Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「‥重くて遠きものを見ず」

2020年06月26日 11時42分17秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 快晴、晴、ではなく曇り空。風がない。ときどき太陽が顔を出す。このくらいがちょうどいい。昨晩の雨は朝まで続くことはなかったようだ。
 だが雷・強風注意報が出ている。午後からの降水確率は20%のままであるが、「ところにより雷雨」という表現もある。

★梅雨の靴重くて遠きものを見ず     加藤楸邨

 1967(S42)年の句。歩きくたびれたときの句であろうか。前後の句の並びからは特に旅行や山歩きのときの句ではないようだ。確かに歩きくたびれると人は俯いて足元ばかりを見てしまう。街中でも同じ。湿気が多い梅雨時、まして遠くなど見る気もなく人はとぼとぼと歩く。梅雨時の陰鬱な街中の風景と、人の心が重なる。ひょっとしたら加藤楸邨らしい社会批判が込められているのか、と思う。「ものを見ず」という主体的に見ないという精神を指している。「見えず」ではない。これは何を言おうとしているのだろうか。というのはうがちすぎかもしれないが‥。

 ここから先は私の回顧。
 この句とは違って1967年は、わたしが自覚的に世の中に関心をもちはじめた時期。国内では水俣病が告発され、メチル水銀が原因であることが明らかとなったのが6月の梅雨の最中。同時に企業と政府の隠ぺい体質が暴露された時期である。この年ベトナム戦争がますます激化し、そして7月、アメリカでは白人警官による黒人暴行をきっかけに抗議行動が活発化し、公民権運動がベトナム反戦運動とともに激化し、アメリカ国内は騒然としていた。
 ヨーロッパのチェコスロバキアのドプチェクの「人間の顔をした社会主義」のスローガンによるプラハの春が胎動を始めた時期でもある。私の目は足元から遠くへ、国内と世界の「遠く」を見つめ始めた時期である。
 「‥重くて遠きものを見ず」は私に半世紀以上前のわたしのを思い出させてくれた。そして半世紀以前と現在の日本を含む世界の在り方が重なって見えて来る。
 差別、企業と政府の癒着と隠蔽体質、汚職‥。社会システムが危機になるほど日本でも世界でもますます露骨になる。
 



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