Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

肩が凝るミニノートパソコン

2020年11月10日 23時40分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 体温は平熱のほぼ上限を上下。気分は悪くはないが、決して完全な体調な状況とは言えない。
 本日は早めに就寝することにした。お風呂は軽く、済ませる。
 明日は特に予定はない。

 このミニパソコンでは効率も悪い。持ち運びに便利であり、簡易な入力、定例的な文書作成、訂正などには問題はないものの、凝った構成の文書などには不向きである。
 購入した時からわかってはいたが、今更ながら困惑。やはり大きなデスクトップが格段に使いやすい。ミニノートは、新聞を作ったり、複雑な表やパンフレットなどの編集・校正には向かない。また長時間の使用にも向かない。キーボードが小さく肩が凝る。
 やはり使用目的は限られるようだ。


パソコンの修理

2020年11月10日 21時13分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は、9時半~18時までの長時間の作業と会議と買い物、ならびに1時間半の居酒屋談義があり、発熱があるのか、と心配したが、今のところ特にその兆候はない。

 パソコンの不具合はいつも来てもらっているかたから連絡があり、ハードディスクか内部メモリーに不具合があると思われる、ということであった。明後日の朝早くに見に来てくれるとのことであった。再セットアップなどで不具合の解消には至らない可能性が高そうである。
 ハードディスクの取り換えとなると代金も高くなる。やむをえないのであるが、痛い。だが多少高くても、ハードディスクではなくSSDに変えることができるのであれば、今後故障も少ないこともあるので、聞いてみたい。

 しかしミニノートでは作業の効率はとても低く、作業に支障をきたしている。作業予定が大幅に遅れてしまう。


パソコンが不具合

2020年11月10日 10時15分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 一昨日から我が家のデスクトップパソコンの具合が悪い。作業中に突然「再起動します」と表示がかわり勝手に再起動を始めてしまう。それまで作っていたものがすべて失われてしまう。

 それが何回か現れる。昨晩も寝る前に三度も現れた。これでは仕事にならない。以前にハードディスクを交換してもらった。それまでのデーターや設定をそのままコピーしてくれたので、二泊三日で戻ってきたときはすぐに作業を再開できた。

 さきほどその時の業者に電話をして、現れた画面を撮影した画像を送信した。現在はミニノートパソコンで作業を始めたが、キーボードが小さいので、早打ちができない。指が慣れていないのである。

 しかしこの忙しくなった時期に合わせて不具合が発生するというのも困ったものである。さほど使い方が過酷でも乱暴でもないと思う。一日中起動していることもあるから、機器の損耗がおのずと激しいのだろうか。

 SSDのほうが故障はしにくいと聞いているが、もしもそれが正しいのであるならば、買い替えたほうが長持ちをするのだろうか。買い替えるならばA4が縦に100%の実寸で表示される27インチを希望している。ただし妻の了承を得るのはなかなか難しい。業者と相談してみたい。

 


久しぶりの居酒屋もノンアルコール

2020年11月09日 22時18分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕方組合の会館に向って歩き始めたら雨が降りはじめた。本降りの雨、時間雨量で10ミリくらいの雨であったろうか。傘は持っておらず、荷物も重かったがタクシーもつかまらなかったので、結局15分ほど歩いた。会館に着いたときにはほとんど雨が上がっていた。さいわい荷物もリュックの中のパソコンも書類も濡れなかった。もう少し強い雨ならリュックの中も濡れたかもしれない。
 今朝の天気予報では雨が降るとは言ってなかったと思う。まさしく通り雨であった。リュックにザックカバーをつけていなかったのは失敗。

 組合の会館でビニール傘を借り、近くの居酒屋へ。本日はウーロン茶で我慢。ツマミも小皿二皿ほど。皆より先に帰ることにして、割り勘分は1000円にしてもらった。
 今月は会館の中でのワンコインの飲み会ではなかった。それでも1000円で1時間半ほどの楽しい会話が出来て満足。

 先ほど帰宅してお茶を飲みながらひと息。帰り道はすっかり雨が上がり、雲も切れ間が出来て夜空が美しかった。本日の歩数は1万3千歩あまり。少し歩き過ぎであったが、今のところ発熱の兆候はない。明日がどうなるか。

 本日の会議、だいぶ日程や作業が舞い込んでいる。整理するのは明日、本日は休養のためそろそろ就寝の準備を始める。


恥ずかしながら・・・

2020年11月09日 17時05分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

後片付けも、100円ショップでの買い物も終了して、休憩中。組合の会館に買い物を持ち帰り、すべて終了。
あとは、いつもの居酒屋に顔を出してから帰宅。本日はお咎めの無いように「意志を強く持って」ノンアルコールのウーロン茶で参加してみることにした。


まもなく会議終了

2020年11月09日 14時17分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

前段の打ち合わせ、準備作業、事前会議、発送作業が無事終了。
本番の幹事会が始まった。2時間で終わることを願っている。

さいわい発熱の兆候はない。終了後、2週間ぶりに軽くビールでも飲みたいものである。


ベートーベン「第3交響曲〈英雄〉」

2020年11月08日 23時14分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 NHKのテレビ放送でベートーベンの第3交響曲「エロイカ」を聴いた。久しぶりの曲である。演奏は群馬交響楽団。指揮は高関健。
 本を読みながら聴こうとしたが、良く知っているこの曲は「読みながら」ということが出来ない。曲の方が耳からどんどん頭に入ってきてしまうので、目からは何も脳にはたどり着かない。ベートーベンの曲というのは、そうやってどうしても最後まで聴くように仕向けられてしまう。読書は断念した。
 モーツアルトもどんどん耳に入って来るのだが、こちらは読書しながらでも聴ける。逆に読書の妨げになる雑音を消してくれる。読書が終ると聴いていたモーツアルトの曲が蘇ってくる。その原因を探る能力はないが、ベートーベンとモーツアルトの曲の違いの私なりの実感である。
 面白かったのは、「エロイカ」のフィナーレに転用されている「プロメテウスの創造」を同一プログラムに組んでいて、それも放映されたこと。
 そして福岡の九州交響楽団の演奏で第4交響曲を小泉和裕の指揮で放送しているが、これは録画している。後日聴く予定。
 ともにとても懐かしい曲である。

 本日はこれにて就寝。明日は退職者会の幹事会と前段の会議とそれらの準備作業。9時半には組合の会館に到着しておく必要がある。8時半に家を出るべく努力しないといけない。
 


立冬・冬に入る

2020年11月08日 20時46分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日7日は立冬であった。

★柴垣を透く日も冬に入りにけり     久保田万太郎
★凪ぎわたる地はうす目して冬に入る   飯田蛇笏
★立冬の軋むばかりの椅子の音      庄司たけし

 第1句、太陽の高度も午後にはあっという間に低くなり、生垣も葉を落しているにもかかわらず、透過する陽射しも寒々しくなる。生垣の周りの色彩は乏しいが、生垣にあたる陽射しの周りは夕陽の鮮やかな茜色に染まっている。
 第2句、甲斐の地は相模・武蔵よりも寒く、そして乾燥している。冬のきりりとした寒さも風がない日もある。そんな地面が「うす目」で作者を凝視しているというのである。その目は暖かい親しみのある視線なのだろうか。これから厳しい冬だという警告の目なのだろうか。何か含みのある目なのか。
 私は冬の眠りに入る甲斐の自然に自身を投影しているように思える。決して冬を厭うてはいない。
 第3句、多分会議か打合せが行き詰っているのではないか。参加者の口が重くなり、回転いすを揺らす音だけが室内に響く。こんな場面は早く逃げ出したいのだろうが‥。冬に入り乾燥して金属などが摺れて軋む音ばかりが響く、季節感タップリである。


明日のための作業は終了

2020年11月08日 18時21分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 とりあえず本日の作業が終わり、先ほど歩いて10分ほどのところの喫茶店に出向いて読書&コーヒータイム。一人で往復歩いた。帰りは少しだけ遠回り。往復ともゆっくりと歩いた。風はなく、気持ちのいい夕刻である。
 作業は順調に推移。しかし、細かなミスがいろいろ見つかり試し刷りで50枚以上も印刷。久しぶりに本を読む気力も湧いた。

 発熱の兆候はなく、平熱で推移。ホッとしている。明日もこのままの状態が続いてほしいものである。


作業は一段落

2020年11月07日 22時48分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は雨が降ったこともあり、一日家の中で過ごした。夕方から体温が平熱の範囲を0.3℃くらい上回った。唇のあたりが少しはれぼったく感じている。昨日と同じである。
 家の中で動く分には特に支障はないが、出歩くのは怖い感じがする。

 明後日の月曜日には退職者会の幹事会がある。朝からさまざまな会議をいつものようにこなしながら、資料作りなどをしなくてはいけない。しかもニュースの発送作業の月である。
 一応ブロックの会員宛のニュースは今印刷をしている。全体のニュースは印刷所から明日の昼までには届くことになっている。そして会議の資料の一部を打ち出した。明日は残りの資料を打ち出して終了。コピーは組合の会館にて行う。資料は原本を一部だけ打ち出せば終る。
 準備はほぼ出来がった。しかし発熱が起きると出来なくなるので、明日の午前中には終えてしまいたい。

 明日は晴れて暖かくなるとのこと。発熱もなく、作業が滞りなく終わってほしいものである。何よりも月曜日、体力が持ってほしい。


円山応挙「雪松図屏風」

2020年11月07日 18時51分03秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 円山応挙の作品に「雪松図屏風」があり、ここに掲げたのは左双である。以前にこの作品について感想を記載したことがある。
 日本の松の幹の株は左から風が松に向って吹いて、雪が左側についている。しかし松の先端に行くほど雪は左から正面にずれていく。左の松では実際に近い。右の松では右に分かれた枝には右側に雪が着いている。そのことが今も気になっている。
 午前中に狩野探幽の「雪中梅竹遊禽図襖」をはじめて見た。ここに掲載したいが、いい画像がないので断念した。この探幽の作品では雪を被った松が幹と枝を右から左に大きく張り出している。雪は下部の幹には正面に張着いている。しかし左に張り出した枝には上部に雪が積もっている。この作品では、わたしは空間が大きく上部になるほど空間が見る者から遠ざかるように、画面の奥の方に曲げられているのではないか、と感じた。そうすることで画面に奥行きが生じる。その変わり枝の手前に着いた雪は上部に積もったように見えることになる。探幽はこの奥行感、ある意味では遠近感を強調したかったのではなかろうか。
 この仮説の上に立って円山応挙の作品を見ると、どのように見えるだろうか。左の松は下から見上げるような極端なワイド画面に見えるが、やはり上部が奥の方に極端に曲げられていると思える。空間を歪めることで奥行き感を出している。
 それに比べて低い右側の松は、雪の重みに撓っているようにも見えるが、右側と向こう側に画面がゆがめられているとも思える。こうして右側に奥行き感が出ているのではないか。
  右側の松の右に張り出した枝は雪の重みだけで枝が歪み、雪の着いた向きがずれたように見える。同じ松の先端は左側に雪が着いている。これは歪んではいない。

 視点をずらしたり、それによって空間を大きく歪めることで、奥行感・遠近感を出すという仮説に、私は今のところ充分に納得している。風景については、実景の写生という概念はなかったと思うので、空間をゆがめたり、視点を自由に変えるということは特にこだわりというものはなかった時代である。意識的にこのような構図を追求したのではないとも思う。

 以上は、あくまでも素人の思い着きである。どなたか教えてほしい。

 


東博「桃山-天下人の100年」展

2020年11月07日 14時11分34秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は今のところ発熱の兆候はない。

 3日の日に聴講を忘れてしまったオンラインの美術講座、本日は忘れずに聴くことが出来た。内容は「学んでから行く「桃山-天下人の100年」という東京国立博物館の特別展の解説を兼ねて「桃山美術と戦国時代」。
 狩野永徳の「四季花鳥図襖」の「梅花禽鳥図」、「唐獅子図屏風」、長谷川等伯の「楓図壁貼付」、狩野山楽の「紅梅図襖」、「牡丹図襖」、狩野探幽の「雪中梅竹遊禽図襖」、雲谷等顔の「山水図屏風」、狩野元信の「四季花鳥図屏風」、岩佐又兵衛の「洛中洛外図屏風(舟木家本)」などを堪能した。
 また織部焼など、私の好きな茶碗も解説があった。

 実際に上野まで行きたいのであるが、今の体調では不安である。せめて図録だけでも手に入れたいと思うが、後日にするしかないようだ。

 


鰯雲・菊、そして石蕗の花

2020年11月06日 21時40分24秒 | 俳句・短歌・詩等関連

         

 私の団地の周囲で初めてキクが咲いているのを見た。例年、団地の周囲ではあまり菊の花は見かけない。ここの住宅の一角も、例年私は記憶になかったと思うが、確信ではない。
 夕方バスを待っていると、ビルの合間に見事な雲を見つけた。

 しかし明日はもう立冬。バスを降りて歩いていると石蕗の花が咲いていた。早いものでは10月から咲くというが、私にはもっと寒くなってから咲くという認識がある。
 確実に冬が迫っているが、昼間の気温はそれほど冬を感じない。まだまだ暖かい。

★鰯雲ひとに告ぐべきことならず     加藤楸邨
★二通目の手紙大切いわし雲       ふけとしこ

 第1句、人に告ぐべきことならず、とはどんなことなのか。いろいろある。何も語っていないのでいかようにも想像できる。そこまで放り出してしまって、「俳句」だというところが何ともいえずに魅力なのだろう。まずは、鰯雲がはじめにあるので、読者の視線を秋の澄み切った空に誘導する。でも自分の胸にしまっておくことだ、というのである。肩透かし句である。同時に若いモヤモヤをのみ込んだ感のある、10代の頃の自分に触れるような気もする。
 第2句、友人にしろ、恋人にしたい人にしろ、2通目に出す手紙が大切なのである。2通目だからといってくだけすぎてもいけない。かしこまり過ぎても心が通わない。次につなげる手紙としたいのだが、うまく言葉も見つからない。そんなもどかしさは、携帯電話とメールの昨今ではわからないかもしれない。しかしどんな時も、2通目、2回目というのは大切であることに変わりはないと思う。悩んで書いた2通目、投函するときに澄み切った秋空の鰯雲に祈ったのだろうか。ここはどうしても鰯雲でなければならないと思う。
 1通目で気を引いて、2通目は3通目につながるように少しさらっと書き、3通目で次の一歩を踏み込む。句にすれば、芭蕉がこだわった歌仙にも似た流れである。

 


桜紅葉4態

2020年11月06日 20時21分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 組合の会館から夕刻に戻った。夕食後の現在まで今のところ発熱の兆候はない。

 本日はサクラを4態。桜紅葉というものは不思議なものである。日あたりの具合か、種類によるものなのか、綺麗に赤くなるもの、黄色が多いもの、散る葉のほうが多く散ってから色づくものとさまざま。そして一枚一枚の葉に傷が多い樹、その反対に葉に傷の少ない樹、虫食いが多い樹と少ない樹、色づきも途中から枯れた色になってしまうなど。樹によって表情に違いが顕著でもある。決して手放しで美しい、という具合でもない。
 それでもその紅葉の仕方が気になるものである。
 秋に色づいた葉は私は、夕日が良く似合うと思う。夕方に撮影するのがいい。
 本日はまた発熱したらどうしようと、思いながら組合の会館を往復したので、とても一眼レフを持ち歩く勇気はなかった。スマホのカメラ機能につい頼ってしまう。

         
 


外出先が変更

2020年11月06日 11時08分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は外を「歩いてみたい」程度のことを考えていたが、布団に入ってから、今日までに組合の会館にて印刷の作業をしなくてはいけないことに気がついた。
 印刷する文書を打ち出したら、こんどは間違い、変換ミスなどが見つかり慌てて訂正。ようやく原稿を確定できた。これより昼食後作業に向かう。
 発熱の兆候が表れないことを念じてはいるが、念じて治るならばとっくになっている、ともいえる。

 今日は残念ながら、すっきりとは晴れてくれないようだ。