午後から「画聖 雪舟の素顔」の第1章「天の橋立図の謎」(朝日新書)を読み終え、第2祥「雪舟あらわる」の半分ほどまで。
「雪舟のスケッチの目的は別にあったのではないか‥。一色氏の本拠である丹後府中の細かな情報を伝えること。それを求めたのは、雪舟が仕えていた、山口の大名・大内義興だった。‥「天橋立図」はいわゆる「ゲイジュツ」ではなかった。アーティストの李禹煥(リ・ウファン)は、雪舟だ大好きだけれど、「天橋立図」は全く認めない。‥李さんが絶賛する「秋冬山水図」の内の一幅とはまったく感覚が違う。‥それは「文雅」と抱き合わせになった「軍事」であり「政治」だったのだと思う。」(第1章「天橋立図の謎」)
80歳を超えた雪舟が周防を拠点とする大内氏が足利将軍を擁して上洛するために、一色氏の協力を得てその拠点である丹後半島の詳細地図を手に入れるために雪舟に依頼したのがこの図であるとの見解である。
難点はでは戦闘となる候補地の他の地図はどうなっていたのかの検証が無いことであろうか。しかし確かに「芸術」作品とは違う書き込みや、あまりの詳細な描写、風景の再構成などがないことの理由にはなると思える。