ドビュッシーの「12の練習曲」ならびに同時に収録されている3曲を3度程聴いてみた。多分これまでならば1回で聴くのをやめていたと思う。
何となくこれまで馴染めなかった理由が少しだけわかったような気がした。まず強弱のレベル差が一つの曲でとても大きいこと。それも短い曲のなかで突然に強くなる。またテンポの変化がとても早いこと。総じて変化がとても大きい。
この曲のテンポの早さではなく、変化の早さに私の頭がついていかなかったのではないか。それは現在も同じである。
ドビュッシーの曲というのは多分メロディーや和声の進行とは無縁に近い。散りばめられた音が光の散乱のように浮遊する。流れというものは時間に従うのではなく、空間での光の点滅のような秩序に従う。時間の流れに従うような秩序とはちょっと違う。音の点在の変化はテンポの変化、音の強弱の変化として捉えられているように感じた。むろんメロディー的に時間の流れに沿うフレーズもたくさんあるのだが、そうではない要素に自覚的でないと聴き続けるのは難しいのではないか。
そのような手法に無自覚で、旧来の音楽のように聴いていた私がついていけていなかったようだ。
この感想が正しいもので、的を射ているかの検証もまだしていない。そのような感想の上にたって、私の感覚とマッチしそうな曲を探してみたい。