台風の影響で「後の月」(旧暦9月13日)は10月11日で月どころではなかった。白内障の手術、親の発熱、台風と慌ただしかった。そこで本日になって「後の月」で歳時記を捲ってみた。名のある俳人の句に対して失礼を承知で図々しく、わたしなりに。
★静かなる自在の揺れや十三夜 松本たかし
★月よりも雲に光芒十三夜 井沢正江
第1句、「自在」は囲炉裏の上で鍋などを吊るす自在鉤のこと。名月が華とすれば、もの淋しさの募る枯葉のイメージに近いかもしれない。秋の深まりを感じさせるのが十三夜。難を言えば「静かなる」と「十三夜」は「静か」というイメージがダブる。それでも取り上げたのは、一般的には熾きた炭などに視線が誘導されがちのところを自在鉤の揺れに着目した点が私には新鮮に思えたから。
「静か」という語に「気持ちの隔てを取り払う温み」を込めて読んでもらえれば、作者の意図は通じるのかと思った。でもそれならば「静かなる」以外の形容が私には欲しい、とも思う。
第2句、写生だけの句、といわれればそれでおしまいになるが、「光芒」が気に入った。雲のない快晴の空の月もいいが、立体感に欠ける。雲があることで数百メートルから数千メートルの雲の立体感と、無限遠点の月の不思議な遠近感が「光芒」という二字に込められていると感じた。
「月」と「十三夜」と月がダブるのに主役は雲、雲の形状・表情や奥行き感など不規則なものほど人はそちらに惹きつけられる。「月よりも」を何かに変えてみたくなってきた。
月だって満ち欠けと季節感を絡み合わせれば365日以上の表情がある。しかし雲の表情は一日24時間だけでもそれこそ無限である。極めて薄い大気圏の層の中の水蒸気の塊の表情でしかないにもかかわらず‥。
両句とも難を上げられるが、わたしには惹きつけられるものがあった。