Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

広重「冨士三十六景」から「武蔵越かや在」

2021年02月18日 22時23分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日に続いて、歌川広重「冨士三十六景」から「13武蔵越かや在(むさしこしがやざい)。現在の埼玉県越谷市付近に日光街道の宿場の越谷があった。その郊外ということらしい。
 紅梅か桃が咲いてすでに葉が芽吹いている。手前の下部には菜の花が点在し、川の手前では菜の花が栽培されているようである。
 富士山とその手前の丹沢山塊を実景に近い形で描いている。
 私はまず丹沢山塊の横の線、梅か桃の木の垂直の線と緑のグラデーションによる横の線が目に入った。
 次に花の赤と菜の花の黄、そして緑と藍という色彩の配置が気に入った。
 前回も指摘したが、垂直と水平が空間の奥行き、遠近感に大きく寄与している。広重の特徴として垂直の線と水平の線の配置、というのを指摘したくなった。
 さらにこの作品は緑が鮮やかである。これも北斎の作品との違いを際立たせているように感じる。北斎は藍色の美を追求したが、このような鮮やかな緑は使っていないと思う。
 渡し船にを待っているであろう人が男女二人ずつ。街道筋であることを表している。広重の作品に登場する人物は、実にゆったりとしている。風や雨に翻弄されて劇的な動きをする北斎の作品とは違う。
 この作品も見ているうちに、鶯の鳴き声も聞こえてきそうである。実にのんびりとした春の一日を思い浮かべる。北斎の「冨嶽三十六景」とは流れる時間が違う。

 


カワヅザクラもかなり開いた

2021年02月18日 19時35分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会の機関紙の紙面は面積としては75%は超えた。しかしこれからがセンスを問われる。割り付けの再配置や微調整、文章の切り継ぎをしながら形を整える段取りにはいる。基本を学んでいないのが致命的であるが、それがやりがいでもある。
 能力に余るところは印刷会社のプロのかたに最終調整をお願いするしかない。あまりガチガチにしてしまっても、かえって編集しにくいとも思える。
 以前にだいぶ割り付けを訂正してもらったことがある。やはり大したものだと感心した。今となっては無理ではあるが、人に指導するくらいになりたかったと思う。
 午後は横浜駅のそばの喫茶店までウォーキング。カワヅザクラもだいぶ開いている。

      



ベートーヴェン「ピアノソナタ第30番」

2021年02月18日 14時14分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 初めて購入したベートーヴェンのピアノソナタは、ルドルフ・ゼルキンの演奏で「第30番」「第31番」「第32番」の3曲が収録されている。1987年の録音。ゼルキンは1991年に亡くなっている。

 まだ高校生になりたてのころ、同学年のクラシック通が「弦楽四重奏やピアノソナタは、9曲のシンフォニーを山脈の頂とする広いすそ野のような曲群」という趣旨の発言をしていたのを聞いて、そんなものなのか、と思い込んでしまった。
 そんなことばに縛られていた自分が情けないのであるが、室内楽曲の全般が好きになったのはブラームスの作品に接するようになってからである。ブラームスがベートーヴェンの交響曲という呪縛にどれほど悩みながら曲作りをしていたかを知るにつけ、ベートーヴェンから遠ざかっていた自分を思い出す。
 そしてベートーヴェンのヴァイオリンソナタや弦楽四重奏曲を聴くたびに「後期の曲ほど、どうしてこんなに楽器を強く、金属音が擦れるほどの奏法にこだわるのか、どうして楽器を豊かに鳴らす曲にしないのか」といつも感じていた。それは今でも変わらない感想なのだが、ことピアノに関しては、違っていると友人に教わった。
 その手始めがこのCDの購入につながる。学生時代の知人に、昨年がベートーヴェン生誕250年ということを思い出させてもらったこともきっかけである。

   

 さて、第30番の曲、解説によれば第1楽章は「テンポも拍子もことなる対照的な性格の2つの主題」、第3楽章は「「歌うように、心の底から感動をもって」と記された主題と6つの変奏と主題の再現」と記されている。
 ウィキペディアにも楽譜が掲載されているが、全体を見たい。楽譜愛好家の私としては、楽譜を見ながら鑑賞したいと思った。しかし後期のピアノソナタ全曲をおさめた楽譜を購入するのは厳しい。
 頭の中に入るには時間がかかりそうな気配。

 このCD3曲収録されている。これまでなじみのなかった曲だが、じっくりと聴きたいと思う。少し時間をかけてみたい。幾度も聴くのが一番である。
 ベートーヴェンのビアノ曲を聴く楽しみを示唆してくれた友人・知人に感謝である。