Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

USB延長コード

2021年02月02日 22時50分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 プリンターのスキャナー機能や、スピーカーの機能がときどき無効になる。いろいろといじっているうちに、USBの延長コードが原因のように思えてきた。USBハブの位置を変えることで、延長コードを省略してみた。30分ほどかかってパソコン本体とモニターの裏で多少こんがらがっていたコードを整理してみた。
 しかし延長コードがなぜ、どのように「悪さ」をしているか、はまったく不明。濡れ衣かもしれない。
 プリンターのスキャナードライバーを再度ダウンロードしてインストール。スピーカーも再度接続しなおしてみた。
 今のところ動いてくれている。しばらく様子見である。

 さて、本日はバッハのチェンバロ協奏曲を愉しんだ。明日は、バッハのヴァイオリン協奏曲3曲を聴いてみようと思う。この3曲ももう何十年も聴いていない。よく知った曲ではあるし、一部は弾いたこともある。はたしてどれだけ記憶に残っているか。


「銀河の光 西川徹郎の俳句宇宙」

2021年02月02日 21時16分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連

   

 11年近く前の2010年の夏、北海道旭川市を訪れたときに、俳人西川徹郎の「西川徹郎文學館」を訪れた。しかし難しい俳句との印象で、気にはなったが、そのままにしていた。名前は忘れずにいたし、いつか句集を読みたいという欲求は継続していた。
 11年前に「文學館」で印象に残った句をこのブログに書き留めてある。

★緑青の卵管見える金閣寺
★夜毎慟哭蛍は沖へ出でて帰らず
★蓮池で金襴濯ぐ秋の寺

 私にも少し理解できたように思えた句も、今ではかえってわかっていなかったと思える。
 本日、たまたま神奈川大学の生協の書籍売り場で、「銀河の光 修羅の闇 西川徹郎の俳句宇宙」(小林幸吉、西川徹郎文學館新書)が目に入った。著者の小林幸吉氏が神大の事務局長で「神奈川大学評論」の編集委員であることから書籍売り場に置いてあった。
 2200円が割引で1980円もしたが迷わず購入。この本は2010年10月発行なので私が旭川を訪れた時には刊行直前だったようだ。
 理解できずともとても気になっていた西川徹郎の俳句の理解の助けになればありがたい。 「眼の神殿」と並行して読むことにした。

 キャンパスから歩いて15分ほどの喫茶店にて、序章と第1章を読んだ。小林幸吉氏による文章は宮沢賢治の諸作品と埴谷雄高の死霊と西川徹郎の句の世界が、詩を読むように行きつ戻りつ、跳躍しつつ論が進められているのでわかりにくいところも多い。しかし西川徹郎の俳句理解の一歩にはなるのではないか。

★尖塔のなかの死蛍を掃いて下さい
★山脈となる迄死者の椅子を積む
★竹原に父祖千人が戦(そよ)ぎおり

 第1章を読み終えたばかりであるが、生い立ちや家族関係のゆえか、「死」が濃厚に漂う作品が並ぶ。またそれが大きな特徴となっているようだ。


バッハ「チェンバロ協奏曲」

2021年02月02日 11時56分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 何年もの間、バッハを聴くことはなかったので、最近続けて聴いている。昨日と本日に作業をしながら、チェンバロ協奏曲5曲をまとめて聴いた。
 演奏は、チェンバロと指揮がトン・コープマン、アムステルダム・バロック管弦楽団、1988~1990年の録音と表示されている。

 解説には、バッハには数多くのチェンバロ協奏曲があると記されている。私はこの5曲しか聴いたことがない。チェンバロの音色もいいものである。満ち足りた柔らか味を感じる。現実の生活では無理であってもそういう心境になってみたい、という願望を満たしてくれる音色である。バッハ特有の華やかさ、きらびやかさも丸く聴こえる。
 ドイツ語ではチェンバロ、英語でハープシコード、フランス語ではクラヴサンというが、私はチェンバロという語感が好きだ。どこか楽器そのものの音に似た響きがある。
 ヘンデルのヴァイオリンソナタなどはピアノでなく、チェンバロの音でないとヴァイオリンがひきたたない。