Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雷雨の中‥

2017年07月18日 20時57分51秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は15時半ころに会議と作業が無事終了。ところが終了したころに外を見るとひどい土砂降りとなっていた。
 大雨警報、洪水・雷注意報、竜巻注意情報が出ている中で、「雨が上がるまで」という名目で組合の会館で暑気払いを「強行」した。雷と叩きつけるような雨と雷の中、買出しもままならず、少量の乾き物と差し入れのキュウリをツマミとした。ただし差し入れのキュウリの美味しさに参加者はおおいに満足。
 来月の幹事会はお盆休みということで中止。

★百枚の田の膨らみて梅雨明くる    中嶋雅子
★鐘ついて僧が傘さす送り梅雨     森 澄夫

明日は退職者会の幹事会

2017年07月17日 22時30分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに会った友人は元気であったのでうれしかった。私は生ビール1杯とホッピー2杯で終了。つまみは刺身と豚キムチ。このくらいで切り上げるのがいい。これ以上飲むと翌日に残る。
 明日は退職者会の月に一度の幹事会。報告書を1頁分作成して準備は完了。明日は9時までに組合の会館に出向いて、会議の準備と事前会議、新聞の発送作業と結構ハードである。
 「不染鉄」展の感想の第1回をようやく本日午前中に作り上げた。今夜はこれから再度図録を見ながらその2の準備。明日には間に合わないが、明後日までには仕上げたい。

「不染鉄」展 感想1

2017年07月17日 13時05分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ようやく「不染鉄」展の図録からいくつかの気になった作品をピックアップした。不染鉄という画家、私は初めて見た。

   

 概略の年譜は以下のとおり。
1891(M24)     東京生まれ
1914(T03) 23歳 日本美術院研究会員 同じ研究会員の洋画家村山槐多と親交
             妻と伊豆大島で3年間漁師などをしながら暮らす
1918(T07) 27歳 京都市立絵画専門学校入学
1919(T08) 28歳 第1回帝展入選 以降1934年までの帝展に8回入選
1923(T12) 32歳 京都市立絵画専門学校首席卒業 上村松篁と親交
1927(S02) 36歳 奈良県に移住
1930(S05) 39歳 神奈川県大磯移住
1933(S08) 42歳 横浜市鶴見区に移住(妻の実家)
1935(S10) 44歳 東京の江戸川区に移住
1946(S21) 55歳 奈良正強中学校の理事長・校長就任
1952(S27) 61歳 奈良正強高等学校理事長・校長退任
1956(S31) 65歳 日本社会党所属
1976(S51) 85歳 死去

 展示は
第1章 郷愁の空
第2章 憧憬の山水
第3章 聖なる塔・富士
第4章 孤高の海
第5章 回想の風景
となっており、120点が展示されている。



 最初の数点を見て、俯瞰的な構図といわゆる朦朧体の画面に不思議な世界を感じた。展示の最初が「暮色有情」(大正期、個人蔵)。街並みを俯瞰しているものの不思議な遠近法であり、建物のどこか歪な形態にびっくりした。道路の線と家々の屋根の線が並行ではない。一軒一軒の屋根や塀が手前は高く、向こう側に低く描かれている。そのために道路と微かに交差するように傾いており、街並み全体として統一感がない。
 それでいて静かに眠っている夜の情景に見える。空に火の見のためと思われる梯子が不思議なほど高く描かれ、それが指し示すようにカラスと思われる鳥が街を見おろしている。最上部には卵形の上部のような山と微かな月。下方は三日月にしては明るく照らされており、三味線を抱えた人物が2人ほど鮮明に描かれている。しかし手前に描かれた枝によって半分は隠されてしまっている。
 この不思議な俯瞰の視線と構図は、最後までこの画家の独特な視線として保持されていたように思う。家屋の一軒一軒への細密画風のこだわりと全体の独特のバランス感覚が魅力だと感じた。
 さらに初期の作品から晩年まで一貫しているのは、縦長の画面では下から見上げると極端に遠近感が強調されるような錯覚。縦長の画面ではほとんど最下部に近いところが中心である。



 遠近感が強調される細工のひとつが画面を横切る構図だと思う。「晩秋画房」(昭和初期、個人蔵)を見ても橋とそれにつながる道、草が並んだ4本ほどの横の線、遠景の家々の並びなど水平の線が畳みかけるように上へ、そしてそれは遠くへと連なっている。この線がないと遠近感が薄らぐ。下から見上げると途端に目につく線である。同時に新鮮な描き方に思えた。この横の線は作品によっては霞や雲、煙の流れだったりするが、終生この線は繰返される。



例えば「秋色山村」(昭和初期、奈良県立美術館)などである。



 さらに初期から時代が進むにつれた、家の中に人物が細密画のように描きこまれるようになる。いろいろなことをしている。人々は外に出て活動しているというよりも、家の中で生き生きと描かれる。船にいる人も船の中で寝ているポーズがある。構築物、建物の中でくつろぐことで人間に生気が戻っているかのようである。
 「暮色有情」が蕪村の「月天心貧しき町を通りけり」のような世界を描いているのかと思ったが、画家は人々の生活、日常の立ち居振る舞いに極めて関心の高いことが想像される。静かなたたずまいの農村の家だけが描かれている作品も、その家の内部にどのような人々がいるのか、それを想像することを求めていると思えた。
 ここに掲げたのは大作「思出之記(海邊)」(1927、個人蔵)の一部を拡大したものである。高さ31センチに対し、横260センチの大きな横長の画面一杯に描かれた家々には寛いだ人々が丹念に描きこまれている。

   

久しぶりにベートーベン「ヴァイオリン協奏曲」

2017年07月16日 23時04分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の夜は家族3人で外食。割引券のあった目当ての韓国料理店は満員で90分待ちとのことで断念。そのそばに半個室の和風の居酒屋があり、空き室があったのでうまい具合にもぐり込めた。和風のピザやサラダを中心に注文。アオサのスープに入った豆腐が食欲をそそった。私は安いハイボールを3杯ほど飲んだが、大分効いた。2杯目を飲み終わる頃にはすっかり眠くなってしまった。
 本当は2日連続の休肝日にしようという思いもあったが、居酒屋で母親と妻がグラスビールを飲んでいるのに私がソフトドリンクというのはつらいと勝手な理由をつけて飲んでしまった。



 帰宅後はベートーベンのヴァイオリン協奏曲を聴きながら、ボーっとしている。もう幾度もこのCDは取り上げている。ヨゼフ・スークのヴァイオリン、フランツ・コンヴィチュニー指揮のチェコフィル、録音が1962年と古いが、私の好みである。
 ジョセフィーヌという女性との恋愛が、第5交響曲の途中で明るい第4交響曲を生み、このヴァイオリン協奏曲を生んだ、といわれている。このCDの解説では、「隣家の戸をたたく音をきいてヒントを得たというのであるが、これを途中まで書きかけて中断した第5交響曲の運命が戸をたたく音と比較してみることは、作曲者の心理状態というものが、どのように具体的に音になって作品に反映されるかを示す興味深い一例といえる」としるしている。
 第5交響曲のモティーフは、8分音符の同音3回に3度下の二分音符の繰り返しであり、不自然で切羽詰まった不安を内包している。これに対してヴァイオリン協奏曲の冒頭のティンパニーによる隣家の戸をたたく音は、四分音符4つの同音の繰り返しで、ゆったりした主題を導き出す自然なリズムである。戸惑いも不安も感じられない。
 しかしだからこそこの4つの音は難しい。柔らかすぎる音色でも、鋭すぎてもいけない。全くの均等な俳文では素っ気なさすぎる。クレッシェンドでもディミヌエンドでもない。抑揚をつけすぎても、素っ気なさ過ぎてもいけない。3拍目を少し長めに、4拍目を弱めにして主題の出だしの音にスムーズにつなげる。
 スークの音色だけではなく、私の一番気に入っているティンパニーもこのCDである。

世界平和アピール七人委員会アピール

2017年07月16日 13時50分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 世界平和アピール七人委員会が7月10日連れでアピールを発表した。
⇒【http://worldpeace7.jp/?p=1016
 いつものとおりこのブログに転載してみる。

「核兵器禁止条約採択を心から歓迎する」

                   2017年7月10日
                   世界平和アピール七人委員会
                   武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二
                   池内了 池辺晋一郎 高村薫

 私たち世界平和アピール七人委員会は、核兵器禁止条約交渉会議のホワイト議長をはじめ、今回の条約成立に力を尽くしてきた諸国と国際赤十字、多くのNGO、そして広島・長崎の被爆者、世界各地の核実験の被害者の長年の尽力に心から敬意を表する。

 この条約が国連加盟193か国の3分の2に近い賛成122票、反対1票、棄権1票で採択されたことは、核兵器廃絶に向けての大きな一歩であり、長年にわたりその実現を願い、努力を続けてきた被爆者、日本国民にとっても大きな喜びである。

 大量破壊兵器である核兵器の持つ非人道性は議論の余地がなく、放出される放射線の影響は目標にとどまらず地球全体に広がり、長期間にわたって被害を与え続ける。日本国政府が戦争で核兵器を使用された唯一の国として貢献できる機会に自ら背を向けて退席し、国連本部外で行われた核兵器保有国と核の傘に固執する少数国の会合に参加し、さらに「条約には署名しない」と改めて表明したことは、歴史に残る汚点であり、核兵器廃絶を目指す世界の人たちに対して恥ずべき行動だった。

 自らの核兵器保有と核の傘依存を続ける一方で、他国の核兵器開発の糾弾を続けることは、非難の応酬を加速させるばかりか、核兵器使用の危険性を増大させ、国民の安全保障を損なうものであって、核兵器廃絶への道ではない。私たちは、日本国政府を含む不参加国が態度を変えて、現在と将来の世代のために、核兵器のない世界を実現させるこれからの行動に参加することを求める。

朝早くから告別式

2017年07月16日 09時22分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝は朝早くからお葬式。昨晩の通夜には会議で参列できなかったので、本日の告別式の参加となった。地域ごとにお葬式の在り方は少しずつ違いがある。関東でも違うので一般化するのは難しいものがあるが、少なくとも横浜では通夜は主として友人・知人が集まる。告別式は近しい親族と、通夜に出られなかった友人・知人が参加することが多いといってもよいのではないか。むろん夜のほうが昼間働いているかたは参列しやすいこともある。
 最近は人が集まることのできる場所が限られてきた。以前は自宅や町内会館などでも時々葬式が行われたが、最近はほとんど葬儀場が使われる。むろん葬儀場は仕事として貸し出しをしているから、それなりの値段を払わなければならない。悲しいかな遺族にとっては葬儀そのものが負担である。
 家で終末を迎えたかった故人のために自宅を使いたい、という事例も多々あるようだが、柩の出入りなどの制約や、一時的にしろ人の出入りの多さからマンションや集合住宅では難しい場合が多い。遺体をマンションなどに一晩でも置くことに管理組合や周囲の家が拒否したり、規約上できなくなってくることも想像されないだろうか。世の中、なかなか難しいことになっている。

 参列する友人は少ないと思われるし、お店もあいていないので、すぐに自宅に戻れる。だが、いったん家に戻るとこの暑さでは再び出かける気は起きない。
 参列後はどのようなことになるか‥。

「道の長手を繰り畳ね‥」(万葉集巻15から)

2017年07月16日 00時12分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 万葉集巻15は大伴家持の編纂の可能性が極めて高いという。前半部分の7首を取り上げたが、今回は巻15の後半の63首から。
 前半の「遣新羅使」が帰郷してから3年後、中臣朝臣宅守(やかもり)という官人が勅勘を蒙り越前の国府に配流となる。勅勘の内容は伝わらない。この宅守は狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)を娶ったばかりで、別れ住むこととなり多くの歌を取り交わした。
 伊藤博の集英社文庫の解説では、「万葉の非別歌はかならず女の歌から始まる」と記している。この63首のシリーズも娘子から宅守への4首から始まる。

★あしひきの 山道(やまぢ)超えむと する君を 心に持ちて 安けくもなし  (3723)
★君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも    (3724)
★我が背子し けだし罷(まか)らば 白𣑥(しろたへ)の 袖を振らさね 見つつ偲はむ
(3725)
★このころは 恋ひつつもあらむ 玉櫛笥(たまくしげ) 明けてをちより すべなかるべし
(3726)


 最初の2首は大岡信の訳、あとの2首は伊藤博の訳を引用する。

3723 アシヒキの山路を超えて越前まで行こうとするあなたを、心に抱きしめて、私は不安でたまりません。
3724 あなたが行く、配所への長い道、その道をくりくりと手繰り寄せ、折り畳んで焼き滅ぼしてくれるであろう天の火よ、どうかあれを焼き尽くしておくれ
3725 いとしいあなた、あなたが万が一、遠い国に下っていかれるなら、その時は、真っ白な衣の袖を私に振ってください。せめてそれを見てお偲びしたいと思います。
3726 今のうちは、恋い焦がれながらもまたこうして我慢もできましょう。だけど、一夜明けた明日からは、どうして過ごしてよいのやらなすすべもなくなることでしょう。

 最初の2首はすんなりと理解できる。そして第2首は多くの人が指摘するように万葉集のなかでも絶唱といわれる歌のひとつである。「日本の和歌が、本質的・根源的に、「女性」とは切っても切れない性質のものであったということを考えの中心に置かない限り、個々の和歌を見る見方も、必然的に偏ったものになる」と大岡信は述べている。

 しかし第3首以降は少し様相が違う。前2首は男の配流先がわかっていて実際の別れを下敷きとしたものであろう。すくなくとも別れる直前の嘆き、悲しみを詠っている。嘆き・悲しみが具体的な別れを目前にした現実性がある。
 つまり第3首はまだ配流先が未定のときの歌と解釈できる。すくなくとも勅勘を蒙り、刑が確定する前、それこそ捕縛される直前の不安な怯える日々の歌であるようだ。

 そして第4首は結ばれたばかりの若い娘の感慨というに私は躊躇する。これはもっと大人の、それこそ孫でもいそうな高齢になってから若いころの別れの悲しみを回想したように心境に思えないだろうか。若ければ今の別れを我慢などできない。明日のことなど考えられない。

 この1連の4首は伊藤博は「起承転結」といっているが、前2首を下敷きに別の歌2首をくっつけたものと思っている。

「冷風扇」なるものは断念

2017年07月15日 18時24分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 冷風扇というものをはじめて見てきた。「冷風扇とは、水が蒸発する際に気化熱を奪うことを利用した、主に家庭用の簡易な冷房装置のこと」(Wikipedia)ということで、「①水の気化を伴うため、室内の湿度が上昇し、体感的にはかえって蒸し暑くなる。②梅雨時など、元々、湿度が高い時の冷房には不適当。③冷却能力が小さく、エアコンのように部屋全体を冷却することは不可能」(同上)ということらしい。
 「小型、安価、軽量、消費電力が小さく、静か」という利点は大きい。消費電力などエアコンの1割以下であり、値段も8000円から20000円と魅力はあった。しかし他の客に店員が説明しているのを聴いていたら上に上げた欠点と同様のことをしゃべっていた。「加湿となる」ということばを聞いて、これを購入するのは断念した。
 結局扇風機だけでわか部屋は今年の夏を過ごさねばならない。

 さて断念してから安いチェーン店の喫茶店に入ったら、途端に昨日のように眠くなった。欠伸が止まることなく続いた。15時を過ぎると眠くなる習慣にでもなってしまったのだろうか。そのまま帰宅して2時間も寝てしまった。

 これから多分22時くらいまでは会議が続くであろうか。自分の担当のことが終わると、途中で寝てしまいそうである。

冷風扇は有効か

2017年07月15日 11時53分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく業務終了。これから印刷をすれば完璧。午後からは夜の会議の前に喫茶店で一服したいものである。

 わが部屋の暑さ対策が必要と妻に相談。扇風機ではなく、冷風扇というものを家電量販店で体感してみることにした。安いもので1万円以下、高いものでも2万円未満のようである。2台目のエアコンを購入しようとすると、壁にもうひとつ穴を開けなくてはいけない、我が家の電気容量を超えるうえ、電気代もかかる。

 さて、本日の昼食は何を食べようか‥。

こんなに眠いとは‥

2017年07月15日 00時02分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕刻に、喫茶店でほぼ1時間寝たにもかかわらず、夕食後眠くなりふたたびぐっすりと寝てしまった。よほど目が疲れていたのだろうか。そして目が覚めると喉の渇きをおぼえた。冷たいウーロン茶がとてもおいしかった。400㏄ほどを一気に飲んだ。
 一昨日は休肝日、昨日は缶ビール1本のみ。本日もまた休肝日としてみた。思い切って、明日・明後日も休肝日とするのも悪くない。

 今ちょうど日付が変わった。もうパソコン周りを片付けて寝てしまおうと思う。ねむい時には無理しないで寝た方が体にはいいはずである。
 

暑さと目の疲れで読書にならず‥

2017年07月14日 19時06分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一日中パソコンの前で会議の資料作りをしているととても耐えられないので、15時過ぎに横浜駅まで歩いて往復した。横浜駅では家電量販店でプリンターのインクなどの価格を調べ、書店では文庫本・新書を中心に新刊を見て回った。
 喫茶店で読みかけの「大伴家持」(中公新書)を1時間は読もうと気合を入れたのだが、わずか2~3頁で寝てしまった。低い椅子ではなかったので随分左右に振れて船を漕いだようだ。隣の女性に迷惑をかけたかもしれない。
 最高気温が31.9℃(12時半)という暑いさ中を歩いたための眠気もあるだろうが、昨日からパソコンの画面を見つめ続けていたことによる目の疲労が主たる原因のように感じた。
 会議の資料はもうあと3時間もあれば完成するだろうか。明日の昼には印刷に入り、会議が始まる夜までは少しのんびりしたいものである。
帰る途中では大きな公園でひと休み。日陰のない公園で、ベンチではかえって汗が噴き出てて来た。早々に公園を後にした。それなりに運動にはなったが‥。

万葉集巻15の冒頭の歌群から-2-

2017年07月14日 01時34分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 万葉集巻十五は、二つの部分に分かれる。前半の145首は今朝取り上げたよう新羅に使わされた人々と妻たちの歌である。後半の63首は今日から越前に配流となった中臣朝臣宅守(なかとみのあそみやかもり)と都にいる妻の狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)との贈答歌である。
 いつか全体を読み通したいとおもいがらも果たせていない。いつも最初の11首でおしまいになってしまう。

★君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ (3580 妻⇒夫)
★秋さらば 相見むものを 何しかも 霧に立つべく 嘆きしまさむ   (3581 夫⇒妻)
★大船を 荒海(あるみ)に出だし います君 障(つつ)むことなく 早帰りませ
(3582 妻⇒夫)
★ま幸くて 妹が斎(いは)はば 沖つ波 千里に立つとも 障(さは)りあらめやも
(3583 夫⇒妻)


(3580)  あなたが行く海辺の宿に霧が立ちこめたなら、私が門に立ち出でてはお慕して嘆く息だと思ってください。
(3581)  秋になったら必ず会えるのに、どうして霧となって立ち込めるほど嘆くのか。
(3582)  大船を荒海に漕ぎ出し、何の禍もなく、一日も早くかえって来てください。
(3583)  無事に過ごしているあなたが決済をして祈ってくれるならば、沖の波が幾重に立とうと、私に障りなど起きるはずはないよ。

 訳はこんなところであろうか。この冒頭の11首はいづれも口調もよく、比較的わかりやすいので、暗唱している人も多いらしい。私も昔は暗唱しようとしたこともあるが、結局は覚えられなかった。


本日の仕事は終了

2017年07月13日 23時18分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 不染鉄展の感想を書くために古いA4までのスキャナーでは時間もかかるし、手間も大変なので、先ほどコンビニでスキャンしてきた。あっという間にできる。ただしA3で1頁分が30円。手間と時間を考えると歩いて5分の処のコンビニを利用した方が、精神的なストレスを感じない。これから取り込んだ画像を処理し名前をつけて整理しながら、何を描くか考える。この作業が大切である。日曜日くらいまでには仕上げたいものである。

 明日は団地の管理組合の仕事の続き。原稿は作ってもらったので、順調にいけばそれほど時間がかかるとは思えない。


ガリガリ君でも体が冷えない

2017年07月13日 16時38分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜市域には竜巻注意情報が出ており、強風・雷注意報が発令されている。12時前から風が次第に強くなり、とても湿度が高そうである。14時半に南西の風で風速10メートルの標示となっている。
 先ほど妻は買い物に出かけた。風が強いし、竜巻注意報だといったのだが、夕食が出来ないと困るとのことで出かけて行った。どうやら今帰着できた。
室内はとても湿度が高い。汗が噴き出てくるので、まったく仕事がはかどらない。パソコンのある部屋はクーラーが入っていないので、生ぬるい扇風機の風がかえって不快感を高めている。