Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

佐藤哲三の画

2010年08月08日 17時03分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日佐藤哲三の画のことを洲之内徹の評価とともに掲載した。
 2005年の神奈川県立美術館の佐藤哲三展のカタログでは、遺作とも言うべき「帰路」は2作品ある。

佐藤哲三「帰路」個人蔵


同「帰路」新潟県立美術館蔵 


 「帰路」は前者の個人蔵のものと、新潟県立美術館所蔵のものと二つある。いづれも1954年作だが、一般に遺作というと前者の方のようだ。洲之内徹が「みぞれの二番煎じだし、密度がなくて、絵が水っぽい。なんとなく、枯野生命力が尽きかかったことを思わせる」と記している。それは二つの作品ともそのように判断しているのだと思うが、私は、県立美術館のものの色が好きだ。確かに前者は新潟の冬の様子、それも日がかなり落ちた時刻の様子を描いているようだが、私の目からは、空の青と赤に対して地面が少し明るすぎるようだ。
 後者の「帰路」は夕焼けによる最後の残照のようで、色や明暗のバランスがこちらのほうが良いように思う。
 確かに「みぞれ」に比べれば、画面全体の色のバランスや人の動きなどは、「みぞれ」の方が良いといわれればそうかもしれない。

同「みぞれ」個人蔵


 しかし描かれている人の方向は「帰路」は題名どおりに一方向で、しかも個人蔵の方はかなりうなだれている。人生の最後の力を込めた作品としてみれば、人の列の重い歩みと、遅い残照のよう雲間の微かな赤と、たもの木の特徴或る形が何ともいえず目を引くことは間違いがない。
 好みの問題として私には、この二枚の「帰路」ともに好きだ。むろん「みぞれ」も心を打つ作品であることは間違いがないが‥。

本日の俳句(100807)

2010年08月07日 20時26分41秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★鳴ききって目には空あり蝉骸
  旧東海道品川宿品川寺
★夕蝉のするどき一声山門へ
★蝉時雨にかなう一木大銀杏

 昨日は佐藤哲三の絵を見て、洲之内徹の佐藤哲三に関する文章を二本読んだ。
私は遺作ともいうぺき「帰路」が好みだが、洲之内徹は「みぞれ」の方を高く評価している。「帰路」は「水っぽい」との表現であった。鑑賞眼は間違いなく洲之内徹の方がずっと上であるので、素人の私が出る幕ではないが、私は「帰路」の方が好きだ。

東京国立博物館記念講演会

2010年08月07日 19時02分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は「誕生!中国文明」展の記念講演会の最後。「美の競演ー中国河南省の文物」と題して、東京国立博物館の松本伸之氏の講演。
 玉、青銅器、漆器、金銀器、陶磁器、書までは進んだが、残念ながら美術の項までいかずに時間切れ。
 古代の中国絵画についての講義に及ぶと期待していたのだが…。

 高望みはしないことにしてあきらめ、品川から大森海岸駅までウォーキングしながら帰宅。

本日の読書

2010年08月06日 20時58分15秒 | 読書
俳句誌「軸8月号」
会員になってはじめての配本。

本日の読了
「倭人伝を読みなおす」(ちくま新書、森浩一)
 中国の魏朝は、倭の統一を望み(女王国と狗奴国との統合)卑弥呼を見限り、「難升米」を女王国の後継代表として扱い、「張政」という中国人を帯方郡より卑弥呼の使者とともに派遣し、卑弥呼は自死を含めた「非業の死」を遂げさせられた、張政は19年後に帰国し張撫夷という名で、倭での論功により帯方郡の太守になった、という所論まではついて行ける。 しかし卑弥呼後の混乱により台与とその後見の張政により東遷し、19年で奈良盆地のヤマト政権誕生となったとする。神功皇后と台与を結びつける所論にはいささか、強引さが見られる。
 森浩一氏もすでに81歳を超えたと聞き、40年近く前に沖縄論の頃に氏の著作をいくつか読んだことが懐かしく思われた。

「俳句」にまつわる読書

2010年08月05日 21時16分02秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 俳句については、子規や蛇笏の俳句を始めに習う。そして中学校の古文の時間で芭蕉の「奥の細道」を習う。私もそのようにして俳句に親しんできた。
 古文では平家物語と方丈記、奥の細道の冒頭の部分を暗記させられるのが普通だろう。暗記させられる文章としてはその外では「日本国憲法前文」くらい。英語でもいくつかの詩を覚えさせられたかもしれないが記憶にはない。私はいづれも今でもふと口ずさむことがあるし、忘れていてもその文章を眼にすればスラスラと次が出てくることもあり、良かったと思っている。
 さて「図書8月号」で高橋睦郎氏が、奥の細道について「目的は西行の鎮魂かといえば、そう取れなくはないがむしろ、西行より1年早くに衣川で庇護者であるはずの藤原泰衡に急襲されて死んだ源義経の鎮魂と考えるほうが自然でありましょう。事実、『奥の細道』の頂点は「夏草や兵どもが夢の跡」を含む平泉の段にあります。」「『奥の細道』は紀行文とされるが、それでいいか。その結構および結晶度の高さは、紀行文を超えてむしろ極めて独特な叙事詩、段ごとに発句という抒情詩を核に据えた叙事詩と捉えるべきではないか」と書いている。
 私もまったく同感だと思う。俳文としての語調・緊張は山寺や、月山での体験が二度目の山をなし、象潟を最後の山として、徐々に緊張感というか文章の完成度が下降していくような気がしていた。前半の大きな山は平泉であるとともに「奥の細道」全体から見て、初めから平泉までがとても完成度が高く緊張感に満ちた文章だと思っていた。
 「むざんやな甲の下のきりぎりす」は斉藤実盛を詠み込んでいる。西行が通奏低音のように響くのにのせて、義経の悲運の死を頂点とした源平の合戦のおりの武将逹の鎮魂というのは、私には大いにうなづける論である。

本日の俳句(100803)と好きな句

2010年08月03日 22時55分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連
本日の俳句
★ビル風も日傘は垂直真昼時
★影の濃き遊具に満つる暑熱かな
★炎帝や遊具に赤き錆匂う

 昨日読んだ「みすず」8月号の「賛々語々 千人が手を」(小沢信男)に
☆千人が手を欄干や橋すゞみ(其角)
☆いざいなん江戸は涼みもむつかしき(一茶)
の句が引用されていた。前者は隅田川の花火を見るために両国橋に大群衆が欄干に手をかけて見ている様子であるとのこと。後者は江戸での36年の果てに信濃の郷里に帰った年の作とのこと。江戸での敗残の思いが込められていたかもしれないが、一茶の本領は帰郷後であることもまた事実。
 私が引かれたのは、其角の句。俳句の題材や誇張表現はいかにも作者らしいようだが、それよりも語法が新鮮に感じられた。「千人が手を」が何ともいえずギクシャクとしつつ収まっている不思議な語調だ。
 「橋すずみ千人が手は欄干に」ならばフラットな流れだが、千人に眼目があり、情景の焦点は人だかりに合わさる。しかし「千人が手を欄干や‥」となると欄干にかけられた手に焦点が合っているようだ。頭や顔が千そろうよりも、千人分の手が欄干にかけられている方が、不気味でもあり、人の犇めき合う姿が浮かび上がる。さすが!と声をかけたくなる。

香月泰男のシベリア・シリーズ(12)

2010年08月02日 20時58分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
黒い太陽(1961)

 「真夏の太陽は草原を焼くがごとく照りつける。夕方西南の地平を転ぶように沈む時、いつも大きく見えて美しかった。しかし敗色日に濃く、緊迫感を増すにつれ、太陽は自ら希望の象徴であることをやめたかのように、その赫光さえ失って中天に暗黒に見えもしよう。」

 昨日書いたような背景で、敗色日に濃い時期を描いたと思われる。同時にシベリア・シリーズで太陽を描いた最初になると思われる。私の持つ47点のシベリア・シリーズではその後、朝陽(1965、(3)にて既出)、雨(1968、(10)にて既出)、青の太陽(1969、(2)にて既出)、日の出(1974)、月の出(1974)など太陽や月等を主題にして、中心にそれらを描くシリーズの先駆けである。作者には大きな印象を与えた主題のようだ。太陽も月も、穴から見上げる青空も、救いの象徴であり、これが曇ったり砂塵にかすむことは不安と絶望の予兆として描かれている。
 すでに書いたが、香月泰男の絵は俳句的である。多くのものを削り、象徴的な題材を一点に絞り中心に据える。中心的な題材は暗喩のように不安と絶望の当時を執拗に描いている。その手法が私の好みと合致する。

 香月泰男の回顧展は1995年3月から横浜のそごう美術館で開催され、この時のカタログによりこのブログを続けてきた。この展覧会ではシベリア・シリーズ57点の内、47点が出品された。その47点の内12点が敗戦日前に題材を得ている。
 人は香月泰男のシベリア・シリーズは、名前からしてシベリア抑留を主としたシリーズと考えがちであるが、実に20%を超える点数が敗戦日以前に題材を得ている。このことが香月泰男の絵の価値を高めていると私は思う。戦争を実に総体として相対化していることと、そのために敗戦という不安の時期、抑留という不安と絶望と裏切りの時期を生き抜き、そして執拗にこれを絵にすることはできなかったと私は判断する。

 とりあえず敗戦日前に題材を得た12点の紹介を終えたので、シベリア・シリーズの紹介は一旦休憩とする。残り45点を長々と続けるのも考え物と思い、残りは私の極めて印象に残っているものをいくつか抽出して紹介し、自分の感想を述べることとしたい。

 なお、シベリア・シリーズ以外でも私の気に入った作品は幾つもある。それも時間が許すならば、感想をまとめてみたいと思っている。

本日の読書

2010年08月01日 22時51分00秒 | 読書
1.「図書8月号」(岩波書店)
2.「みすず8月号」(みすず書房)

1では「対談 言葉の整体」(加藤典洋・高橋源一郎)、「一年有半」(復本一郎)、「一粒の柿の種」(坪内稔典)、「鎮魂から新体の詩」(高橋睦郎)
2では「千人が手を」(小沢信男)、「老人医療の世界-精神医療過疎の町から9」(阿部惠一郎)
以上が心に残った。


香月泰男のシベリア・シリーズ(11)

2010年08月01日 18時06分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
煙(1969)

 題名の英訳では「Train Smoke」と明確に汽車の黒煙としている。
 「所属部隊のある東山台地から見下ろすハイラルの雪原を黒く太い煙を吐きながら、チチハル向けの汽車が走る。消えにくい汽車の煙が流れる遥か彼方に、奉天が、朝鮮半島が、そして更に日本海を経て、夢にまで見る故国がある。」

 私は初めどう見ても煙に見えなかった。題名の英訳を見ても何の絵かわからなかった。ようやく右上の汽車が吐き出した煙がとぐろを巻くように螺旋状に空に昇り、左下のあたりで煙が半透明になりかけているところかと合点した。一旦理解できれば、形はもう既知のような錯覚を与え、作者の言葉が迫ってくる。
 作者は、天皇ファシズムの野蛮な理念ならざる理念など鼻から眼中にはない。ないと言えばうそになるとするなら、歯牙にもかけていなかった。そんなものに生死を牛耳られ、人を殺すことを強いられ、抑圧者として中国の人々に嫌悪感をもって迎えられ、下手をすると銃口をそちらに向けなければならない場面に出くわされたかもしれない一市民である。
 戦況が極めて切迫していることは理解していただろう。そして敗戦を迎え、不安が最高潮に達し、捕虜としてシベリアに送られる中での不安と絶望、人間の負の場面を潜り抜けしたたかに生き抜いてきた経歴を持つ。
 私は、銃口を人に向けなければならないかもしれないという不安、戦争の先行きへの不安が昂進する状況を列車の進行とパラレルに見た。それは勘ぐり過ぎとの批判もあろう。しかし展覧会ではそのように見えた。

蝉時雨

2010年08月01日 10時56分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 梅雨明け後、いくつか蝉の抜け殻を見たり、蝉の死骸を見た。しかし蝉時雨といわれるような状態は昨日まで記憶になかった。梅雨明けの猛暑・酷暑は蝉にも過酷だったのか。
 昨日ようやく昼間にアブラゼミとミンミンゼミと思われる合唱を聞いた。昨日は一日中うす曇で日はほとんど射ささなかった。終日東の空に全体の2割ほどの青空がのぞいていたばかりだった。最高気温も横浜は31.6℃と、猛暑にはならなかった。
 そのためかどうかは蝉のみが知るのだが、ようやく蝉時雨となった。
 しかし夜中まで鳴き続けたり、騒がしいというものとは違う。
 蝉時雨に気づくとともに、昨日はウォーキングの途中、赤とんぼを見た。一匹だけだったが勢いよく赤い尾を見せびらかすように飛んでいた。しかしさぞかし暑かったこと思う。
 さて本日の蝉の声は断続的、そして単独の声だ。ベランダの前のケヤキの木の一匹、一声遠慮気味にないてすぐに鳴きやむ。それを繰り返している。
 今年は蝉の少ない歳なのだろうか。


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