横浜駅近くの喫茶店で一服&コーヒータイム&若干の読書。「老いのかたち」(黒井千次、中公新書)の第二部を少々。
いづれの文章も身につまされる老いの現況を捉えている。言い方は良くないが、他愛もない言い回しの分かりやすい文章であり、そして語られていることには、普遍性と共感とが同時にもたらされる。
「一円玉の気持ち」と「友を送る-―これも同窓会」は特に心に残った。
「落とすのではなく、落ちるのである。」に始まる「一円玉の気持ち」は実に身に迫る。「このままで行くと、いつか自分の存在まで自分から落ちてしまうかもしれない、と心配になる。しかし落とすのではなく、自然に落ちるのであれば、それはそれで仕方がないか、と一円玉の気持である。」
たしかに、物を落とすことが多くなった。自分の意識としては、「落とす」ではなく「落ちる」のである。手が滑って落とすのではなく、意識の上では手から勝手に物が落ちていく、という表現のほうが当たっている場合が多くなっている。
妻にいつも言われる。食事中に、箸からおかずを落とす、と。しかし箸から落ちてしまうのである。ここら辺の微妙な違いにこだわっている自分がふと情けなくなるのである。
「友を送る-―これも同窓会」も心に残る。
ここ数年、葬式は実に簡素になった。家族葬・密葬・直葬が多くなり、葬儀に同窓生が集まることもきわめて少なくなっている。とても寂しい。
「同窓会や同期会には、生きている仲間たちが生きていることを確かめに出かけてくる。学校友達の葬儀は、その中の一人が居なくなったことを悼みに参集する。逆方向をむいた集いのようではあるけれども、二つの間にあまり隔たりはないのかもしれない。」
生存確認の同窓会など以上に、死んだものを中心とした葬儀は、より時代を共有したことの再確認がしやすい場でもあると思ってきた。
この本は、一気に通読するよりも、眠れないときなどに手にすることで読み進めたい。
おっしゃる通り、寝しなにもってこいです。
ガツガツと慌てて読むものではないですね。
またいづれ気に入った個所がありましたら感想なんぞ書いてみます。