こんなにも長かったかな、と思うくらいの夕暮れ時の影を久しぶりに見つけた。
現役のころ、冬の現場歩きはつらかった。それなりに歩くので寒さはあまり気にならなかった。しかし冬の夕方に西に向かって延々と歩くときがつらかった。それは眩しさである。
夕陽が直接顔を照らすだけでなく、道路上のマンホールが夕陽を受けて輝くので、直射日光だけでなくその反射光も加わり眩しかった。前から来る自動車が怖かった。向かってくる車が見えないのである。
そして夕刻というのはさんざん歩いて草臥れたころであり、爪先の内側に鉄の覆いが付いている安全半長靴のため靴がさらに重く感じた。足を引きずるようにして、職場に戻った。
徒歩による道路パトロールなどがちょうど冬の季節に恒例のように行われた。車の運転をしない私はいつも職場から近い場所を歩くが、カーブミラーの支柱の錆を調べるために36cmほどのバールと点検票を持ち歩く。バールを持っているので草臥れてもバスに乗車するわけにもいかない。一度疲れてバスに乗車したら、他の乗客が私の周りから離れていった。怪しい人間と認識されたようだった。それ以来地下鉄もバスも利用しなくなった。
しかも古手なので、職場から近いけれども広範囲を担当させられる。それはやむを得ないのだが、確かにかなりの時間と距離を歩くので帰りはきつかった。
登山やジョギングで鍛えていても、アスファルトの上を安全半長靴で歩くのと、登山で山道を歩くのは違う。軽い運動靴で走る衝撃ともまた違う負担が足首や膝にかかっていた。
今となっては楽しい思い出である。
新年会は無事に時間通りに終了。ホッとしている。会が終了してから、飲食ができなかった実行委員でささやかに慰労会兼食事会を1時間半ほど。本番も慰労会もおおいに盛り上がった。
私は例年のとおりに何でも担当兼最後の記念写真の担当。各担当の補助ですっかり草臥れてしまい、慰労会ではうつらうつら。
中華街は春節の最終日ということで、先週の土曜・日曜と同様に多くの人でごった返していた。私たちのような高齢者よりも若いカップルや小さな子どもを連れた家族連れが圧倒的であった。
みなとみらい線の駅構内の喫茶店で少し酔いを覚まそうとしたら、だいぶ寝込んでしまったようだ。慌てて店を出てバスにて帰宅。帰りは風も冷たくなり、かなり寒かった。
昨晩の「奥の細道」の書き写しは第31段「羽黒山」の段の前半の500字程度。この段は「奥の細道」のなかでももっとも長い。そして日付が入っている。
日付が記入されているのは、この段と日光、松島・石の巻だけ。六月三日と月まで入れているのはここだけである。
印象深かった名所に日付を入れたというのでは、平泉の段が抜けており、何かの意図があるようだがその理由は私にはわからない。しかも日付は六月三日羽黒山、四日俳諧興行、五日権現詣で、八日月山と四日にも及んでいる。
いろいろと想像を掻き立てながらの書き写しは楽しいものである。
本日の天候も昨日と同様に安定して陽射しが眩しい。ホッとしている。しかし中華街はかなりの人出と思われる。新年会がトラブルなく終了してもらいたい。