Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日はこれより軽く一杯

2021年02月06日 22時15分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は暖かったが、明日はもっと気温が上がるらしい。もう3月の陽気になってしまった感じもする。
 午後から妻と買い物に出かけた。35分ほど歩いたところにある喫茶店で一服。店の外の椅子に陣取った。コートを着ていれば十分暖かであった。帰りはゆっくりと歩いた。買い物袋も重かった。
 夕食を早めに食して、先ほどまでズームを使った音楽鑑賞会。いろいろと勉強になった。
 明日は10時から団地の会議。会議後は読書タイムとしたい。家にいるとはかどらないので、一人で喫茶店に入り込む算段をしている。


ベートーヴェン「合唱幻想曲」

2021年02月06日 21時51分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 先ほどまでベートーベンの合唱幻想曲をズームで解説付きで聴いた。私も以前に一度聴いた記憶はあるが、ほとんど記憶に残っていなかった。本日初めて聴いたといってもおかしくはない曲である。
 作曲の年が1808年、ナポレオンがスペインに侵攻した年である。ゴヤがその悲惨な戦争を題材に多くの作品を残した。
 そしてベートーベンが第5番と第6番の交響曲と同時に仕上げた。ヨーロッパにとっては激動の時代の曲。ベートーヴェンの作品の流れからも重要な年だったと思われる。
 この曲には、第9番の交響曲の第4楽章によく似た旋律が出てくる。ベートーヴェンが温めていた楽想をどのように仕上げようとしていたか、興味深く聴くことができた。
 完成された第5番や第6番を聴くのとは違う味わいがある。さらにもう一つ知ったのは、この曲ができた当時は、まだ現代のビアノよりも音量の小さいピアノフォルテの時代ということ。知ってはいたが、あらためて教えてもらった。現代のビアノでバリバリ弾くと作曲家の思いとはまた違ってしまうのであろう。当時の音楽に親しむためには少し聴き方を変えなくてはいけないのかもしれなかった。
 ベートーヴェンのビアノの曲を聴くときは、頭の片隅にキチンと記憶しておきたい。

 こういう曲を解説付きで楽しめるのは、とてもありがたい。


「眼の神殿」(北澤憲昭) 4

2021年02月06日 12時12分17秒 | 読書

 昨日から本日にかけて第2章を読み終えた。眼の疲労が強いので、なかなか進まない。
 いつものように覚書として。

へだたりを絶対の条件とする視覚は、見る主体を事物から疎隔し、あらゆる事物を対象と化してしまうはたらきをもつ。近代は、そのような視覚の働きを極度に、しかも他の諸知覚を差しおいて、一方的に発達させることによって確立された‥。写実画法、透視遠近画法は、近代の在り方をしめす典型的事例であり博物館や博覧会もまた視覚の時代の産物であった。」(6.眼の権力装置―監獄と美術館)
さまざまな事物が博覧会の秩序に収められるためには、‥それらが本来ある場所から切り離されなければならない。‥国家が創出した博覧会の秩序のもとで一堂に展覧されるというのは、明治日本の縮図の提示であり、‥博覧会は明治が創出すべき統一国家の模型であった‥。同時に内国勧業博が近代国家の模型であったとして、国家というものを存在を広く民衆に知らせるためには、特別の仕掛けが必要とされた‥。仕掛けとは、審査・褒賞制度であったのではないか‥。審査・報奨制度は、現実を模型に馴致させる仕掛けとして、事物と事物をつくりだす行為とを制度化する働きをなした‥。見ることは、分類と審査によって博覧会を支え、支えることによって権力に仕えることになる。眼は支配の道具と化す。」(同)