Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「演奏家が語る音楽の哲学」第3章

2022年06月21日 21時14分25秒 | 読書

   

 本日は「演奏家が語る音楽の哲学」の第3章を読んだ。第1章「音を奏でる人類」が楽器起源論、第2章「「音楽そのもの」との交歓」が音楽芸術論とすれば、第3章「音楽に表れるのは個性か普遍性か」と演奏家論といったところ。
 第1章はちょっと不消化な記述もあり、少し難解でもあったが原初の人類から古代から続く人類と音との関係が述べられている。ホモサピエンスの歴史についても最新のものを取り入れていたり、折口信夫・中上健次・中沢新一を引用したり、なかなか博識である。
 第2章ではデュシャンの「泉」から問題提起が始まり、ジョン・ケージに研究し、中沢新一も第1章に続いて引用され、白川静・内田樹に言及するなど刺激的な記述が続いた。
 第3章でも、中井久夫も引用されている。読書の範囲が私と重複しているところもあり、それなりに親近感が湧いてくる。

 少々長い引用になるが、「個性的」ということについての記述を引用してみる。私にはよく理解できる言い回しである。
 「自分らしい=個性的と思われた働き方は、実は組織にとって、いつでも労働力を切り捨てられる都合のようい仕掛けでし泣かなかった。、そのようにして得られる仕事が、まったくもって没個性的な作業であることはいうまでもない。個性的であることに強迫観念まで持たされてしまった世代の中には、取換えの効く存在として自分が扱われることに耐えられなものも多い。‥思い描いた理想と現実との狭間で混乱し、自身の存在価値への疑問から心身のバランスを壊すものまでいることはなんとも痛ましい。‥やみくもに固定的であることを礼賛するような教育だけはご免こうむりたいものだ。」
「世界を相手にする音楽家たちは楽譜を丁寧に読み込み、その解釈において誰もが納得する普遍的な領域にまで達しないことには「人前でなど演奏できない」と考えている。自分の奏でる音楽が個人的な主張や、己が感情の発露であるなどとは想像すらしていない‥。彼らの演奏は音符の向こう側から語りかけられる音楽自身の発する声に、謙虚に耳を傾けたっか奏でられたものだ。自分がどう演奏したいかなどという低次元の欲求を超えたところにその音楽は成立している。私がどうしたいかなどではなく、記された音符の一つ一つが「どのように」演奏されたがっているか」を読み取ることがなによりも優先されるべき課題であることを彼らは自覚している‥。‥ならば個性なしに紡ぎ出されるその音楽は、誰がいつどのように奏しても同じであってしかるべきだろうか。同一作品からは、楽曲唯一の藁間欲しき姿が浮かび上がるのだから。ところが、そんなことがあり得ないことは誰もがしっている。どうやら《個性》の秘密はこのあたりにありそうだ。‥本物の個性というものがあるのだとすれば、それはあえて独自のものをそぎ落とし、それでも最後に炙り出されてくる他者との違い、といえそうだ。‥音楽においては、楽曲のあるべき姿をそれぞれの奏者が探し出す過程で結果的に生じるものが、それといえる。自ら恣意的に示そうとする他者との違いは、単なる奇矯な振る舞いとしか映らない‥。」

 


治療打ち切りの危機

2022年06月21日 18時37分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は、とても右膝が痛い。しかし家を出るときにきわめて弱いながら雨が降り出したので、杖を持たずに、少し長めの傘を杖替わりにして家を出た。傘はタイル舗装などでは滑り、気を付けないと危ない。しかし傘をさしながらの杖突き歩行の危険もあり、杖を持たないという選択をした。

 喫茶店で読書タイムののち、1か月ごとの整形外科で医師の診察を受けた。医師からは「厚労省の通達で、この膝関節症の治療は4月からは5か月で治療打ち切りということになった。今後の治療がストップせざるを得ないがどうしましょうか」という話しがされた。
 どうしましょうと言われても、返事のしようが無く、「このまま症状固定で放置されるのですか」と聞いたら、「別の方法を考えましょう」という。現在の病名は「膝関節変形症」としており、反対側の左膝の治療を理由にリハビリの継続はできない、とのこと。
 一呼吸ののち、「頸椎・脊椎のレントゲン撮影をしてみよう」ということになり、その結果「加齢による変形が見られる」といわれた。「その変形で症状が出ている可能性もあるので、あと5か月リハビリを継続出来ると思う」とのこと。応用力を発揮してくれたと思われる。お礼を言って退出をした。

 とりあえずは助かったとおもったが、すでに7か月も痛みが継続している現状はとてもつらい。リハビリの継続をしてもらえるのはありがたいのだが、痛みを止める根本的な治療が欲しい、という気持ちが強く湧いたことも事実である。
 次回の診察のときにそのことについて医師に問いかけてみたい。

 地下鉄の階段の昇り降り、団地までの急坂の昇り等々、痛くてつらかった。帰宅を鎮痛剤を服用。
 明日も出かけなくてはいけないが、どうなるのであろうか。

 


降り出しそうな天気

2022年06月21日 13時11分29秒 | 天気と自然災害

 気温は高いが、湿度も高く今にも降り出しそうな天気である。朝から何となく体が重い。疲労感あり。午前中は布団に横になって休息。リビングルームのクーラーの2度目の試運転。すぐに涼しくなり、運転は取りやめた。

 気分転換にこれより出かけてみることにした。膝もまだまだ本調子ではないので、本日は杖を突いて出かけることにした。じっとしていると筋肉が固まってしまったようになり、動かすすときに右膝の周りが痛い。短時間で出来る教わった屈伸運動やストレッチ体操をすると痛みは薄れる。しかしまたすぐに痛くなる。

 本日は夕方から整形外科で診察とリハビリの両方。それまで横浜駅近くのいつもの喫茶店でコーヒータイム&読書タイムとしたい。