直接診察していない有名人について精神科医は意見を述べてはならないという規定を作った。」

・断想・永井荷風と芥川龍之介       石割 透
「小島政二郎に拠れば、芥川は荷風の江戸賛美に対し、江戸の良いところだけを見ていても仕様がないと批判していたらしい。」

・大きな字で書くこと 私のこと      加藤典洋

・イルカ・シビ、そして海人        三浦佑之

・変転する食文化の光景          山室信一
「一連の作法によって食事は家族と共にするだけでなく神仏やご先祖様と一緒に戴くものであるように思えていた。テレビ放映が始まると‥家族団欒を象徴するのは、チャブ台そのものではなくテレビとそこに映し出されるチャブ台となった。そして現在、テレビからは一人鍋のCMが流れる。飲食店や大学食堂でも、間仕切りのある「ぼっち席」で誰の視線も気にせずに食べることを好む人が増えたという。‥あらたな孤食の時代へと向かっているのであろうか。」
 ほんの少しの自戒とともに、少し違うとも‥。