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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

星を見上げると‥

2019年06月16日 23時48分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は満月&十五夜ということらしい。本日は木星のすぐ横に月が煌々と照っていた。星は見えにくいのかと思ったが、昨晩の雨で空がきれいになっているためか、それなりに星を見ることができた。一昨日よりも本日の方が良く見えた。

 月のすぐ右側にアンタレスがあり、その西側にサソリの頭にあたる二つの二等星が確認でき来た。一昨日は一つしか見当たら無かった。この二つがあるとサソリ座とすぐにわかる。
 さらに東側に土星とわし座のアルタイルも確認できた。

 これ以上空を見上げていると不審者に見られるので断念。夜のウォーキングに専念して帰宅。わたしからすると、前を見ずに顔だけボヤっとスマホの明かりで人魂がふらふらするように歩いている男女の方が怪しいのだが、世の中ではそのようには判断されない。星を見上げて立ちどまっている人間の方が怪しまれているようだ。
 そして本人は首が痛くなる。

 明日は昼前から食事ぬきで採血とCTの検査。その足でそのまま組合の会館へ。可能ならば市役所によって書類を提出したいと思っている。

額紫陽花

2019年06月16日 21時08分03秒 | 俳句・短歌・詩等関連


★かなしみのはづれより咲く額の花    平井照敏
★あけがたや額の咲くより空ひくく    石橋秀野
★紅もまた雨の彩なり額の花       川合みさを
★雨の庭引き締めて紺額の花       稲岡 


 額紫陽花というのが好みである。中心を取り囲むように周囲に花が開くように萼が開いている。

 紫陽花よりも萼がのびのびと開いているように見えるのがいい、と言った人がいる。なるほどそういう見方もあるのか、と感心したことを覚えている。その頃は、紫陽花も額紫陽花も差はないと思っていた。否、それどころか、桜以外の花はほとんど無知に近かった。まだ二十歳前のことである。花よりも食べられるくだものの方に興味があった時代であった。
 この言葉を聞いて少しだけ花に興味を持った方がいいのかもしれないと思った。しかし特に好きな花もなく、そのまま三十数年経った。50歳も過ぎて、妻にいろいろな花について教わるようになった。

 だが、気持ちが惹かれることは格段に多くなったものの、今でも花の種類についてはほとんど知識は拡がらない。花の知識ほどほどがいい。目に飛び込んできたときに、美しい、嬉しい、と思えばそれで満足である。

「人知れず微笑みたい」

2019年06月16日 10時55分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日6月15日は、樺美智子の忌日。

  「最後に」
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
     1956年 美智子作


 1960年6月15日、安保闘争の最中、衆議院南通用門から国会に突入して警官隊と衝突して死亡。享年22。警察病院の検死では死因は「胸部圧迫及び頭部内出血」。警察は「転倒による圧死」と主張したが、状況的に機動隊による踏み付けないし暴行死であることは確実。

 彼女の墓は、多磨霊園にあり、たまたま私の親族の墓も近くにあり、数回訪れたことがある。「最後」は墓誌に刻まれている。

 私は1968年、高校2年生のときに横浜の伊勢佐木町の有隣堂で「人しれず微笑まん―樺美智子遺稿集」を立ち読みした。名前と遺稿集のことは知っていたが、目をとおしたのは初めてであった。当時、ちょうど私はチェコスロバキアの「プラハの春」に衝撃を受けていた。立ち読みしたきっかけはこの「プラハの春」だったともいえる。

 樺美智子のことは社会から忘れ去られようとしている。私の見聞きした、体験した1960年代・70年代の社会の運動も否定されるような流れの中で忘れ去られようとしている。流れに抗するのもまた、私の生き方であるのだろう。ここに記しておきたい。


雷雨にビックリ

2019年06月16日 01時50分07秒 | 天気と自然災害
0時半ころから急に雷が鳴り始めた。ひとしきり鳴ったあとに雨も音をたてるように強まった。
慌ててパソコンの電源を落とし、コンセントも抜いた。
1時半前には時間雨量80㎜を超える区域は去ったようだ。
これで眠れそう。