Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

スケジュール帳

2020年11月25日 21時59分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明後日までに原稿と写真を送信しなければならないことに先ほど気が付いた。スケジュール帳を見ていて、少々慌てた。ただし字数は400字、写真は1枚。明日中につくり上げて送信したほうが無難である。
 最近は1週間に1回はスケジュール帳に書き込んでいるが、スケジュール帳を見るのも1週間に1回になってしまった。書き込むときだけである。これでは何のためにスケジュール帳をこまめに更新しているか、わからない。見るのはさらにこまめな頻度が必要である。

 これからスケジュール帳の書き込みと、日曜日のオンライン講座の資料の打ち出し作業。
 2台のプリンターのうち、1台はきれいに印刷できるが、スキャナーが起動しない。もう1台は黄色のインクがでなくなり、スキャナーも起動しない。
 救いはきちんと印刷ができるプリンターはランニングコストがきわめて安いこと。

 この作業が終了したら本日は店仕舞い。


小雨の中の散策

2020年11月25日 19時39分11秒 | 山行・旅行・散策

 本日は小雨が降り、寒い中を石川町駅から外国人墓地-港の見える丘公園-フランス山公園-山下埠頭にある横浜港運協会まで歩いた。港運協会ではカジノに反対する協会の態度の説明と対案についての講演を聞くことができた。
 フランス山公園までは一昨日に妻と歩いたコースと同じ。その時よりもゆっくりなので、かえって疲れた。
 私たちの退職者会の参加者のうち5名が、組合の会館にもどり、いつもの居酒屋で昼食と軽い飲み会。12人用の丸テーブルに5人で座る贅沢。

 雨はなかなかすっきりとは上がらず、夕方までぐずついた。
 帰宅してみると本日は1万4千歩ほど歩いた。久しぶりの歩数で足の筋肉の疲労感が強い。8月中は毎日2万歩に比べると極端に少なくなった。残念だが、筋肉が衰えるのが早くなったと思う。

 


プリンターの調子が悪い

2020年11月25日 11時33分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩、寝る前にA3の用紙を印刷したら、発色がおかしくなった。ノズルチェックをすると黄色のインクがまったく出ていないことがわかった。黄色のインクはほとんど消費されていない。A3の印刷だけに使うプリンターなので、頻度はそんなではないのだが、やはり不便である。しかもスキャナー機能がときどき止まってしまう不具合もある。
 パソコンを直したばかりなので、プリンターの修繕は想定外であった。先立つものが厳しい。しばらくそのままにして様子をみるしかない。
 お金がかかるときにはどっとかかってしまうのがつらい。

 さて本日は朝からあわただしく出かける支度。天気も下り坂で、昨日に続いて寒い。とっいっても平年並みの気温ということらしい。風邪を引くとまずいので、セーターの上からダウンの上着を着て出かけることにした。

 夕方には、参加者のうちいつものメンバー3~4人ほどで空いている居酒屋に入るつもりでいる。静かに、一献傾ける程度にしたい。談論風発では、騒がしい歳よりと怒られてはまずい。
はたしてそのような店が見つかるであろうか。安く静かで、おいしい居酒屋を探すことにかけてはみな得意である。私も実際の嗅覚はダメになったが、このような条件をみたす居酒屋を探す鼻はまだ十分にきく。
 


「長期化するCOVID-19」(日経サイエンス12月号)

2020年11月24日 23時01分17秒 | 読書

   

 夕食後、ベートーベンのピアノトリオを聴きながら、「日経サイエンス12月号」の特集記事のひとつ「長期化するCOVID-19」から、「ワクチンの実力」「米国を揺るがす誤情報」の2編を読み終えた。

 「(ロシア、中国につづき)米国ではトランプ氏が大統領選挙前の実用化をにおわす発言をし、ワクチンは政局の材料に使われている。9月8日、欧米の製薬メーカー9社は共同で「第3相試験で有効性と認められない限り、我々は承認申請を行わない」との異例の共同声明を発表した。ワクチン開発への政治的な介入を、各社が強く憂慮していることを示すものだ。十分なデータの分析と検討を欠いたまま承認されれば、ワクチンはCOVID-19を制する武器にはならず、かえって長期的な混乱を招く危険がある。ワクチンの有効性と安全性の判断は、どんな状況でも科学によって下される必要がある。」(「ワクチンの実力」、出村政彬(編集部))

 「米国を揺るがす誤情報」は、危機の状況ほど陰謀論や流言飛語・フェイクニュースが世界中でまかり通る恐ろしさを目の当たりにしているわけであるが、いまだにそれが政治すらも動かしている状況、しかも日本でも野放しにされていることにもっと危機感を募らせるべきだと思って読んだ。

 この指摘は肝に銘じておきたい。特に日本の政権与党を構成する政治家にはよくかみしめてもらいたいものである。

 明日の退職者会のイベントにエッセンス部分を数部コピーの上、参考資料として渡したい。科学雑誌になじみのない仲間でも十分にこなせる内容だと思う。

 私としてはもうひとつの特集「星の地図をつくる-見えてきた天の川銀河の姿」も大いに興味がそそられているので、こちらも急いで目を通したい。


ベートーベン「ピアノトリオ」

2020年11月24日 18時30分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 ベートーベンのピアノトリオの第6番を聴いている。演奏はグールド・ビアノトリオ、2014年の録音。ピアノトリオは一応8曲ある。しかし、聴く予定にしているのは、第4番「街の歌」、第5番「幽霊」、第6番、第7番「大公」である。就寝までに何曲聴けるであろうか。

 本日は先ほど「トライアローグ展」の記事の3回目をアップして以降、読書も作業もほとんど進まなかった。愚図愚図とお疲れモード。気分転換に近くの私鉄の駅まで歩いてみたりしたが、効果はない。

 明日は退職者会の行事があり、9時半にJR石川町駅出発。朝起きるのが厳しい。参加者名簿を持って、9時前には行く必要がある。早寝に限る。

 


横浜美術館「トライアローグ展」 その3

2020年11月24日 11時32分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 マックス・エルンストは3点が展示されている。
 富山県美術館の「森と太陽」(1927)はエルンスト独自の技法(グラッタージュ)の作品として有名でいくつかの同様の作品があり国立西洋美術館でも見ることができる。
 とても硬質な感じのする作品で、太陽の白い形象にもかかわらず暗い感じに惹かれる。
 横浜美術館所蔵の「少女が見た湖の夢」(1940)はコレクション展でいつも見かける作品で、とても惹かれていた。空と思われる明るい色彩の下の不気味な形象の対比が1940年のヨーロッパの不安を表現していることまでは理解していた。そこに描かれている牛や猿などのおどろおどろしい姿は、ペストと不条理な神の支配する中世のヨーロッパからよみがえってきた魔物にも似ている。人間らしき造形もあるが、何かから逃れようとしている。
 シュールレアリズムの画家たちが、第一次世界大戦からドイツ革命の不発、ナチズムの胎動という不気味な時代に翻弄され、政治亡命を繰り返していた。そんな時代状況は理解していたつもりだが、それ以降の展開についてはほとんど無知であった。
 愛知県美術館の作品は明るく、また隠れるように描かれている鳥が先の2作品とは違い、明るくほほえましく描かれている。この変化に注目してみたいとも思った。
 解説で福田一穂(愛知県美術館)は、3点の作品について次のように指摘している。
 「自らの理性の埒外から不意に到来するイメージを救い上げるエルンストの方法論は、その後のシュルレアリスムの造形論の根幹をなすことになる」(「森と太陽」)
 「第二次世界大戦が勃発、(フランス在住でドイツ国籍のため)敵性外国人となったエルンストは、収容と釈放や脱走を繰り返す生活を余儀なくされる。‥1939年からレ・ミル収容所で‥不均一な模様を生み出す技法の実験を始める。画家の制御から外れた絵具が偶然を生み出す形のなかに、エルンストは怪しげな生き物たちを見出した。‥湖畔の風景に潜む、ギリシア神話のゼウスを思わせる牛から逃れようとする少女エウロパ(ヨーロッパの語源)の姿に、ヨーロッパの当時の状況を重ねないわけにはいかない」(「少女が見た湖の夢」)
 「ナチス政権下のドイツで、退廃芸術家とみなされてゲシュタポに追われていたエルンストは、1941年アメリカへ亡命する。イメージの源泉となったのは‥バロックを代表する画家レンブラントの《ポーランドの騎手》であるが、画面にもとの絵の面影はほとんどない。騎手の姿はどこかへ消えて、代わりに白馬が仲睦まじい2羽の鳥を抱きかかえ、その肩にはもう一羽の鳥がとどまっている。そこには自らを鳥になぞらえていたエルンストと、アメリカで出会いその後生活をともにした画家ドロテア・タニング、そしてもう1羽、エルンストに生涯つきまといつづけた怪鳥ロプロプの影がちらついている。」(「ポーランドの騎士」)

 シュールレアリスムの芸術家については、その当時のヨーロッパの政治・社会状況と切っても切り離せない強いられている。日本も第二次世界大戦の当事者であるが、この時のヨーロッパの芸術家や文化人の動向についてはわからないことが多い。多分、日本におけるシュールレアリスムの運動の受容の仕方と関係があるのかもしれない。
 今回の「トライアローグ展」を見て、日本におけるシュルレアリスムの受容について踏まえるべき視点が少し見えてきた気がする。

 実は1977年に西部美術館(セゾン美術館を経て閉館、収蔵品は軽井沢のセゾン現代美術館へ)で開催されている。私は見に行った上に図録も購入したが、よく理解できないまま図録もそして展示内容もすっかり忘却していた。
 この図録はカラー印刷は少ない。しかし収録文書が凝っている。エルンスト理解のためにはこの図録を読み込むことが必要だと感じた。
 冒頭にエルンスト自身の「シュルレアリスムとは何か」、「ダダ」、「自伝メモ」が掲載されていた。巻末には、アンドレ・ブルトン、ルイ・アラゴン、ホール・エリュアール、ヘンリー・ミラー、ロベルト・マッタ、ジョルジュ・バタイユなとのエルンスト論を巖谷國士などの訳で収録している。
 作品を多く見る機会も欲しいが、今回の「トライアローグ展」の図録を読み終わったら、1977年に購入した図録をきちんと読みたいと思う。同時にアンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」もやはり読んでおかなければならないと思った。

      

 


寒月・冬の月

2020年11月23日 21時39分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 急遽出かけてしまったので、マックス・エルンストについての記事は明日以降に持ち越しとした。
 帰りがけ、ほぼ半月の月が薄い雲のベールの向こう側に輝いていた。火星はちょうど雲が丸く切れている真ん中に見えた。木製・土星は他の高い建物に隠れて見えなかった。

★寒月や耳光らせて僧の群        中川宋淵
★軒を出て狗寒月に照らされる      藤沢周平

 いわゆる坊主頭、間違いなく耳がくっきりと大きく見えるものである。冬の托鉢、耳が痛いと思う。赤い耳はより鮮明に見える。寒さとともに目に飛び込んでくる。 


港の見える丘公園のバラと大岡昇平展

2020年11月23日 20時17分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 横浜美術館の「トライアローグ展」の感想を作成していたら、港の見える丘公園の冬のバラ、ならびに外国人墓地前にあるレストランまたは大佛次郎館にある「霧笛」という喫茶店に行きたい、とのお達しがあった。そういえば本日は42回目の記念日であった。急いでパソコンの電源を切り、出かける支度。
 アメリカ山公園経由でレストランに向かったが満席なので、冬のバラを見ながら大佛次郎記念館にある喫茶店「霧笛」へ向かった。さいわい空いており、お目当てのチーズケーキセットにありつけた。私はホットコーヒーのみ。ケーキは小さいので私にはごく小さいひとかけが回ってきた。
 冬のバラは小さめの花が多いが、華やかであることは変わらない。せっかくそばに来たので、近代文学館で「大岡昇平展」を見て、私はご満悦。夕食は家でつつましく食べた。

            

               


ベートーベン「チェロソナタ」

2020年11月23日 11時38分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 9時半過ぎまで寝てしまった。7時間半も寝たのは久しぶりである。起床後メールをチェックしたら8時過ぎにようやく強風注意報が解除されていたようだ。日差しは暖かい。
 本日はベートーベンのチェロソナタ全5曲をネット配信で聴きながら、パソコンに向かっている。チェロはLluis Claret ピアノは岡田将、録音は2019年と記されている。

 Windows10を入れなおしてもらったら、メーカー品ではないので、余分なソフトは入っておらずとても助かっている。入れてあったごくわずかなソフトの中でSpotifyというものが入っていた。音楽配信ソフトでクラシックも豊富に選択できるようで、気に入っている。

 以前にも記したが、ベートーベンというのは聴きながら作業するのは難しい。つい耳と頭が曲に向かってしまい、作業や読書には向かない。特に予定がないので、このまま続ける。


優柔不断

2020年11月22日 23時07分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日に続き、本日は風が終日強かった。強風注意報がまだ継続中。16時半に13.2mの最大瞬間風速を記録している。南西の風で昼間は西の空には厚い雲が絶えなかった。気温は20℃を少し超えた。この気温は10月下旬の気温に相当するらしい。
 明日は風が北寄りで冷たいとのこと。明日は出かける予定は今のところない。感染状況は予断を許さない状況でもあり、家に籠っていようかとも思う。ベートーベンの弦楽四重奏か、ヴァイオリンソナタを聴きながら。しかしやはり外を歩いてみたい欲求も強い。

 明日になってから、どんな気分になるか。優柔不断というべきか。


緊急地震速報

2020年11月22日 19時47分31秒 | 天気と自然災害

 午後から横浜駅の家電量販店により、特に購入物件はなかったが、パソコン売り場とプリンターなどの売り場を一回り。

 次に有隣堂で「日経サイエンス」の12月号も購入した。特集に「COVID-19ワクチンの実力」とある。もうひとつの特集も「星の地図をつくる 見えてきた天の川銀河の姿」にも興味があった。

 横浜駅はかなりの人出であった。まだボーナス商戦にはなっていないが、3連休の外出控え組が近場の横浜駅に集中したのだろうか。家電量販店の入り口で、本日が連休の中日の日曜日であると気が付いたが、そのまま入店。特に急ぎの買い物があったわけではないので、引き返してもよかったと、帰宅してから後悔。
 反省と後悔は違うらしい。後悔は「時間が経ってから訪れる精神的虚脱期の思い付き」、反省は「論理的に過去を整序づけてことの理非を論ずる思考」と私は区別している。
 コロナ対策の政府対応は、あまりに遅すぎる。政府の責任を自治体や国民に押し付けているに等しい。政府は政府としての責任を果たしてもらわないといけない。政府の責任を免除するための「自助」「自己責任」ではない。「公助」をきちんと果たしてもらいたい。政府はどんな場合も「後悔」ではいけない。常に「反省」の上に立って次の局面に対応してもらうのが、政府を構成する人間・政党の責任である。

 などと考えていたら、緊急地震速報。茨城県内で震度5弱を記録したというニュースが流れている。

各地の震度に関する情報     令和 2年11月22日19時10分 気象庁発表
22日19時06分ころ、地震がありました。
震源地は、茨城県沖(北緯36.6度、東経141.1度)で、震源の深さは約40km、地震の規模(マグニチュード)は5.8と推定されます。この地震による津波の心配はありません。
この地震について、緊急地震速報を発表しています。
この地震により観測された最大震度は5弱です。    震度5弱 茨木県東海村

 連休のさなか、被害がないといいのだが。


横浜美術館「トライアローグ展」 その2

2020年11月22日 14時47分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 「トライアローグ展」では、フェルナン・レジェの作品が3点展示されていた。
「コンポジション」(1931、横浜美術館)と、「緑の背景のコンポジション」(1931、愛知県美術館)、「インク壺のあるコンポジション」(1938、富山県美術館)の3点。
 私は誤解をしていたようだ。横浜美術館のコレクション展で展示される機会の多い「コンポジション」は奥行き感をきわめて縮めた空間に押し込め、黄・青・赤の美しい原色がバランスよく、そしてリズム感をもって配置されていることで目を引くものであった。しかし描かれているものが幾何学的なもので、機械に対する親和性が気になっていた。人工物・機械的な物に対する関心の強い作家と聞いていた。
 1930年代、多くの画家の、大型の機械に対する信仰にも近い親和性というものに対して、私は違和感が強かった。色彩の配置には惹かれる作品でが、同時に、精密な機械の美しさ、機能に対する信仰が危うくもろいものであることを現代の視点で私は判断していた。
 今回同じ年に制作された「緑の背景のコンポジション」を今回の展示で初めて見て、考え方を変えたほうがいいと思った。この作品では同じように奥行き感の乏しい画面に緑・赤の原色を配置してあるが、機械ではなく植物の形態を基本としている。中央に配置された長方形、円、三角などの幾何学的な形態も、有機物の形象の単純化の中でできた形態である。このことに好感が持てた。
 「インク壺のあるコンポジション」では、赤・青・緑・黄の原色のバランスが好ましいだけでなく、卓上の人工物であるインク壺やペンだけでなく、樹木に見えるような羽、雲に見えるたばこの煙、落ち葉のような形態など、卓上に風景が現出したような作品である。人工物と自然が混在して、不思議な空間を作り出したように思えた。
 この3作品を並べることで、レジェという作家が私の第一印象だけではない、普遍性を志向した画家であることが理解できた。私にとっては収穫のあった展示であった。

      


懐かしい道と公園を散歩

2020年11月21日 22時55分26秒 | 山行・旅行・散策

 二人で3時間ほどかけて二つの公園と、住宅街の散策を敢行。約1万歩をゆっりと歩いた。初めの公園は戸建ての高級住宅地がならぶ丘の上の小さな神奈川県管理の公園。がけ地にとても太い松や桜が並び、うっそうとした雰囲気。上り下りのきつい坂を一周。途中でフルートを吹いているカップルなどがいたり、私どもより少し上の年代の夫婦がカメラを持って歩いていたり、静かだが落ち着いた雰囲気。
 続けて住宅地を歩いて、次の市の管理する広い公園では小さなこどもを連れた家族連れが多数、賑やかであった。自販機のお茶を飲みながらしばらく子供たちを眺めていた。感染拡大でもあり、遠出を控えた家族連れが多かったと思う。



 私どもの子どもが小学校に入る前に、土曜・日曜によく連れてきて遊ばせた公園である。当時と何も変わっていない。子どもは変な遊具などなくとも、広い芝地があれば、体を目いっぱい使って楽しんで遊ぶ。懐かしかった。
 休憩後、農専区域のキャベツ畑や人参畑の中を通り抜けて帰宅。ここは公園に行くために子どもを連れて自転車で通った道である。
 


横浜美術館「トライアローグ展」 その1

2020年11月21日 21時18分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

         

 ここに掲げた4つの作品は、パブロ・ピカソの肖像画で、会場に入ってすぐの所に掲げられている。左から「青い肩かけの女」(1902、愛知県美術館)、「肘かけ椅子の女」(1923、富山県美術館)、「肘かけ椅子で眠る女」(1927、横浜美術館)、「座る女」(1960、富山県美術館)である。
 図録などではいづれも見たことはあるが、実際に目にするのは、横浜美術館所蔵の「肘かけ椅子で眠る女」だけだと思う。ひょっとしたら「青い肩かけの女」と「座る女」はどこかの展覧会で見たかもしれないが、具体的なことは記憶にない。
 多くの肖像画を描いたピカソであるが、今回、この4作品だけでも私は大いに満足である。
 解説はところどころ意味不明の個所もあるのが不満である。しかし面白い指摘もあった。この4点について「《青い肩かけの女》のモデルは不明ですが、パリやバルセロナで目にした社会から疎外された人々が想像され、ピカソの不安な心理状態が垣間見えます。《肘かけ椅子の女》もまたモデルは不明ですが、オルガと結婚して子どもも生まれ、生涯のなかでも穏やか時期であったことがうかがえます。《肘かけ椅子で眠る女》は、愛人マリー=テレーズがそのモデルと目されますが、オルガとの険悪な関係のなかで変化していったといわれる奇怪な人物表現が目を引きます。そして晩年の作品である《座る女》もまた極度に変形されていますが、2番目の妻となるジャクリーヌがモデルとなっています。ピカソ芸術はその個人史と密接な関係があり、ピカソをめぐる複雑な人間模様を知ることで、作品がより一層興味深く感じられる‥」(遠藤良平(富山県美術館))と記している。
 前段の「ピカソの不安な心理状態」という表現は何を意味しているのか、理解に苦しむが、後段の「個人史と密接な関係があり、ピカソをめぐる複雑な人間模様を知ることで‥」は、当たり前といえばそれまでだが、しかし今後ピカソの作品を見る機会がある度に思い出しておきたい指摘であるとおもう。
 妻や愛人との緊張関係、この緊張関係がピカソにとっては次第になくてはならないものとなり、それがもとでまた新たな男女関係に向かうという心理がピカソに働いていた、というのは納得できる指摘である。緊張関係が創作にとって欠かせないものとなったのではないか。

 私はピカソの「青の時代」の作品は多くは知らないが、いづれもとても気に入っている。大胆なことを言わせてもらうと、男女を問わず、ルオーの描く「キリスト」を思い浮かべてしまう。うつむいてじっと何かを見つめる穏やかな視線に私はいつも惹かれる。
 彼女や彼らが背負っているものとの共感関係を模索しようとする姿勢を感じる。彼女や彼らがピカソにとっても、ルオーにとっても、社会との関係を取り結ぶ契機であり、もっとも身近な他者であったのだと思う。その人々との関係が自分の貧しさと自分の将来への不安の「救い」であったのだと理解している。

 「青春」というのは、明るい未来にあるのではなく、自分が共感できる他者の発見であり、その人々へ寄り添おうとする意志であり、さらにその共感によって予測される将来に対する自己の不安を見つめることである、と50年前の混乱の社会の中で私なりにたどり着いた。
 「青の時代」のピカソの作品やルオーのキリスト像を見るたびに私は当時の自分を思い出す。

   

 今回は、さらにパウル・クレーの作品が5点展示されている。「油彩転写」の3作品はすでに実際に見た記憶もあるので省略。私がこれまで実際に見た記憶のない2作品が新鮮であった。
 左から「女の館」(1921)と「回心した女の堕落」(1939)でいづれも愛知県美術館所蔵。

 クレー作品の題名はいつも不思議なものでほとんど理解できないものが多いことも事実であるし、「女」というのもクレーにとっては何か重大な暗喩なのか、と思われるが私にはいまだよくわからない。クレーの作品は、いづれも題名にとらわれずに鑑賞することにしている。
 「女の館」は暗い色調であるものの、黒ずんだ丸や三日月形の赤と、薄い緑の丸、微かで不定形にも見える青い四角、黄色味がかったピラミッド型などが八の字のように末広がりで点在している。色彩の響き合いやグラデーションにこだわった構成が私の気に入っている。
 1921年の作品である。この前年にミュンヘンで「革命的芸術家行動委員会」の委員に就任するも反革命軍に追われベルンに逃れたり、バウハウスで色彩論などの講義を始めたもののナチスの迫害が始まり、1933年にはスイスに亡命することになる。しかしこの時以降、「油彩転写」という技法を編み出し、細い線ならびに淡い色彩をバックにした作品を生み出していく。
 この作品は2011年の国立近代美術館で開催された大規模な「パウル・クレー おわらないアトリエ」の図録にも掲載されていないので、出点されていなかったと思う。多分初めて目にする。
 そして「回心した女の堕落」という作品は死の前年の作品である。解説では「タイトルは謎かけのようだが、第一次世界大戦で深手を追いながら再び戦争へと突き進む当時のドイツをそこに重ねることも可能だろう」としるしている。
 この作品、クレーらしからぬ太い輪郭線が印象的である。そして原色が厚く濃く塗りこめられている。ピカソを思い出させるような女性像である。この年、ピカソとキュビズムを始めたジョルジュ・ブラックがクレーを訪問しており、その影響かと思った。
 女性の胸の赤い十字架が真っ先に目に飛び込んできた。このロボットのような女性は言葉にならないながら何かを叫ぼうとしているようだ。どんな言葉をクレーは想定したのだろうか。想像してみたい。

 革命と戦争のなかで、緊張感あふれる生涯を終えた画家である。

      
 

 


ブログ「昭和歌謡の風景」紹介

2020年11月21日 11時37分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 私の古くからの友人のブログ「昭和歌謡の風景」が更新された。更新の頻度は高くないが、面白く拝読させてもらっている。
 11月11日にアップされた記事は「知りすぎたのね――秘密がないから、話す言葉もうつろに響く」。
 この私のブログのブックマーク一覧にもリンクを貼ってある。興味を惹かれた方はぜひ訪問ください。歌謡曲の世界と、ちょっと挑発的に述べられている。政治・社会批評がうまく結びついているか、毎回たのしみにしている。