「おくのほそ道の書き写しを終えた。本日は午前中に第46段「種の浜」を終え、先ほど最後の段の「大垣」を写し終わった。
さらにまだ5頁ほどノートが残っていたので、「序章」と「千住 旅立」を再度書き写した。合わせて900字近く。意外と早く書けるようになったと思う。
字を書く右指の筋肉と肘から下の筋肉が少しだけ回復した証しかもしれない。慣れたと行ったほうがいいかもしれないが。
もう一つ言えることは、内容をよく覚えていると書くのも少し楽になる。
明後日から開始する「古今和歌集」の「仮名序」も書く予定のところは事前に読み込み、内容を理解してから書き写したいと思う。内容も理解しないまま、字を写すだけよりも、内容を反復して確認しながら書いたほうが身につくようだ。また「写すだけ」よりも効率的に字を思い出すことができそうである。
さて、「おくのほそ道」を書き終えて、気がついたことがある。文章は松島そして平泉を頂点にして、覚えてしまうほど格調高くそして優れた文章が連なっているのは前半である。しかし俳句は松島までとそれ以降では違いがある。特に山形に入り立石寺・最上川を下るあたりから、俳句は印象鮮明で絵画的な句となる。「夏草や兵どもが夢の跡」「早苗とる手もとや昔しのぶ摺り」という知識がないと理解できない観念的な句と、「五月雨をあつめて早し最上川」「暑き日を海に入れたり最上川」「荒海や佐渡によこたふ天河」などの句を並べるとわかるのではないか。句柄が変わったと思える。やはり、「おくのほそ道」は大きな転機となった旅だったようだ。