Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

カワヅザクラ

2021年02月22日 21時37分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 横浜駅近くの緑道に植えられたカワヅザクラ、ずいぶん咲いている。明日にはもう散り始めるのではないだろうか。本日はまた散ってはいないが、今にも花びらが風に散りはじめそうな雰囲気であった。
 「行政は歪められても、花が咲く時期はそう簡単には変えられない」と友人は言っている。しかし行政の公平性もそんなに簡単に歪められてはいけない。
 きっとこのカワヅザクラも、今の政権の汚職構造には怒っているであろう。「桜を見る会」で咲いていた桜も怒っているであろう。しかし花は行政を歪めている人間にも、私たちにも美しい姿を公平に見せてくれる。

 汚職列島の日本の行政よりも公平なものは花である。 


もはやまともではない‥

2021年02月22日 20時39分52秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先ほど総務省と「東北新社」の「接待」に刺激を受けて、末端の地方公務員の許認可業務に携わった私のつたない経験を記載していたら、ニュースで次のようなことを伝えていた。
 「東北新社」から1回で7万円余の接待を受けた職員がおり、現在は官邸で働いているというのである。「憲法を順守し、国家公務員法等にのっとり‥」と宣誓し採用された公務員ならば、もう恥ずかしくて人前に出たくなくなるであろう。
 人が何を食べようと、その人が自分の金で飲み食いをしているならば何も言うつもりはない。しかし私など、10分の1以下の一人7千円の食事すら自分の金でもしたことはない。それほど高価な7万円の食事をおごってもらって、見返りがないはずがない。「返却すれば問題ない」という感覚ももう普通ではない。
 「接待漬け」になっている組織の状況が反映していないか。しかも業者との通常の「意見交換の範囲」という弁解に至っては開いた口がふさがらない。
 「行政がゆがめられてはいない」という政府の見解もとても受け入れがたい。行政が自社に有利になるように「接待」がある。一つの企業に有利になる運用を求めない限り、接待などだれがするのであろう。見返りのない「タダ飯」などありえない。

 二流時代劇でももう少しましな場面を設定するし、「悪代官」ももう少し言い訳を言うものである。


「接待」は汚職そのもの

2021年02月22日 20時09分28秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 16時半過ぎから突然風が強くなった。風の音が強まり、ベランダに置いてある軽い塵取りや箒などを慌てて飛び去らないような措置を講じ、鳥避けなどは室内にしまい込んだ。

 午前中は機関紙の入稿前の原稿を他の役員にメールで送信して、チェックをお願いした。さっそく3点ほどの訂正依頼があった。誤字ではなく、言い回しの改善など。
 実は記事の中に、アマビエの画像を貼り付けようと考えていたのだが、すっかり忘れていた。もう貼り付ける場所もない。新型コロナ感染症にまつわる記事も今回はなかったので、残念ながら断念。5月号には使うことがないような社会になっていてほしいものである。
 ところが、友人からメールがあり、政権担当者とオリンピック関連の組織のトップそのものをアマビエを使って退散させたい、と書いていた。新型コロナウイルス(SARS-CoV2)による感染症(COVID-19)もさることながら、こちらの害毒もまた、あるいはそれ以上に早く退散してもらわないと、ということであった。

 政権中枢にいることを利用して、息子を雇ってもらい、その息子が省庁の幹部を接待で事業を有利に進めた、というのであればそれは到底「別人格」云々で済まされるものではない。
 大体接待を受けるほうも、倫理規定などが頭にないように見える。私は地方自治体の末端で許認可行政を37年間続けた。職場に配属された瞬間から、「昼食に誘われたり、飲み屋に誘われたら、身をひるがえして帰ってこい」といわれ、「コーヒー1杯、缶ジュース1本、お茶1杯、たばこ1本も禁止」であった。
 末端の許認可とはいえ、道路の復旧の範囲の指示などは、掛け声一声で工事費で50万円、100万円の差が出る。公益企業者の下請けから仕事をもらう舗装業者にしてみれば、自腹での出費か、元受けから金が出るか、の瀬戸際の場合もあったと思われる。
 ある時、まだ1年目、24歳になったころ、竣工書類の間に何やら封筒をはさまれた。その場では気が付かなかったが、職場に戻ってみると、封筒から1万円の商品券が出てきた。あわてて係長に封筒を渡し、その業者を職場に呼びつけて「二度とこのようなことをするな。次回は局の総務課に伝える。財政当局に伝え、入札名簿から外してもらう」と伝え、始末書を出させた。
 しかし他の業者からも同じようなことが数年間は続いた。水道局や交通局などの公営企業の下請け業者はそこまではしなかったが、他の公益企業者の孫請けあたりからの仕掛けはいくつもあった。
 エピソードを二つほど。
 一つ目は、まだ私が20代の半ばのとき。マンションの建設にともない、傷んだ道路の復元の指導で建築業者と立ち会ったことがある。水道局の工事も同時に行われ、水道局と建築業者の負担区分の調整もあり、水道局の職員2名も同席した。土木事務所では私と同年代の同僚と2名。その時に建築業者の下請けで舗装業務を請け負った業者が、水道局の担当と私に封筒を手渡そうとした。そのときいつもは温厚な50代の水道局の職員が大声で、「何をしてるか。横浜市の職員をなめるな」と怒鳴った。いつも物静かだが仕事に精通し、業者指導も的確で教わることの多かった方の一括に私はびっくりした。封筒を手渡そうとした孫請けの業者は慌ててその場から立ち去った。水道局の職員が、「本日は不適切な行為があったので、協議は後日」といってその日は引き上げた。
 その水道局の職員からは、いかに毅然とした態度が必要かということを身をもって教えてもらったと今でも感謝している。立場上は指導をする立場ではあったが、同じ市の職員でもあり、業者指導の在り方では教えてもらうことが多かった。水道局の下請けの業者も一目も二目も置いていた方であった。
 実はこの事案のその後については、記憶がない。私は係長に報告して、あとの処理を係長に任せたことまでは記憶している。係長が、水道局の係長と電話で今後について話をしていたことも覚えている。それ以降の処理については、私が外れたところで道路の復旧の協議がなされたのだと思う。就職して2年目か3年目のことだったと思う。
 もう一つのエピソードは40代を過ぎてからのこと。台風で水害が発生しそうな時に、職員も夜中に参集して、作業に当たっていた。職員だけでなく、区内の建設業協会の幹事の社長数名も会議室で待機し、土嚢の手配や水が出た個所の手配を進めていた。
 徹夜でくたびれた時に、食事当番の私が、職員の食べた後の残り物であったけれど、待機している協会の社長3名に味噌汁とおにぎりと漬物の朝食を持って行った。しかしいつも見知っている区の建設業協会の会長でもあるT建設の社長が「ありがとうございます。しかし職員の皆さんが私たちから食事を供されれば、接待になります。私が今おにぎりをもらえば逆の接待になりますし、現場で頑張っている他の業者の方からも誤解を受けます」といって固辞をされた。
 私はとても感銘を受けた。横浜市の建設業協会でも有名な方だったと後年に聴いたことがあり、多くの信頼を得ている社長であったという。このような緊張関係というのは、市の職員だけでなく双方の自覚が必要だとも感じた。
 接待をする企業というのは、業界からも相手にされていないのである。競争相手を出し抜きたいというのは、それほど切羽詰まって追い詰められている業者ということの裏返しであると、教わった。

 私の経験した状況からすると、現在の国の上級公務員による接待などの状況では、とてもではないが、地方公務員は務まらないと思う。あまりに情けないものがある。