Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

肺炎球菌ワクチン

2023年02月18日 23時18分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 肺炎球菌のワクチンを接種しに出掛けたが、いつもより大勢の人で混雑している病院にびっくり。昼過ぎてもなかなか患者が減らなかった。私のように肺炎球菌のワクチン接種を受ける方も多かった。
 接種後、遅い昼食は近くのうどん店で冷やし納豆うどんを注文。納豆好きの私にはとてもうれしいメニューであった。一昨日のカレー南蛮うどんとは違ったおもむきの細いうどん。どちらも私の好みのうどんである。

 昼食後、少し遠回りをして横浜駅まで歩いた。横浜駅は土曜日なので混雑が予想されるので、少し離れた喫茶店でコーヒータイム&読書タイム。先ほどアップしたように「知っておきたい地球科学」の第2章を読み終えた。

 横浜駅の地下街を覗いたが、思った以上の人出。有隣堂で新刊本の棚を一回り見て、バスにて帰宅。昼過ぎに遠回りをして歩いたこともあり、10000万歩も歩いてしまった。少々膝に痛みが出てきた。
 体をずいぶん動かしたことになるが、有難いことに肺炎球菌ワクチンの副反応、副作用と思われる症状は出ていない。

明日は特に予定はない。膝の休養日としたいものである。

 いよいよ春も間近。このようにしがみついている葉も落ちて新しい新芽の緑に交代する時期が近付いている。

 


「知っておきたい地球科学」 その2

2023年02月18日 21時38分36秒 | 読書

   

 「知っておきたい地球科学 ビッグバンから大地変動まで」の第2章までを読み終えた。
 ミランコビッチ・サイクル、巨大火山噴火による寒冷化、マウンダー極小期など懐かしい言葉が並んだのもこの章である。政治の思惑にとらわれることなく、地球の歴史を見つめることの大切さを教えてもらっている。

地球を数十万年という地質学的な時間軸で見れば、現在は氷期に向かっている。過去13万年前と1万年前には気温が高い時期があった。平安時代は今より温暖だったが、14世紀からゆっくりと寒冷化が続いている。現在は寒冷化に向かう途上の短期的な地球温暖化かもしれないのである。‥地球の歴史を長期的に見ると、自然界にはさまざまな周期の変動があり、現時点の予測が大きく外れることも考慮しなければならない。国際政治や経済に振り回されることなく、地学の目で捉えるかきらこそ見えてくるものもある。
人新世」が地球科学で最先端の課題であることは間違いない。我々がこの地球とどう関わるべきかを考える際に、人新世というテーマから地球科学の学習を始めてみてはいかがだろう。


「追悼」に代えて

2023年02月18日 10時37分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の体温は平熱。肺炎球菌ワクチンの接種に支障はない模様。
 本日の夜から退職者会の3月号のニュースの作成を始める予定。
 先日亡くなった退職者会の元会長の葬儀の模様を裏面に記載予定。

 亡くなったのは、私がずいぶんと世話になったかたである。当時私のいた1000名ほどの職場の現業職場の領分がどんどん縮小させられ、職種そのものの存続の危機にあったときに、具体的に職域と人員と仕事を確保し、誇りを持って働き続けられるよう具体的にどうするのか、相談に乗ってくれたかたである。
 時期的にはちょうど、労働戦線の再編の中で、政治的・組織的判断の前に、泥臭く職域を守る取り組みを粘り強く推進することの大切さと、そのことをとおして全国的な労働戦線の再編に対する判断をする視点を教えてくれた。勇ましい政党が声高に主導する労働組合の再編論も大切かもしれないが、職場課題に具体的にどのような方針を提起するかが最も大切である。そのことを再確認させてもらった。
 当時私の属する支部の多数派は、職場を守る具体的な方針よりも「政治を代えて職場を守る・雇用を守る」という絵にかいたような方針を押し付けていた。
 そして職域を毎年縮小する提案を受け続けている私たちに「どうなっているんだ。そういう提案をさせない取り組みを行って、自分らの弱点を自分で克服しないと、結局負けるだけだ」「政党主導の方針ではなく、具体的な方針をきちんと示そう」「お前が頑張って多数派に負けない方針を出さないと現業職場は守れない」と強く諭されたものである。
 私の仲間が集めた全国の取り組みの教訓と、元会長が教えてくれる産別の取り組みの現実などを真剣に勉強させてもらい、自分の職場に生かせるものを必死に探ったことが懐かしい。
 共産党・社会党という枠組での労働組合の再編論議ではなく、職域を守る具体的な取り組みを提起しているのはどちらの組合か、という視点で、小さいながら新しい支部を立ち上げた30数年前が今のことのように思い出される。元会長はその時再建された7000名の組合の委員長。そこに合流した私たちが新しく立ち上げた支部は1000名の中でわずか130名そこそこだった。
 組合の分裂・再建の嵐の中で、「自分たちの仕事のことを家に帰って子どもたちに誇りを持って説明できるようになろう」ということを基本に、仕事を確保する取り組み、そのための危惧器材や原材料などの予算の確保、労働安全衛生法等の法の適用等々、怒涛のような20数年を経て、私は定年を迎えた。
 全国的には多数派の産別の中で、政令指定都市の職場の支部としては少数派ながら、私たちの支部がオピニオンリーターになったことで、闘争をリードできた。そうは言っても毎年人員問題では徹夜交渉が続いた。それでも結果として職域は残っている。それが私の自負である。
 元委員長=元退職者会会長は、その自負を植え付けてくれた大先輩である。歳は私よりも10歳上だが、大きな組織を担っただけに組合運動に関しては私よりも風格はあった。