Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ベートーベン第5、第6交響曲

2020年11月15日 22時37分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 21時からは、Eテレでベートーベンの第5交響曲「運命」、「トルコ行進曲」を山形交響楽団・指揮は阪哲朗。同じく交響曲第6番「田園」、「バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲」を大阪フィルハーモニー交響楽団・指揮を尾高忠明で聞いた。
 このほかにアンドラーシュ・シフによるベートーベンのビアのソナタ12番も放送された。

 本日も悪寒をともなう高熱は出なかった。しかし夜には平熱の上限よりもわずかに高め。来週半ばまでにはいつもの内科に降圧剤の処方をしてもらうために受診する。市民病院での検査・診断結果を報告しながら、それ以降の症状の変化を伝える予定。
 


木星と土星の接近

2020年11月15日 21時27分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後は、若干の作業をしているうちに、目の疲労感が募り、1時間ほど昼寝。目が覚めたのち、近くの私鉄の駅の近くにある公園まで往復。公園で夕焼け直後の空に輝く木星・土星・火星を見上げながら缶コーヒーで一服。特に寒さは感じなかった。火星は東の空、木星と土星は南の空。

 春から夏に見上げた木星と土星の間隔はかなり近づいてきた。来月12月下旬にはこの二つの惑星はもっと近づく。
 この見かけ上の接近は20年に一度、たいてい1°程度になることが多いが、今回は0.1°まで近づく。これほど接近するのは、1623年以来397年ぶり。
 最も接近するのは12月22日午前3時頃で日本では地平線の下で見ることはできない。21日か22日の夕刻に見るのがいいようだ。そのころには、19時に西の空へと沈むため、18時頃から眺めでみたい。
 なお、次回の接近は20年後の2040年、今回のように大きく接近するのはさらに40年後の2080年という。
 天文ファンにとってはぜひ肉眼でも双眼鏡でも見ておきたい現象である。ただしあくまでも見かけ上の接近なので、実際に木星と土星が接近するわけではない。


オンライン講座「美術の物語」(ゴンブリッチ)

2020年11月15日 13時05分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中は、オンライン講座「ゴンブリッチの「美術の物語」の11回目「宮廷と都市 14世紀」。ルネサンスの前段の建築・美術ということになる。
 次回からは15世紀、ルネサンスの世紀に入っていく。

 デスクトップのパソコンがまだ戻ってきていないので、本日はこのミニノートパソコンで受講した。ファイの接続が時々途切れるので、妻の使っているタブレットを拝借しようとしたのだが、フリーメールの設定ができずに断念。あの12キーがどうしてもうまく使えない。操作しているうちに他の画面に勝手に変わってしまう。タブレットというのはなじめない。
 一応このミニノートパソコンでも今回は、2時間近く途切れずに続けられた。どういうはずみで接続が途切れるのか、よくわからない。

 午前中は受講だったので、午後は作業時間としたい。


横浜公園、日本大通&山下公園

2020年11月14日 22時13分06秒 | 山行・旅行・散策

 横浜公園ではサクラ、日本大通・山下公園ではイチョウが美しかった。
 しかし撮影するセンスと技術はとても拙いのが悲しい。
 明日は午前中にオンライン講座。寝坊しないようにしないといけない。

         

   


山下公園&中華街

2020年11月14日 20時46分07秒 | 山行・旅行・散策

             

 


 午後から関内の横浜公園-日本大通-山下公園-中華街を歩いた。イチョウはかなり黄葉していた。ギンナンも数多く落ちていた。
 大桟橋には飛鳥Ⅱとにっぽん丸が停泊中で、赤レンガからの道も混雑。中華街も、今年3月の水準に戻っているかどうかは不明であるが、かなりの人出であった。
  中華街で夕食を食べて帰宅。横浜スタジアムではベイスターズが最終戦に勝って、電車はベイスターズファンでにぎやかであった。


欅の黄葉、欅落ち葉

2020年11月14日 13時30分40秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日と同様12時までに作業はひと段落。本日も一昨日に比べて格段に暖かい。明け方まで出ていた強風注意報も解除になり、静かで穏やかな一日になりそうである。
 団地の中のケヤキの紅葉も美しい。地面に散った葉も乾き具合が好ましい。踏むと乾いた音がアスファルトに反射して耳に心地よい。
 嗅覚の働きがほとんどなくなった私の鼻にも、乾いた冬の土の香りがかすめるように思われる。

 午後から近くの公園に紅葉狩りにでも出かけたいとのリクエストがあった。どこがいいか、考えるのもまた楽しいものである。

★病室の中まで黄葉してくるや      石田波郷
★静かなり潔癖なりき欅落葉       金子兜太


冬の夕焼け

2020年11月13日 23時03分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★明星の銀ひとつぶや寒夕焼       相馬遷子
★手元まで闇の来ている冬茜       廣瀬町子

 喫茶店を出て、バスに乗って帰宅した。団地の入り口についたときはほとんど日が落ちており、ほんのかすかに西の空が色づいていた。明星ではなかったが、木星が夏よりも土星に近づき明るく輝いていた。木星の輝きに土星も暗く見える。この時期、昼間に比べて日がかげると気温がぐんと低くなる。星を眺めるゆとりがなくなり、宵の明星や木星や火星などの明るい星ばかりが目につく。現在一番明るいはずの火星はまだ見えなかった。
 夕日が沈みかけると一気に暗くなる。世相が暗いと、そして社会が暗い影に覆われていると、その闇がいっそう駆け足で自分に迫ってくるようにも思う。そのようなときは家路まで足も早くなる。
 写真は先日の夕焼け。本日よりもまだ日は高かった。しかし沈むまでの時間は早い。


酒井抱一「秋草鶉図」

2020年11月13日 21時51分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 酒井抱一の作品が見たくなって、山種美術館で購入した「琳派と秋の彩り」(2015年)展の図録をめくってみた。秋の植物と月を配した作品が3点あるが、「秋草鶉図」に当時は一番惹かれた。黒く変色した月はもともと銀であったために黒く変色している。銀の色を想像しながら見ると、描かれた秋草が浮き上がってくるのではないかと思う。
 制作年は特定できていないようだ。秋草の根元に身を寄せる鶉も印象的である。鶉が夜に活動するのか、わからないが、銀の月に照らされる鶉のぬくもりと毛並みが、秋の草草に溶け込んでいるように伝わってくる。

 東京国立博物館にある、「夏秋草図屏風」が有名で私も気に入っているが、この作品もまた忘れがたい。

 


戻ってきた日常

2020年11月13日 20時03分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 久しぶりにこれまでどおりの日課に戻ったような気がした。午前中から13時半くらいまで退職者会の作業と昼食。14時に外に出かけて、家電量販店や書店、百円ショップなどを除いたのち、喫茶店でコーヒータイム&読書タイム。18時前に帰宅してから作業の再開。
 本日もこんな時間配分ができた。ただし、出かけるにあたってはウォーキングではなく、地下鉄・バスなどを利用した。その分、読書タイムが長くなった。
 うれしかったのは、発熱の兆候はなかったこと。このまま体調がもとに戻ってほしいと思う反面、原因がわからないことに不安もある。

 夕方になって冷えてきた。


中途半端な感想

2020年11月12日 23時07分16秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日加藤楸邨の句について記述した。
 「石蕗(つわ)くらし易断にさへ人すがる」と「焦土より水ほとばしり冬満月」である。同時期に「凩や焦土の金庫吹き鳴らす」「墓碑もなき幾万にかく冬枯れし」などの句も並ぶ。
 これらの句についてもう少し考えてみた。

 ここには「被害者」としての目がある。戦地で死地に追いやられ、空襲で焼きだされ、それぞれに恐怖と飢えにされされた体験がある。「国家」というものが決して国民の最低限の生存権すら保証せず、使い捨ての消耗品のように命を奪うという現実、そして国家というものが解体し、国家の理念なるものがいとも簡単に崩壊・解体することも体験している。
 その体験によってもたらされた空白の時間をどのように生きていくか、疲労し、どうしていいかわからない生活者の視点を表現している。だか、もうひとつ突っ込むとすると、この混乱に振り回され、国家という理念が崩壊した人々の中に、たくましく焼け跡と闇市の中でたくましく生き抜く術を模索していく人々の姿があまり見えない。
 それが見えないのを非難するつもりはない。だが、戦後の出発というものの中に、その人々のアナーキーなたくましさもまた、噴出するマグマのようにあったはずである。だが、私の目に触れた戦後の文芸や美術にはそのような視点はなかったような気がする
 むろん私の目が届かないこともある。

 ここまで至って寝落ちした。この後は機会と能力があれば‥。


パソコンと一体になった人間?

2020年11月12日 19時43分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 不思議なもので、デスクトップのパソコンがなくなると、置いてあった部屋に行かなくなる。ミニノートパソコンの置いてあるリビングルームに居座ってしまう。ようするにパソコンがある部屋にいるということである。パソコンと人間がくっついてしまっているのだ。
 デスクトップの置いてあった部屋には、様々な本が置いてあり、時々はのぞきには行く。しかし、作業が順調であれば、読書の気力も出てくるのに、ミニノートパソコンと格闘していると、読書の気力がわいてこない。休憩時間は目もくたびれねし、肩も凝るのでボーッとしていることのほうが多い。

 午後、近くのドラッグストアの買い物に付き合い、神奈川大学のキャンパスまで歩いた。生協で注文していた本を受け取り、往復5000歩あまりの散歩になった。

 


待つだけというのはつらい

2020年11月12日 13時48分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 デスクトップパソコンはいったん引き取ってもらい点検・修理ということになった。ハードディスクの交換が必要な場合は、SSDに変更してもらうことにした。

 さいわいなことに、労働組合の再建以降の私たちが1989年に立ち上げた支部の記憶データは、すべて外部のSSDに移行している。私の個人的なデータも同様である。

 今週中にパソコンが戻ってくるか、それが問題である。写真データを何枚か早めに処理したい。何事も待つことはつらいものである。
 


本日からダウンコート

2020年11月11日 23時17分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の最高気温は17.2℃。ほぼ平年並みの気温である。外出するときは例年来ている極薄のダウンコートを羽織った。地下鉄のホームまで降りると暑いくらいであった。
 横浜駅の地下街でも暑いくらいだった。帰りは最寄りの私鉄の駅から歩いたが、やはり外はこのコートが必要であったと感じた。

 ようやくいつもの年の気温になりつつある。明日は9時過ぎに、デスクトップパソコンの修理を頼んだかたが来てくれる。果たしてどのような修理になるのか。不安が募る。


石蕗(つわぶき)の花

2020年11月11日 21時48分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 団地の中でもツワブキの花が咲いていた。各号棟の北側の暗い場所に咲く黄色い花は目立つ。同時に北側の暗さが強調される。ツワブキはその葉と根元の暗さをセットにして鑑賞したい。

★石蕗(つわ)くらし易断にさへ人すがる   加藤楸邨

 1947年(2月ごろ)の句。「野哭」所収。この句の前には「焦土より水ほとばしり冬満月」という句がある。戦後の暗く、不安が人々の生活を覆っていた時代の句である。占いに人々はすがって、将来の不安、生活の不安を払しょくしようと懸命であった。空襲によって寸断された都市施設、とりわけ水道施設は老朽化、劣化著しく、修理もままならなかった。冬満月に照らされた漏水したままの水道、易断の前に連なる人々、作者なりに捉えた戦後の荒廃した風景である。

 


パソコン疲れで気分転換の外出

2020年11月11日 15時33分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝からミニノートパソコンを4時間ほど使用した。しかし実質デスクトップパソコンでは1時間程度の作業量しかこなせていないと思う。
 くたびれてしまった。少し遅くなったがこれより外出。書店での立ち読みと家電量販店と喫茶店でのコーヒータイムと読書と欲張っている。多分どれかは断念せざるを得ない時間になってしまった。

 風は弱まった。最高気温が16℃という予報であったが、意外と暖かく感じる。気象庁のデータでは14時前の17℃が今のところの最高気温であるらしい。

 70歳近くになってパソコンの作業でくたびれる、というのもあまりない状況かもしれない。