「西行 歌と旅と人生」を読んでいる。「5.西行と旅」、「6.山里の西行」、「7.自然へのまなざし」まで読み進めた。
今回は「桜」や「旅」の歌よりも、山里での生活で詠んだ歌や自然詠にどういうわけかとても惹かれている。著作者の引用の仕方にもよるのだろうか。「旅」の歌が少し感傷に過ぎるように思えた。
★きりぎりす予寒に秋のなるまゝに 弱るか声の遠ざかりゆく (新古今集)
★岩間とぢし氷も今朝は解けそめて 苔の下水道もとむらむ (新古今集)
★ほととぎす深き峰より出にけり 外山のすそに声の落ちくる (新古今集)
どういうわけか新古今集に取られている歌が多くなっている。とくに「弱るか声の遠ざかりゆく」という歌の、秋の深まりとキリギリス(コオロギ)の生命の弱まりを「遠ざかりゆく」という物理的距離に転換していることが新鮮に感じられた。
一方で山里での生活や、自然詠でも
★山里にうき世いとはむ友もがな くやしく過ぎし昔かたらむ (新古今集)
★心から心に物を思わせて 身を苦しむる我が身なりけり (山家集)
などの西行らしい感傷の勝った歌も多数あるのだが、今回はあまり惹かれなかった。