Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「図書9月号」から 1

2023年09月02日 21時45分19秒 | 読書

 本日喫茶店で読んだのは、次の6編。

・[表紙] ダイアナ          杉本博司

・知るよ、たくさん(検索頼るし)    前田恭二

・冒険小説から探検小説へ コナンドイルの転回点
                   佐々木徹

・武器より暮らしを          柳 広司
「武器より暮らしを」。こともあろうにヒロシマで〝作戦会議〟(広島G7)など、どう考えても狂気の沙汰だ。当たり前の話を当たり前にすることがこれほど困難な世の中が来るとは思っていもいなかった。

・いま狭山事件を問うこと       黒川みどり

・牧野富太郎と植物の漢字       円満字二郎
「桜」「菫」「馬鈴薯」といった漢字で書かれた植物の名前は、本来は中国語であり、それが指している植物は、日本語で「サクラ」「スミレ」「ジャガイモ」などと読んでいる植物とは、分類の上で異なる。‥同じ漢字で下記表されていても、中国語としての植物名と日本語としての植物名との間には齟齬があることに気づいたのは、牧野が初めてではない。江戸時代を生きた錚々たる面々の奮闘の物語がある。‥江戸時代の日本では、植物を専門的に扱う学者だけでなく、言語学者や政治家も含めたさまざまな人物が、中国や朝鮮半島の人々の助けも借りながら、植物に関する知識を蓄積していった。牧野富太郎が日本の近代的な植物分類学の父であることは間違いない。しかし、彼が立っていたのは、江戸と明治の植物学が交わる地点だった。

 とりあえず本日はこの6編だけ。喫茶店ではスマホの作動が上手くいかずメールチェックに手間取ってしまって、この6編を読むのが精一杯であった。残りは明日以降。この雑誌、最近はアジテーション的なものも混じるのが、気になる。

 こののち、妻と落ち合い、蕎麦屋さんで夕食。今年の夏2回目の蕎麦掻きを注文して満足。


関東大震災の教訓

2023年09月02日 14時43分52秒 | 読書

 午前中は団地のボランティア活動をされているかた達にスポーツドリンクの差し入れ。暑いさなかに大変苦労をされている。足が悪くなってもう3年も私は活動に参加していない。申し訳ない気分である。

 午後からは「九相図をよむ」の第3章の残りを読み終えた。読み終えてから「神奈川総合法律事務所」の出している「事務所だより」に目を通した。事務所所属の野村和造弁護士の「関東大震災100年」は勉強になった。
 野村和造弁護士は私どもの労働組合が全労連系の分裂組織と組織戦争をしているときに大変お世話になった弁護士であり、労働組合を側面から支えてくれた。同時に私どもの立ち上げたばかりの支部の組合員の生活相談にも親身になって相談に乗ってくれた。
 組合運動を私が卒業して、退職者会活動に携わっている現在もニュースなどに幾度か法律問題で寄稿してもらっている。

 すでに多くの方が知っていると思われる関東大震災の時に「朝鮮人を殺せ」と叫ぶ千名もの群衆に囲まれた当時の鶴見署の大川常吉署長が、署内に匿った中国人や連行された朝鮮人多数を命を賭して守った話(「震災美談」(中島司著、大正13年)、国会図書館のウェブサイトで閲覧可)の内容の紹介をしたのち、次のように述べておられる。

恐怖や不安がある時、そして危機が深刻なほど、様々な情報に踊らされやすく、それに予断や偏見が大きな役割を果たすことになる。東日本大震災でも、新型コロナのもとでも間違った情報が広がった。いかに正しい認識を得て、流言が広がるのを阻止できるのか日々の努力が必要。
チェコのカレル・チャペックは関東大震災について新聞のコラムで「第一次世界大戦の恐ろしい災害の後ではたいしたことではないかもしれず、あまりに遠くの出来事であるが、地表に起きたこの波に、全世界の人間の心の波に応じないとしたら、恐ろしく皮肉なことである。心の波とは連帯の波のことだ。」と述べている
100年前の関東大震災の時も、アメリカをはじめ、中国やキューバも含むほとんどの国から援助がなされた。義援金、救援物資、救助隊、励ましが送られた。しかし、そのしばらく後には日本がこれらの国に対して戦争を始めることになりました。今、東日本大震災の時に、国内外の様々な人が心を寄せてくれたことを思い出し、その心を決して忘れてはならないと改めて思います。」(引用はいづれも要約個所を含む)

 今回の汚染水排出とそれにともなう中国の輸入禁止という反応も、そして韓国政府とは違う韓国世論の反発も、南太平洋諸国の怒りも、日本国政府の拙速な外交の失敗が大きな要因であると私は思っている。もともと原発の廃炉の道筋もデブリの処理も具体的な見通しもなく、場当たり的に「タンクの場所がない」だけで結論付けるのではなく、国際的な議論を経るという前提をこなしてこなかった日本政府の場当たり的な対応が根本的に間違っているのである。
 中国共産党の主張などは評価にも値しないが、そのような結論にしてしまう中国共産党のあやうい基盤、アメリカの愛玩犬のようになってしまったここ十数年の日本政府の体たらくと、近隣国とのパイプを独自に持たない岸田外交の失敗を見せつけられている。これに付き合わされて、「またいつか来た道」に引き込まれることは勘弁してもらいたい。
 ナショナリズムの衝突は、論理・理論・そして理性では解決はつかない。感情の暴走になったら止められるのも止めらない。そうなる前が大切な時期である。喧嘩は相手が感情的になればなるほど、冷静に理性的に対処することが肝要であるのは論を待たない。

 残念ながら、「地震や火山などの自然災害よりも本当は人間が一番怖い」のである。そして「人間を怖いものにするのは戦争であり、それを煽る政治家である」。政治家の責任は極めて大きいのである。

 


ヤモリとゴキブリ

2023年09月02日 10時00分14秒 | 近くの自然

 昨日は「九相図をよむ」(山本聡美)の第3章の8割ほどを読んだ。いよいよ第4章から具体的な九相図の読み解きになる。
 なかなか見るのもつらい図ではあるが、途中で読むのをやめられないのが私の性分。最後まで読みとおしたい。
 明日は第3章の残りを読み終えてから、本日配達された岩波書店の広報誌「図書9月号」を読んでしまいたい。

 昨日の夕方帰って来た時に、北側の外壁にヤモリが貼りついていた。よく見るとすぐそばに少し大きめのヤモリもいた。親子だろうか。小さいほうはスルスルと私から遠ざかるように動いて、草むらから床下に通じる格子のある穴に入り込んで見えなくなった。大きい方は貼りついたまま。なんでも二ホンヤモリは一部都道府県では準絶滅危惧種に指定されているらしい。
 そして夜の散歩からかえって北側の外壁をじっくりと探したが、ナメクジは見かけなかった。日曜日からの雨でまた出てくるような気がしている。スプレイでナメクジを退治する役はとうとう私に押し付けられてしまったようだ。
 ゴキブリは見かけなくなった。ヤモリに捕食されているのかもしれない。しかしあの小さな体と口でチャバネゴキブリをどのように捕食するのか、いつも疑問に思っている。あまり見たくはないが。