久しぶりに旧東海道を川崎宿方面に歩いた。旧東海道といっても洲崎神社から北は現在の国道15号線の中に敷地がある。先日大型トラックと京急線の衝突事故の起きた神奈川新町駅の踏切で、亡くなった運転手に手向けた小さな花束とお供えの水の前で合掌してから子安駅まで行って、再び同じ道を引き返しきた。
先日の事故の現場は小さな花束とペットボトルの水がなければ事故のあった場所とはわからない。もう忘れ去られようとしていることに何とも言えぬ感慨が湧いた。
労働災害であることに違いはない。なぜあの道に入らざるを得なかったのか、そして最善の対応はどうあるべきだったのか、という教育・指導は行われていたのか、この議論がどこからも聞こえてこない。
ことほど左様にあっという間に人の死は忘れ去られていく。場所の記憶とともに頭の中の引き出しにしまっておきたい。
しかし68年も生きているとこの人の死の記憶ももう抽斗から溢れるほどになり、やはり記憶は難しいのかもしれない。人の死にまつわる教訓は、それを生かすということと、供養することとは別にものなのだろうか。
ウォーキングから戻ってから一息ついて妻と外食。といってもいわゆる街中華。生ビール一杯ずつと、横浜ならではというサンマーメンと餃子と麻婆豆腐各ひとつずつ。60代後半の夫婦二人ではこれで余るほどである。麻婆豆腐は注文しなくてもよかったかもしれない。
昔は、あのトロミのついた野菜が載った麺は、川崎・横浜以外では供されることはなかったと聞きました。
(追)ネット情報だと、1930(S5)年聘珍楼が始まりらしいですね。
神奈川県南部(小田急線より南側)で供されることが多いとのこと。
街中華。いいですな。サンマーメンか‥横浜ならでは、の意味が、ちとわからない。サンマーは、いつも大盛りだった。今は糖尿なのでやらないが、食べたいものだ。