ごく短いながら「古今和歌集仮名序」の書き写しの続き。100字に満たない段落だったが、まったくしないよりはいいだろうと思い写した。本日の個所はひらがなが割と多く、漢字は少ない。
漢字、仮名の歴史の中で私がいつも感心するのが、音や訓の区別というよりも、訓読みの場合の送り仮名という発明である。平安時代初期には既に現在に通じる送り仮名の基本ができあがっている。この仮名序でも送り仮名の現在に通じる送り仮名のあり様が伝わってくる。この送り仮名が確立して、漢字が日本語の表記に定着できたと思う。
さて、明日はロシアのウクライナ侵攻から1年。「ウクライナに平和を」ということで日比谷野音での集会がある。雨が降る天気予報になってしまったが、明日は退職者会の責任者の一人として参加予定。
集会のスローガンは、「ロシアの即時撤退、原発に手を出すな、核使用という恫喝は許さない、すべての戦争と戦争準備に反対」となっている。主催は「戦争をさせない1000人委員会」等の3団体。東京駅までの銀座デモは膝の具合を見ながらの判断。
ウクライナ和平の前提はどう考えても、ロシアが軍を撤退させることが前提になる。これではロシアは納得しないので、和平の提案にはならない、という意見があるが、武器を持たない私たちは、このような世論を盛り上げるしかない。
1967年のプラハの春から22年後の1989年、チェコスロバキアのビロード革命がいつも私の頭の中にある。1967年のロシア軍戦車部隊以上に凶暴なロシア軍ではあるが、戦車で人を支配することはできない。このことを22年かけて証明した世界史的なチェコスロバキアの独裁政権崩壊、そして同じ年に28年間の分断の象徴だったベルリンの壁の崩壊と東ドイツ政権の崩壊、この教訓は大切である。
歴史の教訓化が苦手と揶揄される日本であるが、そうではないことを期待するしかない。いくら「甘い幻想」と言われようと、若い人に伝え、そして手放したくない教訓である。
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