「万葉集講義」(上野誠、中公新書)を読み終わった。
久しぶりに万葉集の収録歌を味わった。万葉集は評者によっていろいろな解釈が出来、そのことで読む側の想像も広がり、それが私の思考を刺激してくれる。読み方、時代の考証、歌の発生、万葉集の出来方などなどまだまだ確定できないこと、決めつけてはいけないことなど、それが魅力である。
作者の主張や論考にすべてに同意するわけにはいかないが、私にそれを批判するだけの知識も研究成果もない。いったんは受け止めて、私なりの万葉集の像を少しずつ作り上げるだけである。
この本には各章のまとめが丁寧に記されているので、それを私なりにさらに短くして羅列して、復習してみる。
第1章「東アジアの漢字文化圏の文學」では、
① 日本語を母語とした人々は幹事を学び、東アジア漢字文化圏の一員となり、漢字の導入とともに「歴史」も誕生した。
② 漢字による表記法は、文脈によって訓(よみ)を決定するという不安定で、法則性のない方法であった。
③ 漢字で歌が表記されると、一回生起的な感情を表現するものとなる。歌が個人のものとなり、作者が誕生する。
④ 一回生起的感情を遺そうとする欲求が生まれ、歌集を生み出す。
第2章「宮廷の文学」では、
⑤ 巻1と巻2は歌によって宮廷の歴史を振り返る歌集
⑥ ⑤の編纂者は「日本書紀」を参照し、その流れに沿って配列。「書記」が宮廷社会における歴史認識となっていた。
⑦ 内容は宮廷儀礼と宴に関わるもの
⑧ 内容は歌の表現にも及ぶ
第3章「宮廷官人の文学」では、
⑨ 万葉集は律令国家形成期の文学であり、律令国家は漢字によって運営される法治国家を希求していた。
⑩ 少年期から漢字を学んだ律令官人たちは地方に赴任し、宮廷文化と歌を地方に伝えた。
⑪ 地方に赴任した国司と現地の郡司たちは歌で交流した。
⑫ 律令官人には高い儒教的倫理規範が求められ、その文化は精神世界に及んだ。
第4章「京と地方をつなぐ文学」では、
⑬ 天皇から庶民までの文学のように見えるが、上位者の会社に対する慈愛を表現するもの。いたずらな理想化は禁物であり、平等社会希求は誤り。
⑭ 地方の郡司層に漢字文化が普及し、上京者と交流し共感する観点から分析したい。
⑮ 防人歌・東歌も宮廷文化の地方への浸透から生まれた地方文化の精華と見ることができる。
第5章「『万葉集』のかたちと成り立ち」では、
⑯ まず、巻1と巻2が出来、次に巻3と巻4、そのあとに巻5~16が形成された。それに末4巻が接続された。宝亀二(771)年以降に最終的な編纂が開始された。
⑰ 巻1~6は歴史志向で編纂。これは万葉集全体の及ぶ志向性。
第6章「『万葉集』の本質は何か」では、
⑱ 古今和歌集が万葉集から受け継いだものは、短歌体という歌体、恋情発想、四季の文学。巻8、11、12の世界である。
⑲ 平安時代は「万葉集」は勅撰集として信じられていた。やがやまと歌は唐風文化に対する日本文化のシンボルになった。
⑳ 奈良に幽閉されていた平城上皇が奈良時代を締めくくる天皇と目されていた。
㉑ 「万葉」という語には、「万世」の「これからも重なって続いてゆけ」という願望も含まれた語である。
実証部分まで、並びに第5章については、いろいろと勉強になることが多かった。第6章の後半については、いろいろと議論はありそうである。
気になった個所は明日にでもまた引用しておきたい。