荘司福の晩年の作品では「春雪」(1991)が私には好ましかった。とくに右上の月が白く、山の雪と呼応して、山から湧き出たように浮かんでいる様が印象的であった。これと対角線上の左下に枯れた白い樹木がこの作品の眼目のようにピントが合ったようにくっきりと描かれている。月の浮力と、くぼ地を表す黒い遠景を後ろにした白い木が、大地の重さを支点に釣りあったように見える。白はその力を象徴したものと感じた。
以前にもこのブログで取り上げた「春律」(1986)、「到春賦」(1987)以降、白を基調とした画面から色彩の厳しさ、鮮烈さ、緊張感が一気に希薄になってしまうように感じた。この「春雪」は1991年の作品であるがこれを除いて、画面には白の彩色が効果的に現われているものの、私には緊張感が抜け落ちていないだろうか。
「山響」(1990)は、仙台市内の秋保大滝の5月若葉の頃の情景であるらしい。具体的な場所の特定は別として、若葉の緑としては旺盛な生命力の発露を画面に受けとめる、というよりも調和と安住が眼目に思えた。私の素人のとぼしい知識による思い違いかもしれない。それとも60代末で気力に難のある私がいうのは、失礼であろうか。そればかりか、80歳を超えて「春雪」を描いた荘司福の気力にまずは敬意を評さなくてはいけないのだろう。でも少し寂しい気がしたことは確かだ。緊張感ばかりを作品に求める私の精神に問題があるのだろうか。
今回の展示では、荘司福の息子の妻となった荘司貴和子(1939~1978)の作品も数多く展示されている。ともに旅先で作品を描いたようだが、彼女は40歳に満たずに亡くなっている。抽象画といわれるのであろうが、「玄海の月」(1976)が図録の表紙にも取り上げられており、代表作というのであろう。私にも共感するところがあった。
青は海、左下の黒い塊は岩礁、黄色の月はその影を青く海に映している。白い帯状の形象は波であろうか。このように具象的に見てしまうのは良くないとはわかっていても、つい対応関係を求めてしまう。右上の白い帯はなんの象徴になるのか。そのような詮索はせずに、純粋に色と形態のリズムを楽しんだ方がいいのかもしれない。しかし丸い影のような青も印象的である。
月の下に描かれた折れ点のある白い帯状の形象は他の作品にも表れ、印象深い形態である。そしてこの「白」に荘司貴和子もこだわりを見せている。
短い帯状の白い形態が繰り返されたり、白い形態の下塗りの模様などが浮かび上がるように縫っていたり、荘司福との何かしらのつながりを感じた。
荘司福は「彼女の澄んだ感覚が自由に伸びて展開して行ったらどの様な仕事になるか大変興味深かっく思い‥」と述べている。