昨日までに読んだのは、第5章「戦国から桃山へ」、第6章「桃山風俗画の満開」。本日読んだのは第7章「初期風俗画の爛熟」。残るは第8章「風俗画としての浮世絵」とあとがきのみとなった。
「風俗画は近世になって突然現れたものでなく、それまでに培われた風俗描写の伝統の上に花開いたものであること、というよりもそれ自体興味つきないものである・・・・。」(第5章)
「近世風俗画の展開は、寛文年間(1661-73)のあたりを境に、前後の二段階に分けられます。前にあたるのが、近世初期風俗画で、障屏画を主な画面形式として、上方でつくられました。日本風俗画上の文字通り黄金期・・。寛文以降の風俗画は、中心の場を江戸に移して、菱川師宣に始まる浮世絵にその展開を求めています。障屏画ではなく、木版挿絵が発展した一枚摺りの版画が浮世絵の画面形式の特色・・・。優れた芸術性はさておき、不ヴく描写の生き生きとして性格という観点からすれば、型にはまって後退したといってよい・・・。日本風俗画の最盛期を近世初頭においてよい。」(第5章)
「慶長風俗画の描き手は主に狩野派です。・・・慶長風俗画の魅力は、何と言っても画中の人物たちの明るさ、健康さです。」(第6章)
「慶長風俗画の画中人物は明るく典雅です。だが慶長の末から元和にかけての時期(1610年代)を境にして、風俗画の世界に新しい波-卑俗化の波-が打ち寄せ、変質させています。」(第7章)