Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

水をめぐる祭祀

2013年08月19日 22時49分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日は横浜市歴史博物館で「東アジアにおける洪水伝承の成立と展開-水に対する心性をめぐって-」という講座に参加した。講師は北篠勝貴准教授。とても刺激的でかつ勉強になったこうぎであった。
 一昨年の東北の地震にともなう大津波の報道で、江戸時代以降の津波にも関わらず人々が一旦避難・移転した高台から海岸地帯へ結局のところ回帰したことについては、漁業という経済的理由や、土地観や先祖観に基づく民俗的理由などが語られているが、講師はそこに疑問を投げかけている。
 そもそも泉・河・海が人間を引き寄せてきたのであり、水こそ人間を定住へ向わせてきたものである。水の持つ災害などのマイナスの記憶を払拭してなお且つ引き寄せる魅力を有していたと解釈し、この恐怖・憧憬の交錯する水への心性を読み解こうとする試みが今回の講義の眼目となっている。
 日本の古墳時代の首長の役割のひとつに水にまつわる祭祀をあげ、古代旧都には湧水点祭祀と導水祭祀を内包するとしてとらえている。この祭祀に中国での神仙思想や道教思想が結びついて体系化されていたと解釈しているようだ。
 さらにこの水にまつわる祭祀の根拠として、中国における洪水伝承の原型として「歴陽」水没譚を取り上げ、その中国でのバリエーション・史的展開、朝鮮半島での展開、日本での展開を詳しく取り上げていた。
 結論的には、揚子江流域の都市水没という災害の大規模性・無差別性・突発性を語るものとして神話が形成され、水害の予兆と救済が語られた。
 それが道教・仏教の言説を纏い、中国の南西少数民族や江南の民間伝承となり、さらに朝鮮半島や日本列島へも、世界の始祖伝承とも融合して伝播・発展・想像されたことが指摘された。とくに災害の記憶と災害への対処方法とも絡み、さらに、災害からの復興・再生への道筋も内包されてきたことも触れていた。

 私はとても刺激的で今後のさらなる展開や整理をおおいに期待した講義と思えた。私は、この長江流域の文化の伝播ということから考えれば、稲作文化・稲作をめぐる自然への対処の仕方、水の処理の仕方などは幾度にもわたって発信を繰り返してきたと思われるのだが、そのことと祭祀の変遷が周辺にどのように伝播したか解明することが今後求められるのではないかと感じた。
 日本に稲作の技術、とくに治水の技術は段階を踏んで幾度となく伝播して、次第に高度な技術となってきたと思われるが、それと具体的な水をめぐる祭祀の歴史性と結びつける必要があるのではないだろうか。その祭祀のあり方によって、中国から直接、あるいは朝鮮半島からさまざまな集団という形で競合しながら、文化が伝播してきたと私は思っている。
 それがおそらく大和朝廷の歴代王権のさまざまな政争にまでつながるような気もする。
 また、湧水点祭祀、導水祭祀、宮都での祭祀はそれぞれ別個に独立して存続したのだろうが、同時にそれは歴史的な段階を踏んで誕生してきたものでもあろう。私は特に湧水点祭祀がこの列島で具体的にどのような祭祀として行われてきたか、それがどのように王権に取り込まれ変容していったか、その展開に興味がある。
 同時に湧水点祭祀は常に流動的で、生れては消え、新たな湧水点が生れるたびに祭祀も再生されてきたと思われるが、再生の方法も歴史的な変遷を経てきたはずだ。ここら辺も知りたい。
 こんなことを考えながら私は講義を聴いていた。

明日から街も通常営業だが‥

2013年08月18日 23時27分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ビアガーデンは港に面したあたりで、と目論んでいたがなかなか希望のところがなく、港北ニュータウンの中で1階のテラスを利用したビアガーデンに入ることにした。当初の所よりはちょっと遠いが、それでも地下鉄で20分ほどのところ。
 ハワイアンスタイルの店であったが、それなりにおいしく飲食が出来た。ビーフシチューはなかなかいい味。値段も特に高くはなく、ほっとした。

 本日は風があったが、昨日の花火大会の時のような涼しさを感じることはなく、ビルの間の風はやはり生暖かい。建物の中での冷房の空気が時々流れ出てきて、その風が人工の涼しさを運んでくれた。ビールは良く冷えていておいしかった。

 ビールを飲みに出かける前に、90分で約8kmほどウォーキングを行った。汗は充分出すことが出来た。
 そのとき気付いたが、山で日焼けした腕の皮が両方とも剥け始めた。あらためて腕を眺めると随分色が黒くなっている。

 明日からは地元の商店街もだいたい通常営業になるようだ。しかし暑さはまったく衰えない。横浜は明日も34度の予報である。
 午前中は、高校野球の様子を気にしながら、かかりつけの内科の医院へ行き、午後からは組合の退職者会の幹事会。病院は1週間のお盆休みのあとなので混みそうである。


今夜はビアガーデン

2013年08月18日 11時33分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩の花火大会では、質素に二人でコンビニの弁当2つと缶ビール3本ですませたので、今夜は横浜のベイサイドのビアガーデンに出かけることにした。
 最近はビアガーデンに行く機会も少なくなった。ツマミが若い頃は揚げ物などでも十分であったものの、年を取ると揚げ物が敬遠がちになって、その分ビアガーデンから遠ざかる。ビール自体もジョッキで2杯も飲めば充分だからだ。
 そうなると次第に料理の質を求めてビアガーデンから遠ざかる。お酒も中ジョッキ1杯の後は、いい日本酒か、いい焼酎を1杯~2杯飲めば基本的には満足して気持ちが良くなる。
 そうはいってもこの暑さ、昨日外の風に吹かれてとても気持ちが良かったので、もう一度、外でビールを飲んでみようということになった。
 飲み放題・食べ放題で4000円・5000円という値段設定があるが、年寄りと還暦夫婦ではこれはもったいない。個別の注文で気分良く、できれば音楽がうるさくないところがいい。
 2~3ヶ所、候補となるところをこれから出かけて捜してみることにした。

久しぶりの花火大会

2013年08月17日 23時40分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜歴史博物館で行われた「東アジアにおける洪水伝承の成立と展開-水に対する心性をめぐって-」(講師:北篠勝貴)はなかなか刺激的でいい講演であったと思う。感想は後日に掲載したいと思うが、まとめられるかどうかは自信はない。



 そして夕方からの多摩川の花火大会。午後の講座と花火大会の感想、この落差がこのブログの売りではある。東急田園都市線二子多摩川駅周辺の多摩川で打ち上げられる花火大会だが、人混みには近づきたくないので、東急東横線新丸子駅傍の河川敷で眺めた。
 18時にお弁当とビールを調達してサイクリングロード脇の河川敷の草地にビニールシートを敷いた。人ではまばらで果たしてここから見ることができるのか多少心配になったが、今さら場所を変えるのも面倒ということで、そのまま花火開始までコンビニで調達したお弁当とビールを楽しんだ。
 多摩川を上流から下流に向って吹いてくる風がとても気持ちがいい。近くのコンビニではビール会社の宣伝の入った小さめの団扇を配布していたが、団扇は必要が無いほどの心地よさであった。これは横浜港での花火大会の雰囲気とは随分と趣が違うと感じた。こちらの方が広い河川敷で手足を伸ばして座りながら見る分、とても開放的で気持ちがいいと感じた。むろん横浜港での打ち上げのほうが、大玉で空高く打ち上げてランドマークタワーとの見た目の高さの比較などの面白さはあるという意見も充分わかるが、こちらの開放感も捨てがたい。
 花火が始まってみると、やはりちょっと遠かったみたいだ。それでも広い河川敷のため、
見る分には問題はなかった。やはり河川敷で住宅地の関係もあるのだろう、打ち上げの高さが低いこともあり、贅沢を言えば、音があまり聞こえてこなかった。
 もう少し、200から300メートルでも打ち上げ地点に近づいても充分草地に座ってみることが出来たようだ。初めての見学なのてこれはやむを得なかったと思う。近いほうが上のほうに花火が見えるので、前の人の立姿などが邪魔にならない。それでも1時間たっぷりと花火を楽しむことが出来た。

 帰路は、新丸子駅を過ぎで武蔵小杉駅まで歩いて東横線に乗った。久しぶりに草地の上で手足を存分に伸ばして花火を堪能した。

花火大会

2013年08月17日 11時40分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は、14時から横浜歴史博物館で行われる「東アジアにおける洪水伝承の成立と展開-水に対する心性をめぐって-」(講師:北篠勝貴)に参加し、その後19時から開催される、たまがわ花火大会(世田谷区)&多摩川花火大会(川崎市)を見に行く予定。
 会場の二子多摩川駅、二子新地駅周辺は混雑しそうなので、新丸子駅近くの多摩川河川敷に行こうと思っているが、ここの混雑状況は不明。とりあえず、弁当とビールを持って18時過ぎに行ってみようということになった。初めてである。

 花火大会はいつも8月1日の横浜港で開催されるものを団地の一角から眺めている。ながめるといっても直線距離にして5キロメートルほどなので眺めとしてはいいところである。横浜のシンボルタワーとなったランドマークタワーの横に上がる花火はなかなか見ごたえがある。音もお腹に響く音がしてくる。大輪の花と音は、若干の差があるほうが面白い。

 今回行ってみることにした世田谷区と川崎市、多摩川をはさんで二箇所の打ち上げ地点があるらしい。人出は世田谷区側の方が多いようだ。広い河川敷であるから見ごたえはあると思われる。ただし風が強い。
 花火、最近は冬でも観光地では行われる。しかし私などは花火というのは、夏という観念に取り付かれている。「納涼」がやはりいい。

 花火大会というと今年は、諏訪湖でのものすごい雷雨、福知山での爆発事故と続いた。福知山での事故にはけが人もいる。せめて早い回復を祈る。
 今回は何事も無いことを期待している。


白馬岳-雪倉岳-朝日岳縦走(3)

2013年08月16日 17時32分24秒 | 山行・旅行・散策
(3日目)
 3日目は朝日小屋から再び朝日岳を登り返し、蓮華温泉まで約7時間のコースとなる。
 登山地図を精査すると約1200m以下まで下るものの、めざす蓮華温泉は1500mにある。つまり最後は再び約300m以上の登りがひかえている。

         

 朝日岳で昨日歩いた白馬岳、雪倉岳の眺望を楽しんだ後はひたすら下りである。
 途中「吹上げのコル」で栂海新道という日本海の親知らずに抜ける長大な道を分けて、ぬかるみの道ややザレた道をひたすら下る。途中5箇所もおいしい水場がある。
 昨日と同様途中から木道が整備された湿原を通るので高山植物もまた豊富に見かけることができる。
 白高地沢にかかる橋に出るとひらけており、石のベンチもあり食事・休憩にはうってつけの場所になっている。
 この沢を渡ると約300mの長い登りとなる。これはダラダラと続く。木道も整備されているが、人は少ない。木道とはいえ登りがこれだけ続くとさすがに草臥れる。



 コースの最終場面、蓮華温泉に近づくと里の花である紫陽花がとても濃い青の色をこれでもかと人に見せている。
 木道を登り終えるとすぐに蓮華温泉に着く。

   

 蓮華温泉の露天風呂は、二畳くらいの極小さいものから、4畳半くらいの広さのものまで4つ点在している。その露天風呂を巡る山道にも高山植物が点在している。また噴気孔もあり、景色は変化に富んでいておもしろい。
 しかしあれでは女性が入るのはとても勇気がいる。男ばかりが入っている。脱衣場も桶もまったく何も無い。女性は内湯500円を大抵は選択していた。お風呂は硫黄泉でいつものとおり日焼けした顔、手足がとても痛い。

   

 私はお風呂の前に、昼食に温かいうどん1杯をいただき、生ビール1杯と、地元のワイン(岩の原ワイン)を2合も飲んだ。

 朝日岳は白馬岳までの縦走コースの最北端にあるのだが、どちらかというと独立峰に近いような山である。そして蓮華温泉までもとても長い距離を歩かざるを得ない。その分、高山植物も豊かで、2400mとは思えない自然景観を維持している。なかなか貴重な体験であった。
 ちなみに、この蓮華温泉も携帯電話が通じない。結局今回の山行、最初から最終地点まで携帯電話は「機内モード」で電源を入れ、万歩計として活用しただけであった。平岩駅に着いて関東地方の天気が荒れていたようで多数の天候に関するメールが受信となった。
 その平岩駅までバスで約1時間ほど。私が着いた頃平岩駅は6月中旬の豪雨の影響で列車の運行はなく、バスの代行運転で南小谷まで行き、信濃大町・松本で乗り換えて特急あずさの最終便に乗り込んだ。
 横浜の自宅に着いたのが23時過ぎであった。
 今回の山行、
1日目が、13000歩。2日目が、38000歩。3日目が、34000歩(自宅まで)となった。
 もう1日歩きたかったが、この次の山行を期待することにした。

今年度後期の講座

2013年08月16日 10時12分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 いつも受講している神奈川大学の生涯学習講座の後期ガイドが届いた。申込は9月のはじめからだが、今から日程を見ながら講座を選択することになる。

 いつもは8科目位を受講する。今回とりあえず興味があるものをピックアップしたら14科目11万円余となってしまった。これはどうしても削らなくてはいけない。時間との兼ね合いも考えながら、今月いっぱい取捨選択で悩まなくてはいけなくなった。

1.連続講演会「世界を読む」(講師:植田隆子ほか4名)、5回
2.「右大臣藤原実資の王朝時代」(講師:繁田信一)、3回
3.「日本の神々」(講師:平沢卓也)、3回
4.「「富国・強兵」化する中国とどう向き合うか」(講師:響庭孝典)、3回
5.「船と日本人」(講師:昆政明)、5回
6.「色で学ぶ心理学」(講師:三星宗雄)、3回
7.「国境と境界を考える」(講師:高江洲昌哉ほか4名)、5回
8.「海から見た日本文化」(講師:小熊誠ほか4名)、5回
9.「アジアの視点 その4」(講師:小沼通二ほか4名)、5回
10.「庶民たちの平安京」(講師:繁田信一)、6回
11.「芭蕉・『三冊子』の俳句本質論を読む」(講師:復本一郎)、8回
12.「絵巻を紐解く」(講師:藤浦正行)、10回
13.「太陽が変わると歴史が動く」(講師:桜井邦朋)、7回
14.「未曾有の歴史的地震活動期に入った21世紀日本?!」(講師:纐纈一起ほか7名)、8回

 あまり手を広げすぎると収拾がつかなくなる。一応、現代を読み解く、古代史と民俗学、美術、俳句、そして昔大学で私が「専攻」したことになっている地球物理学の5つの分野でピックアップしてある。

 まあ、この取捨選択が楽しみのひとつではあるが‥。

 さて明日は横浜歴史博物館で「東アジアにおける洪水伝承の成立と展開-水に対する心性をめぐって-」(講師:北篠勝貴)が午後からある。参加費500円で2時間とはうれしい設定である。博物館全体の収支に多少でも寄与することを考えればもっと高くても文句は出ないと思うが‥。

8月15日

2013年08月15日 21時37分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後は何日かぶりに横浜駅まで出向いた。家電量販店でデスクトップパソコンの値段を調べ、本屋を物色し、山の用品店で25リットル前後の2泊3日の山小屋利用のためのリュックを物色してみた。購入する予定は無かったが‥。
 横浜駅までの往復と帰宅後はさらに5.5キロのウォーキングで足慣らしをした。昨日は足の筋肉が張っていたが、本日は張りもなくだるさもなかった。歳をとると日数が経過してから筋肉痛が始まるといわれるが、まだまだ筋肉はそれなりに若さがあると、妻には自慢している。
 ただ顔の皮膚がもうむけ始めて、ちょっと汚らしい。早くむけ切ってもらいたいものだ。今回は帽子を被り、首にはネットをしたので頭のテッペンと首は皮はむけない。助かった。
 次回、いつごろ、どこの山に行こうか、そろそろ考えようかと思う。8月中は同窓会もあり、9月上旬に的を絞ってみようと思う。


 さて、終戦記念日、というよりは敗戦の日と私は教わってきた。そして昔から私は不思議なのだが、まず太平洋戦争・日米開戦といいつつ、その元になったのは日中戦争、さらに遡れば明治維新以来のアジアへの武力侵略・力の政策がもたらしたのが結果として1940年12月8日の真珠湾攻撃から始まる戦争である。
 8月15日のこの式典の歴代首相の発言でいつも私が違和感を感じるのは、あの戦争の原因となった戦争=アジアへの侵略を始めたのは誰なのか、何が原因であの総力戦と云われる人間の命を消耗品のように扱うあの戦争が行われたのか、ということが何も語られることがない。
 いくら「英霊」と称揚しようが、戦争を始めて責任、開始した原因の糾明・反省がなくては言葉だけの称揚であり、賛美でしかない。これでは戦争でなくなった軍人も、徴兵されなくなった国民も、空襲や原爆や、そして侵略した「植民地」でなくなった国民も、そして侵略を受けて亡くなった国々の人々、つまり日本がもっとも友好国とならなければならなかったアジアをはじめとした諸国の犠牲者も、救われることは無いと私は思う。
 そんなことを毎年思う8月15日である。

白馬岳-雪倉岳-朝日岳縦走(2)

2013年08月15日 14時01分24秒 | 山行・旅行・散策
(第2日目)
白馬大池小屋(5:41)-小蓮華山-三国境-白馬岳(2932m、8:20)-三国境(8:50)-雪倉岳避難小屋-雪倉岳(2611m、11:00)-燕岩-小桜ヶ原-朝日岳(2418m、14:48)-朝日小屋(15:41)

   

 白馬大池小屋から右に本日歩く雪倉岳への稜線を見ながら、白馬岳と雪倉岳の分岐である三国境に荷物を置いて白馬岳まで往復。
 白馬岳からは唐松岳・五竜岳・鹿島槍ヶ岳をはじめ北アルプス南部を堪能、同時に南西の剱岳・立山も間近に展望。この方向からは朝日岳は雪倉岳の陰に隠れて頂上だけを微かに望むだけである。この展望から類推すると雪倉岳から朝日岳がごく近くに見える。これがとんだ間違いと気付くのは雪倉岳に登ってから。

 小屋から白馬岳までは大勢の登山者が歩いている。3000メートル近い山としては小屋も整い、道も、アプローチも良く人気の山である。私は白馬岳は3度目の登頂になる。この時期なので、夏休み中の小さな子を連れた家族連れも多い。三国境から雪倉岳への道は、途端に人が少なくなる。私がこの道に入ったときも、300メートルほど先に若い単独者が一人見えただけである。

         

 目前の鉢が岳の大きな山は登山道は迂回しており、雪倉岳の直下の避難小屋までは気持ちのいいコースである。鉢ヶ岳を迂回するところは白馬岳の稜線では見られないお花畑が目を楽しませてくれる。このコースを来てよかったと思うコースである。避難小屋で昼食のお弁当を三分の一ほど食べて小休憩。ここから雪倉岳の30分の登りがきつい。大きく3段に分かれる急坂、最後は緩斜面になり、お花畑がきれいだが息が切れて見るゆとりがないかもしれない。



 展望は良好。自分でもこんなに晴れ男になったのかといぶかしい。
 しかし朝日岳を望むとごく近いのだが、そこまで行くには稜線が大きく下がっている。あわてて地図を精査すると、どうも2000mあたりまで下るようだ。樹林帯の中にまでおりることになる。これはなかなか歩きであると認識を新たにした。
 この頂上から雪倉岳まで3時間半。ちょっと気持ちが萎えるところでもある。
 結果として雪倉岳直下まで2時間のコースタイムを昼食休憩を含めて2時間半かけたことになる。しかし下り始めは快調。展望の良い東側のガレ場を雪田の融けた勢いの良い沢の水の音を聞きながら心地よい風に吹かれて歩くのは実に楽しい。

         

 尾根道が反対側の西側に移ると次第に草花の背丈が高くなり、ハイマツに混じる笹の割合も増え、いつの間にか小潅木帯に入っていく。この頃になると随分下ってきた気分である。疲れも溜まってくる。歩く速度が落ちてくるのが自分でもわかった。
 やっとの思いで、最低鞍部の高さに近い燕岩という大きな標識ところに出るのだが、登山地図ではこれは朝日岳までの半分でしかない。ここから2000mの等高線に沿って道がつけられているが、結構登降がある。
 実はここまで朝から水をほとんど飲まずにきた。500㏄1本だけだった。これはまずいと思い、ここから先に水場がいくつか連続するので後は豊富に水を飲むことにした。もう少し早めに飲むようにすればよかったと、反省している。
 燕岩の先に小さな沢を横切り水はあるが、すれ違った人に聞くとさらに先で、水量豊かな沢を横切るのでそちらの方が水の質はいいはずだという。云われたとおりに10分ほど歩くと勢いのいい水場に出た。ここで、昼食の2回目。お弁当の3分の1を食べて水をたくさん摂取した。逆コースの場合ここが最後の水場となる。結局小屋で購入した弁当はこの日は3分の2だけだべた。量が私には多すぎである。
 この水場の先に突然、木道が現れ「小桜ヶ原」という標識が出てくる。ここがなかなか感じのいい湿原である。このような湿原があるとはびっくりするところ。花はあまり目につかなかったが、のんびりしたいところである。残念ながらカメラの電源がなくなって写真は撮らなかった。
 しかしこの場所、かなり疲れが出ているのでゆっくりとした気分になれないのが残念である。この場所を目的にコース設計を考えるといい記念になるのではないだろうか。
 朝日岳直下の直登の道と、小屋へ向う水平の道の分岐で最後の休憩をしたのが、13:40頃。この水平の道はかなり登降が厳しいとの記述もあり、直登することにした。標高差約400mというところか。コースタイムでは90分の登り、汗を大量に滴らせながら必死になって登ったところ60分でひょいと頂上にたどり着いた。



 雪倉岳-朝日岳は2時間+1時間のコースタイムだが、私は2時間30分+30分だから3時間という帳尻は合った。まんざらでもない結果である。
 朝日岳の頂上は着いた瞬間は晴れていたが、みるみるガスがかかり、展望はなかった。カメラの電池切れ表示が出ていたが、何とか頂上の標識一枚を撮影。木に「朝日岳」と彫ってあるが見えるだろうか。



 ここから小屋までは30分少し。うすい霧の向こうに赤い屋根とテントが垣間見えた。これでカメラの電池はすっかり切れてしまった。
 小屋に着いたのは、15時41分。小屋を出てちょうど10時間。白馬大池小屋でいわれたコースタイムぴったりにたどり着いた。昨年笠が岳から双六小屋まで12時間半、同じ山行で槍ヶ岳から穂高温泉まで10時間半歩いたのに次ぐ歩行時間であった。
 この小屋、完全予約制とちょっと聞き慣れない山小屋の経営だが、確かに食事はおいしい。手が込んでいる。この日の夕食もホタルイカの沖漬けや刺身の昆布〆などが出てきた。とてもおいしく食前酒としてワインも軽く一杯出された。布団も大きくユッタリと眠ることができる。
 山深いところに1927(S2)年から営業しているとのこと。食事中の花のビデオも楽しかったが、如何せん花の名前は聞いてすぐに忘れてしまった。

 カメラと携帯電話に充電して就寝。

登山靴のこと、左膝のこと

2013年08月15日 10時01分26秒 | 山行・旅行・散策
 先日、燕岳に登ったとき新調の靴が右足に合わないようだと記載した。今回、事前に団地の中を歩いたりして様子をみたが、前回痛かった右足の踝の外側は痛くはならなかった。それでも慎重に靴紐を調節しながら二回目の登山に臨んだ。

 結果的には前回痛くなった部位は痛くならず、全体としてもとても満足のいく履き心地であった。安心した。
 ただし、左足は靴紐をしっかりと結んで履いた。履き心地はとてもいい。右足は左足と同等に靴紐をしっかりと締めると内側の踝の下に少し違和感というかひっかかるような感じがあった。右足は緩めに紐を結んでみると特に違和感は感じない。これで問題なく履き続けられる感じた。
 買い換えなくてはいけないかと心配したが、もう大丈夫なような気がする。


 それよりも下山時の足全体の運びがスムーズに行かない。正確には2007年8月下旬、岩手の早池峰山に登ったとき苔むした大きな岩ですべり、左膝を折り曲げて着地してしまった。小田越山荘という無人小屋から早池峰山のとなりの薬師岳に登ってから小屋に戻るときのことであった。「ひかりごけ」があるかもしれないときょろきょろとしながら歩いていたのがいけなかった。
 その晩は無人の明かりの無い小屋で痛みがひかず、うなりながら朝を迎えた。痛み止めを飲んでも、翌朝になっても痛みがひかなかったが、それでも図々しく、痛みをこらえながら早池峰山を登った。
 登りは何とかなったものの、頂上が東西に長い早池峰山を東から西に縦走し鶏頭山まで歩いた時、次第に痛みがぶり返して次第に左足を引きずって歩くようになってきた。熊と思しき足跡をいくつも見てびくびくしながら西の端の鶏頭山にたどり着いたときには痛みが頂点に。ここまではコースタイムで歩いたがここからの下りは倍の時間をかけて下った。岳集落に着いた時はもう左膝は動かなかった。
 一軒だけ営業していた民宿で一息ついたが、足の痛みはなおらない。しかも最近は頂上まで熊が出ているとの話を聞き、熊に出会わなかったのが実に幸運であったと思われた。熊の肉のステーキを供されたが、味わうほどの心の余裕はなかった。もったいないことをした。そして足を引きづりながら横浜まで辛うじて帰ってきた。
 一ヶ月ほど毎日銭湯に通い温い浴槽で自分なりのマッサージをしたが治らず、公立病院で「膝の軟骨の内視鏡手術」を行った。「軟骨のだめになった部分を掻き出した」という表現を医師からされたが、その意味はよく理解はできなかった。「100パーセント元には戻らないが、これ以上は良くならない」ということで、退院。
 以来、日常生活や平地でのジョギング、ウォーキングには何ら支障は出ないのだが、山登りに行って、下山となると思うように膝が動かない。もともと下りは得意ではなかった。俊敏な動きができない。左右均等に足が下りていかない。どうしても左足での着地に力が入らない。大きな段差では右足から着地しないと不安である。左右すばやいバランスの移動にも支障がある。
 登りではまったく問題ないのだが‥。だから下りは時間がかかる。コースタイムを上回る時間がかかることもある。

 こんな膝を抱えているが、それでも山道を歩くのは楽しい。

白馬岳-雪倉岳-朝日岳縦走(1)

2013年08月14日 23時20分28秒 | 山行・旅行・散策
(第1日目)
 白馬駅からバスで栂池高原へ、さらにゴンドラリフトとロープーウェイを乗り継いで栂池自然園へ。ここには一周約3時間半の周遊コースがあるが、これは省略。早速登山口より登山開始。
 朝は家を6時半に出たため横浜線・八王子経由で中央線に乗ったが気分的にはゆとりがある。4時台の出発というとやはり寝不足になり、列車の中でも熟睡できず、登山道にたっても気分的につらいものがある。今回は楽だった。
 その故か、極めて快調にあるき3時間20分のコースタイムであったが、2時間調度で白馬大池山荘についた。
 途中白馬乗鞍岳(2436.7m)頂上では前回下りで見た巨大なケルンが今回もお出迎えがあった。道を思い出した。



 白馬大池山荘は何年か前に妻と、猿倉-白馬岳-白馬大池山荘(泊)-白馬乗鞍岳-栂池と縦走したときに泊まった小屋である。そのころとまったく変わらず真っ赤な山荘の趣きはやはりちょっと異様だ。むかし感じたようにこの白馬岳の風景には合わない。少なくと私の趣味ではない。しかしこれがトレードマークとして定着している。しかも場所としてはいいところにある。遠くからも見えてこれがいいのかもしれない。
前回気がつかなかったが、ここは携帯電話が通じない。しかもこの受付の手続きをするや否や、この小屋は事前連絡が基本だから次回からは予約電話を入れてから来て欲しい、とまず一言の注文。ちょっとムッとしていると追い討ちをかけるように、「明日泊まる予定の朝日小屋は完全予約制だから事前に連絡しないといけない」といわれた。
 テレホンカードを購入して朝日小屋まで連絡せざるを得ないのかと観念すると、「ここから1時間の船越の頭までいけば携帯が繋がるから、明日朝に連絡できる」とのこと。遭難対策・緊急対応も含めて携帯電話が当然のような状況になってるが、今時携帯電話の通じない小屋というのも珍しい。その当の朝日小屋も連絡先は携帯電話ではない。どうもこの山域では携帯電話はあまり歓迎されていないようだ。
 さらに翌日のコースを記入すると、栂池からこの小屋までの所要時間を聞かれた。2時間というと「では大丈夫だ。コースタイムで10時間かかる」とのご託宣。私の容姿から無理かもしれないと判断されたのだろうか。こうなったらコースタイムには含まれない白馬岳経由コースも含めてどうしてもこなしてやろうと意地になった。



 小屋からは東に携帯電話が通じるようになるという船越の頭、その向こうに小蓮華山までが見える。北東に雪倉岳、朝日岳をのぞむことができ、展望は良好。大池の脇に小さな雪田が残り、ロープで囲われていた。よく見ると雷鳥が1羽小さな岩の先に座りくつろいでいる。そして雛が3羽いる。
 私がそれよりも感心したのは、小学校の低学年と小学校入学前と思われる子供が母親と一緒にそれぞれに一眼レフカメラに三脚を取り付けて、一心不乱にその雷鳥をカメラにおさめようとしていた。じっとカメラを構えていたり、雷鳥の雛の動きにあわせて実にたくみにカメラを操作している。母親からカメラの基本を教わったのであろう。大人も顔負けでなかなか堂に入っているというより、その真剣な、熱中している姿に感心した。
 私と同様に周りの大人も視線は雷鳥半分、この子供半分のようす。子供が集中して何かに取り組んでいる姿を、久しぶりに見た。私は30分ほどその場にいたが、この子供二人は飽きることなくこの撮影に没頭していた。私がその場にいく前から、その場を離れた以降も撮影に没頭していた。幼稚園児や小学校低学年児に一眼レフカメラ、贅沢と言えば贅沢かもしれない。
 しかし小学生以前から続けて何かの手段を媒介として、自然に感動しそれを表現として定着する手段を持っているということは羨ましい限りだ。人は、私も含めて、手段はあるのにそれを活用することが出来ない。一瞬活用しても継続出来ない。しかしこの子たちには使いこなして表現を継続しようとする意思が感じられた。

 夕食はカツカレー。カツがなかなかのボリューム。他の単独の高齢者には食べるのには少ししつこかったようだ。子供づれには歓迎されるメニューであったようだが、若い男の宿泊者を除いてほとんどの方が残していた。私はひそかにお替りをしようかと思ったが、まわりの方が残しているのでつい見栄をはって遠慮した。山小屋にとって多数の登山者が押しかけるこの季節、メニューに苦労は付き物とは思うが、高齢者の多い昨今の山小屋、このボリューム満点のカツは少々高齢者にはつらいメニューと思われた。
 カレー自体は昔からの山小屋の定番である。人の少ない山域の有人小屋では昔はほとんどがカレーであった。何処の山小屋でもカレーなので泊まるたびにカレーとなり、3日間連続して夕食はカレーが出され、まずくはなかったがやはりうんざりしたことがあった。随分昔、登山に熱を入れ始めたころの南アルプスの時で、それ以来自炊やテントにこだわってきた。ふとそんなことを思い出した夕食であった。
 この日のカレーが、「いつものようにカレー」なのか、あの日は「たまたまカレーだった」のか、連泊してみないとわからないが、久しぶりで山小屋でカレーを食べた。

都会の暑さに参った

2013年08月14日 16時49分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩帰宅23時過ぎに自宅について、シャワーを浴びてすぐに就寝。既にUターンラッシュが始まっているというようなニュースが流れている。しかし夕べの最終の特急あずさはガラガラ。指定席を取らなくてもよかったようだ。
 本日は朝から、山行での洗濯物・片付け・靴やその他装備品の手入れを行い、あとは休養と思っていたら、午後から組合の退職者会の集会の予定が入っていた。あわてて出かけたが、20分ほど遅刻してしまった。
 8/5の政府の社会保障制度改革国民会議の報告書の概要の説明などが行われた。この暑い中、100名を越す参加者。炎天下のアスファルト舗装道を歩くと、太陽が体を火箸で撞いてくるような感じがする。

 山行は2日目・3日目ともに長いコースで、随分とたくさん汗をかいたが、暑さと、かく汗とは、都会と山行ではまったく質が違うと思う。
 まず都会の暑さが違う、湿度も違う、風も違う(風が無い)。それによって変化する体調も違う。そしてかく汗の質というか、分泌物までもが違うような気がする。
 体調の違いまでは科学的に何か根拠があり、究明されるかもしれない。しかし汗の質・分泌物の違いとなるとそれは単なる思い付きであって、何の根拠も無い‥。科学的な裏づけはないと思う。
 しかし汗の比重は都会では重いようだし、都会の汗の匂いもきつそうな感じがしないだろうか。都会の喧騒と、都会というものに対する心のどこかでこだわって持っている違和感がそのような匂いの違いの根拠かもしれない。

 都会は熱気が体に、肌にまとわりつくようにネチネチと皮膚を、内臓を、体の諸器官を攻めて上がってくる、そして熱が体から逃げていかない、と表現してもよいだろうか。

 しかし一方で私は、この都会から離れることが出来ない。都会から離れて、農村部あるいは過疎地に生活の場を移すということが出来ない。この都会での人との関係の基準というか、在り様を捨てて、否定してしまうと云うことが出来ない。
 山に行って、農村部や過疎地といわれる場所を起点にして、そしてそこにもどってきても、食事をしたり、交通機関の時間に合わせて宿泊したり、お酒を飲んだとしても、そこに住むということが出来ない。あまりの濃密な人間関係を勝手に想定して、逃げ足になってしまう。
 都会での人間関係にすら辛くなって山に行くようになったのだ。都会よりも濃密な人間関係の所に着地は、私にはできない。

 ひょっとしたら、「人類」自らが作った都会というシステムは、人類を「人類」という規範から外れるように仕向けているのだろうか。

無事下山

2013年08月13日 17時55分18秒 | 山行・旅行・散策
 栂池-白馬大池-白馬岳-雪倉岳-朝日岳-蓮華温泉という人の少ない、かなりハードなルートを選んだが、無事下山。
 泊まった白馬大池も朝日岳の小屋も、さらにたどり着いた蓮華温泉も携帯電話が通じないため、ブログの更新も出来なかった。
 留守中に通りがかり人様と大納言様が留守宅の点検に訪れていただいたおかげで(?)荒らされることもなく、ブログは健在でした。ありがとうございます。

 山行の報告は明日以降にアップの予定です。

 コメントへの返事も明日以降になりますm(_ _)m

 引き続きよろしくお願いいたします。


登山靴について

2013年08月10日 22時32分38秒 | 山行・旅行・散策
 先日燕岳に行ったとき新しい登山靴の試し履きを兼ねていた。そのとき右足のくるぶしから上が擦れて痛かったと記載した。
 昨日もう一度履いてみて、更に団地を一周してみた。約500メートルあり、その上団地の外の道路まで階段を50段ほどのところも歩いてみた。
 歩き終わった時点ではまったく痛くなるようなことはなく、ホッとした。前回の時の痛みはなぜ起こったのだろう。今回は痛みはまず起きそうも無い。このまま痛みが出ないことを祈りたい。油断は禁物だが‥。

 ようやくリュックの用意も出来上がった。明日は5時半起きの予定。

ツイッター設定の怪(その2)

2013年08月09日 22時24分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ツイッターのフォローの解除についてとうとう半日格闘してしまった。パソコン上で操作しているのだが。

 購入した解説書では、
「フォローを外すには、二つの方法があります。一つは自分の「ホーム」→「フォロー」からフォローをしている相手を選択します。ここで「フォロー解除」(赤いボタンの図解)を選択することでフォローを解除できます。」
「もう一つは、相手のプロフィールページから「フォロー解除」を選択する」
と記載されているが、まずホームに「フォロー」という表示はでない。「フォロー中」はある。多分それだろうと思ってそれをクリックしても「フォロー解除」など何処にも出てこない。まして赤いボタンなど何処にも出てこない。
 散々これで格闘してこの本を放り出した。

 次にツイッターの画面のヘルプ機能を呼び出して見ると次の説明が出てきた。
「フォローリストからフォローを解除するには、
1.ホームページまたはプロフィールページで [フォロー] をクリック
2.フォローリストにあるユーザーの隣の青い [フォロー中] ボタンにカーソルを合わ せると、赤い [解除] に変わる
3.[解除] ボタンをクリックしてアカウントのフォローを解除」
 これも解説書と同じなのだが、これも

 パソコンの画面でこのように赤く変わるボタンなど何処にも無い。

 そうしてブログで悲鳴を上げたら、お二人から説明があった。
「自分がフォローした相手へのフォローを外したい時は、プロフィールをクリック→画面を下にスクロール→「フォローをはずす」をクリックで終了するはずです
 ただ、勝手にフォローされた相手に対しては、プロフィールをクリック→画面を下にスクロール→「ブロック」をクリックする方法になるのかと…。お試しください」
と親切な指摘があった。
 もう一人からは、「その人のプロフィール画面を出すと下のほうに解除するところあるよ」と同じご意見をいただいた。
 しかしこのお二人とも携帯電話の画面での話しなので、どうもパソコン画面ともスマホの画面とも違うようなので、残念ながらお手上げ。

 やむなく、頭の切り替えにウォーキングに2時間ほど費やしてから再度挑戦した。すると不思議なことを思いついた。
 まず、私のツイッターのホームページを開くと、フォローではなく「フォロー中」という表示があり、これをクリックするとフォローしている人の一覧が出てくる。ここまではいつもやっている。
 そしてその人のユーザー名または名前をクリックすると再び「フォロー中」というボタンが出てくる。私は当初これを押してしまうと返信画面にでもなるのかと思ってクリックをしなかったが、これをクリックしてみた。すると「フォローを解除」ボタンが出てくるではないか。しかしこのボタンは赤く変わることなど無い。そのままの色である。しかし「解除」には違いないということでこれをクリックしたらようやく解除できた。
 今度は余裕をもって前の画面に戻ってみてさらに気付いたのだが、「フォロー」のボタンではなく、ツイッターのマーク(鳩?)の絵にチェックがついているボタンを押すとここからも「解除」ボタンがでてくるではないか。
 フォローを解除するのに「フォロー中」のボタンを押さないと解除できないということ自体が設定としておかしいのだ。
 しかも解説書もヘルプ機能での説明もまるで実際の画面設定を前提としていない説明である。

 散々ほぼ半日を費やしてようやくこの一つのボタンを見つけた。

 しかしさとうてるえさん、葦原の山姥様、ご丁寧に教えていただきとても感謝しています。ご迷惑をおかけしました。

 とても疲れた一日となってしまった。