Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

マーラー「交響曲第7番《夜の歌》」 2

2021年06月25日 21時13分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 マーラーの交響曲第7番《夜の歌》の第3、第4、第5楽章を聴きながら、夕食後のひと時を過ごしている。私にとっては曲のイメージと《夜の歌》という語感から連想するイメージとは一致しない。私のイメージはもっと平らかで静かで、夜の大気の押しつぶされながら呻吟する世界である。この呻吟する感情の起伏がマーラーではとても激しい波のようなものではないのか、と思う。海の表面の波のようなものではなく、私のイメージは深海の海流のように大きなエネルギーを貯えつつも静かに大きな蛇行をしながら進んで欲しい。
 そこには金管のふるえるような咆哮も、歓喜をもたらす弦の細分化された刻みのような強奏も似つかわしくない。美しい旋律が続く第4楽章も孤立している。
 そんな違和感を抱きつつも、もう少し付き合って聴きたいという思いが湧いてくることも事実である。
 マーラーの曲、いつものことながらなかなか私には手強い。

   


眼鏡をかけ忘れる

2021年06月25日 12時04分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後から血圧の薬を処方してもらいにいつもの内科へ。先月受診時からの血圧の推移表に数値を打ち込み、打出完了。5週間分の入力を一度にするのは疲れる。毎週打ち込んでおけば楽なのだが、どうしても貯めてしまう。小学生の頃の夏休みの宿題と同じである。「毎日コツコツ」というのが難しい。

 先ほどから眼の見え方が変であると思いながら、妻と会話をしていたら、眼鏡をしていないことに気が付いた。髭を沿ったときに洗面台の横の台においたまま、忘れていた。なんとも恥ずかしい次第である。
 白内障の手術のおかげで、遠くは両眼では0.5ほどの視力となり、手元の文字を読まなければ家の中では特に支障はない。しかし文字を読まない時間などほとんどないのに、眼鏡をしていないことに気が付かなかった。新聞は見出しを見ただけ、スマホも見なかったので、気が付かなかったのだろう。

 現役のころは忙しいと、眼鏡を頭の上に持ち上げたまま来客対応や電話応対、書類作成、入力作業などを繰り返していたことはいつものことであった。昼休みになって目の疲れを感じて、眼鏡をかけていないことに気づいたものである。しかし現在はそんなに追われて仕事をしているわけではないのに、こんなことになると自分でも少々心配になる。

 午前中は弱いながら本降りの雨が2度ほど。


十五夜

2021年06月24日 22時01分12秒 | 天気と自然災害

 本日は満月ではないが、十五夜。満月は明日。明日以降月を見る可能性は低いと思い、盗難の空に浮かぶ月をスマホで狙ってみた。ブレているのはご愛敬として許してほしい。
 北に行くほど雲が切れているらしいが、横浜ではゆっくりと動く雲が月を隠している。時々一部が鮮明に顔を出すときもあるが、ほとんどが肝に隠れていた。
 これはこれで風情もあり、長い時間月を眺めてしまうものである。
 本日も長い時間見たかったが、ベランダからは南側の号棟の影になって見えない。団地の南側に見に行くと、蚊に襲われる。虫よけスプレーをしても、蚊は執拗に寄ってくる。たくましいというか、揮発性の薬の所為か、それは不明である。

 明日からは次第に台風の影響が出てくるという。台風に押されて梅雨前線が北上し、活発になるという。土曜日の夕刻以降は雨の確立が高くなるようだ。
 本日も雨は局所的であった。私が出かけるとレインアイよこはまでは移っていなかった雨の区域が突然私のいるところで発達しはじめて、時間雨量50mmの雨がごく短時間であったが降り出した。さいわい小さな折畳傘とリュックカバーを持っていたので、助かった。
 歩いている途中で雨は止んでくれた。このようなゲリラ的な雨は厄介である。雷を伴うと怖い。明日以降もこんな雨が続く可能性があるらししい。
 


忘れないで、本当にあったのだ-沖縄慰霊の日・平和の詩

2021年06月24日 18時36分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

沖縄慰霊の日・平和の詩(全文)

みるく世の謳   宮古島市立西辺中2年 上原美春

12歳。
初めて命の芽吹きを見た。
生まれたばかりの姪は
小さな胸を上下させ
手足を一生懸命に動かし
瞳に湖を閉じ込めて
「おなかすいたよ」
「オムツを替えて」と
力一杯、声の限りに訴える
大きな泣き声をそっと抱き寄せられる今日は、
平和だと思う。
赤ちゃんの泣き声を
愛おしく思える今日は
穏やかであると思う。
その可愛らしい重みを胸に抱き、
6月の蒼天を仰いだ時
一面の青を分断するセスナにのって
私の思いは
76年の時を超えていく
この空はきっと覚えている
母の子守唄が空襲警報に消された出来事を
灯されたばかりの命が消されていく瞬間を
吹き抜けるこの風は覚えている
うちなーぐちを取り上げられた沖縄を
自らに混じった鉄の匂いを
踏みしめるこの土は覚えている
まだ幼さの残る手に、銃を握らされた少年がいた事を
おかえりを聞くことなく散った父の最後の叫びを
私は知っている
礎を撫でる皺の手が
何度も拭ってきた涙
あなたは知っている
あれは現実だったこと
煌びやかなサンゴ礁の底に
深く沈められつつある
悲しみが存在することを
凜と立つガジュマルが言う
忘れるな、本当にあったのだ
暗くしめった壕の中が
憎しみで満たされた日が
本当にあったのだ
漆黒の空
屍を避けて逃げた日が
本当にあったのだ
血色の海
いくつもの生きるべき命の
大きな鼓動が
岩を打つ波にかき消され
万歳と投げ打たれた日が
本当にあったのだと
6月を彩る月桃が揺蕩う
忘れないで、犠牲になっていい命など
あって良かったはずがない事を
忘れないで、壊すのは、簡単だという事を
もろく、危うく、だからこそ守るべき
この暮らしを
忘れないで
誰もが平和を祈っていた事を
どうか忘れないで
生きることの喜び
あなたは生かされているのよと
いま摩文仁の丘に立ち
私は歌いたい
澄んだ酸素を肺いっぱいにとりこみ
今日生きている喜びを震える声帯に感じて
決意の声高らかに

みるく世ぬなうらば世や直れ

平和な世界は私たちがつくるのだ
共に立つあなたに
感じて欲しい
滾る血潮に流れる先人の想い
共に立つあなたと
歌いたい
蒼穹へ響く癒しの歌
そよぐ島風にのせて
歌いたい
平和な未来へ届く魂の歌
私たちは忘れないこと
あの日の出来事を伝え続けること
繰り返さないこと
命の限り生きること
決意の歌を
歌いたい
いま摩文仁の丘に立ち
あの真太陽まで届けと祈る

みるく世ぬなうらば世や直れ

平和な世がやってくる
この世はきっと良くなっていくと
繋がれ続けてきたバトン
素晴らしい未来へと
信じ手渡されたバトン
生きとし生けるすべての尊い命のバトン
今、私たちの中にある
暗黒の過去を溶かすことなく
あの過ちに再び身を投じることなく
繋ぎ続けたい
みるく世を創るのはここにいるわたし達だ


沖縄慰霊の日

2021年06月24日 10時14分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 沖縄全戦没者追悼式での玉木デニー知事の「平和宣言」。
 毎年のように「平和宣言」をここでアップしている。昨日眼の調子が良くなかったので、本日にアップする。

 太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の6月23日を迎えました。
 荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊しました。
 私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
 しかしながら、今もなおここ摩文仁(まぶに)を始め県土の各地には、犠牲になられた方々のご遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷はいまだ癒えることはありません。
 県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早いご遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。
 また、国土面積の約0.6%の沖縄県に米軍専用施設面積の約70.3%が集中し続けていることにより、騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。
 SACO(日米特別行動委員会)合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進めていると承知しております。
 このような中、沖縄県が来年本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望します。
 ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取り組みを進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。
 未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。
 一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶えることがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。
 「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。
 まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。
 グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。
 かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬(いけい)の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。
 私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁(ばんこくしんりょう)」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。
 そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
 県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちなー草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、さまざまな活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。
 また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れていても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いております。
 私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。

 くぬ地球(みふし)ぬ上(うぃー)から有(あ)る丈(うっさ)ぬ戦争(いくさ)、無(ねー)らんなすくとぅ。一人一人(ちゅいなーちゅいなー)が弥勒世(みるくゆー)(平和)願(にが)いる心気(しんち)(心持ち)繋(ちな)じ行(い)ちゅるくとぅ。食料(かみむん)分配(ゆらー)てぃ、希望(にげーかない)とぅ信頼(たゆいがなさ)育(すだ)てぃてぃ、笑顔(われーがう)んかい囲(かく)まってぃ一生(いちぐ)とぅじみ(遂げる)らりーるくとぅ。うぬ為(たみ)に必死(ぬちかじ)り努力(はま)てぃ私達(わったー)から未来(さちじゃち)ぬ子供達(わらびんちゃー)んかい繋じ行ちゃびらな。
【地球上からあらゆる戦をなくすこと。一人ひとりが平和を願う心をつないでいくこと。食料を分かち合い、希望と信頼を育み、笑顔に囲まれて一生を遂げられること。そのための努力を私たちから未来の子どもたちへつなごう。】

 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全てのみ霊(たま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げるとともに、沖縄戦の実相と教訓を次世代に伝え続け、人類社会の平和と安寧を願い、国際平和の実現に貢献できる「安全・安心で幸福が実感できる島」を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。

  2021(令和3)年6月23日              沖縄県知事 玉城 デニー 

 

 


眼の調子は回復せず

2021年06月23日 20時51分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 家に閉じこもっていても視力の改善に繋がらないので、15時過ぎから神大の生協に寄ったのち、近くの私鉄の駅まで歩いてみた。80mmを超える強い雨が横浜市域の北の青葉区で観測されていたものの、私の済んでいる地域やウォーキングの範囲では降らなかった。
 途中の公園で一服しているうちに3個所ほども蚊に血を吸われてしまった。

 雨は降らなかったものの、帰宅を始めると、西の空に厚く黒い雲が重なり合うように出ていた。今にも降り出す気配がして、足を早めた。本日は雨は降らずに済んだようす。

 それなりの長時間のウォーキングにも関わらず、眼の調子はあまり改善されていない。パソコンを見ていると15分も持たずに画面がちらついて見える。

 


眼の調子が悪い

2021年06月23日 13時23分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝から眼の調子がよくない。ショボショボ感が続いている。朝起きた時は特に意識しなかったものの、読書を始めたら、涙目にすぐになった。パソコンの画面に焦点も合わない。
 昨日の検眼の結果では、近点の度を少し落としたほうが眼が疲れないし、視野のゆがみも小さいといわれた。そのようなレンズにしてもらうことにした。

 さらに、左右のずれが近点では強いので、中近の眼鏡を別途購入することを進められた。これは緑内障で通っている眼科医とも相談してから、決断するつもり。もうひとつ眼鏡を造るには費用もかかる。簡単には注文できない。
 昼食後、眼をつぶっていたら眼のショボショボ感は少しよくなった。本日は読書も、パソコン前も控えることにした。マーラーを聴くにも、パソコン操作が必要なので、中止。

 本日は沖縄慰霊の日、例年記事にしているが、今年は明日に変更させてもらう。 


ワクチンの不快感は回復

2021年06月22日 23時11分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ワクチン接種3日目、すっかり気分は元に戻った。月曜日の会議か少々しんどかったが、それも終わってしまえば記憶に残らない程度の震度さであった。
 本日眼鏡店でじっくりと30分以上かけて検眼をしてもらった。検眼作業をしてくれた若い店員が、私が日曜日にワクチンを接種したことを伝えていたので、接種後のことを聞きたがっていた。どうも近いうちに職員接種を受けることになっているらしい。「不安がある」とのことであった。
 「年寄りは体の反応も鈍くなっているが、若い人は敏感に反応するようだから、仕事を休むつもりで接種したほうがいいようだよ」というと、「翌日は休みとなっている」とのことであった。会社もいろいろと工夫をしている様子であった。「検眼と同じでリラックスしないといい結果が出ないよ」と「ちゃんと休みを保証してくれるし、職域接種の計画をたててくれる会社珍しいのでは?」といってワクチンの話を締めくくった。
 さて、あの店員は果たして重い副反応を体験しないで接種が終わるであろうか。眼鏡の出来上がる来週末にまたワクチンの話をしてみたいものである。

 


マーラー「交響曲第7番《夜の歌》」

2021年06月22日 22時42分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 マーラーの交響曲第7番を引っ張り出してきた。マーラーの曲はそれなりに気合を入れないと聞き続けるのが大変である。
 今回もエリアフ・インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団、1986年の録音で発売は翌年の1987年。
 考えてみると第1番、第4番、第6番の次に聴く機会が多い。長年のマーラーの曲に対する違和感みたいなものが何なのか、せめて自分が親しむことのできる曲はどれなのか、それらが知りたくて、昔購入したインバルの指揮による交響曲を聴いている。
 1番から聴き始めて、これまでは昔から聴き慣れている第1番がやはり私の耳に心地よく響くことを再確認しただけのような気がしていた。
 しかし久しぶりのこの第7番、今晩は第1楽章と第2楽章だけでおしまいにするつもりだが、惹かれるものがあった。
 第1楽章はいつものとおり、「少し大げさすぎないか」というほどの金管の咆哮がつづく。だが旋律は明確である。私の耳には不完全にしか聞こえないがソナタ形式を踏まえているようだ。第2楽章のさまざな旋律は魅力的である。
 全体を楽しみに明日以降も期待して聴いてみたい。


切ない‥‥

2021年06月22日 21時36分59秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先週だっただろうか、二人で買い物に出かけ、あるデイサービスの前を通りかかったら、「僕等の名前を覚えてほしい 戦争を知らない子供たちさ」という歌声が聞こえてきた。思わずあたりをキョロキョロしたが、デイサービスの中からしか聞こえてこない。
 妻と顔を合わせて、きょとんとしてしまった。北山修の作詞、杉田二郎の作曲で1970年だったかに盛んに歌われたいわゆるプロテストソングである。

 51年も前の歌である。昔、私が学生の1972年の学費闘争で、学生大会の決議に沿って翌日にバリケード封鎖を始めた。私は一緒に議長をした法学部の仲間と大会報告のビラを巻き終わってから、机を教室に積み上げていた仲間に合流した。そのとき議長を一緒にした仲間が、この歌を歌いながら机を積み上げ始めた。
 あのどちらかというと寡黙で歌など歌いそうもない彼がこの歌を上手に歌うのを聞きながら思わず笑みが私の口から漏れたことを思い出した。この歌はどちらかというと当時の共産党系の学生の歌う歌ともいわれていた。にも拘わらず、ヘルメット姿がすっかり似合う仲間がふと歌いだしたことに驚いたものである。
 今から思えば、のどかなバリケード封鎖の開始であった。多くの学生も文句をいいに来ることもなく、教授たちも教室にあらわれることなく、学生による封鎖はあっさりと出来上がった。学生大会での「無期限バリケード」闘争の始まりであった。
 前日の緊張した学生大会の、不安と期待の入り混じった興奮から一夜明けて、構内はざわつきつつも平穏な日常の延長のような日であった。これを見越したかのように長期アルパイトの契約をして学内に顔を出さなくなった学生も多かった。彼らは逆にこの事態を歓迎もしていた。

 私はそんなことを思い出しながら、この歌を聞いた。妻は、東京で学生運動とはまったく無縁の学生生活を送っていたが、この歌は幾度も聞いたことがあるそうである。
 妻がいうには、まさか認知症や介護が必要になった人たちの通うデイサービスからこんな歌が聞こえるとは思ってもいなかった、としんみりとしていた。妻の「切ない」というため息が、重かった。

 私は誰がこの歌を歌うことを決めたのかと思った。30代40代の職員がこの歌の歌われた時代を知っているわけもない。年寄りがこの歌をどのように受け取るのか、どのように唱和しているのか、そして歌を指導している人がどのようにこの歌を捉えているのか、なんともいえず不思議な世界に迷い込んだように思った。私がデイサービスに通うようになったとして、この歌を歌おうといわれてもきっと歌わないだろう。

 二人で顔を見合わせながら、51年前からいままでにそれぞれがどのような体験をしたか、それぞれの胸の内で反芻しながら、スーパーに向かって再び歩きはじめた。

戦争を知らない子供たち           詩 北山修

戦争が終わって僕等は生れた
戦争を知らずに僕等は育った
おとなになって歩き始める
平和の歌をくちずさみながら
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ
若すぎるからと許されないなら
髪の毛が長いと許されないなら
今の私に残っているのは
涙をこらえて歌うことだけさ
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ

青空が好きで花びらが好きで
いつでも笑顔のすてきな人なら
誰でも一緒に歩いてゆこうよ
きれいな夕日が輝く小道を
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ
戦争を知らない子供たちさ

 


天気予報が雨から曇へ

2021年06月21日 23時00分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は眼鏡のレンズの作り変えのための検眼。13時、その後友人と新横浜駅でデータの受け渡しのために待ち合わせ。本日データのカードを渡す予定だったが、私が別のものを持って行ってしまったので、明日再度落ち合うことになった。
 なんとも申し開きのできない失態をしてしまった。わざわざ駅まで来てくれることになった。

 明日は雨の予報であったが、天気予報がだいぶ変更になったようだ。向こう3日ほどは雨の予報が曇ないし時々晴れ間も出る予報になった。気温もかなり高くなるようだ。
 出かける分には助かる。


サン・サーンス「チェロ協奏曲第1番」ほか

2021年06月21日 21時43分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日のCDは遠藤真理の「ジャクリーヌの涙」と題した1枚。収録してある曲はサン・サーンスの「チェロ協奏曲第1番」、チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」、オッフェンバックの「ジャクリーヌの涙」。演奏はオーケストラ・アンサンブル金沢、指揮は金聖響。2005年の石川県立音楽堂となっている。
 サン・サーンスのチェロ協奏曲を聴きたかったのか、遠藤真理のチェロ演奏を聴きたかったのか、購入の動機は覚えていない。前者が動機ならば、第2番を所有しているはずだが、このCDしかない。ということは、遠藤真理のチェロの評判を耳にして購入した可能性が高い。わずか16年前の記憶があいまいというは恥ずかしい。
 数回はこのCDを聴いてるが、心地よいチェロの音色に浸ることができる。特に高音がいいと思う。「ジャクリーヌの涙」はチェロのほぼ全音域を使う曲で、チェロの低音の魅力を堪能できる。

   


ワクチン接種二日目

2021年06月21日 18時20分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ワクチン接種した腕に少しの痛みがあり、腕を上げると意識をする程度。しかし本日は無理をするのはまずいということで、朝からの会議では肉体労働は他の役員のかたにすっかりお世話になった。
 本日の退職者会の幹事会、発送物がたくさんあり、袋詰めは大変であった。お手伝いのかたも来てもらい、何とか時間内に作業と会議は完了。それでも会館の中で3千歩ほどのカウント。帰りは横浜駅で乗り換えてバスで自宅まで直行。

 2回目の接種を受けた私の親は、微熱とだるさ。夜は眠れなかったとのこと。我慢をしないで痛み止めの薬を飲むようにいってあるが、服用をいつも躊躇う。かといって無理強いも難しい。発熱を我慢することでの体力の衰えが心配である。


「近代絵画史(上)」(高階秀爾)から その3

2021年06月20日 23時24分23秒 | 読書

   

 本日は「近代絵画史(上)」(高階秀爾)の第7章「印象派の画家たち」、ならびに第8章「印象主義の超克」の途中まで。
「印象派の画面は、多彩な虹の七色の交錯する万華鏡の世界になってしまった。合理的な空間構成の意識もなければ、形態把握の意志もない。あるのはただ、ほんのわずかの色調の差異にも鋭敏に反応する感覚世界だけである。モネの晩年の作品を前にして、ほとんどめまいにも似た陶酔を覚えるのも、そのためであろう。それなればこそセザンヌは、モネのその「眼」をあれ歩ざまで小用したのである。モネほど徹底して「ひとつの眼」になりきることのできなかった画家たちが、印象派の感覚世界にあきたらず、あらためて合理主義的な、知的な秩序と構成を求めるようになったのも、当然の成り行きであった。‥印象派の仲間の間におけるその代表的な実例を、セザンヌとルノワールというふたりの優れた天才の作品に見ることができる。」
 そしてルノワールとセザンヌ論に筆が進んでいく。セザンヌの言葉として「絵画には、ふたつのものが必要だ。つまり眼と頭脳である。この両者はお互いに助け合わなければならない。その両者の相互的発展のために、画家として務めなければならない。すなわち、眼は自然に対するヴィジョンによって、頭脳は表現手段の基礎となる組織された感覚の論理によって‥」という言葉を引用している。
 私はどうしてもルノワールの作品は敬遠してしまうのだが、高階秀爾の評価をじっくりと読みたい。明日以降に期待することにした。
 だがセザンヌの有名な「モネはひとつの眼だ。絵描き始まって以来の非凡なる眼だ」という評も、「眼」と「頭脳」というふたつの言葉を合わせて考えると、興味深いものとなる。


お礼 過去最大の訪問者を記録

2021年06月20日 20時10分45秒 | 読書

 昨日どういうわけか訪問者が926名とおそらくこれまでの最大の数を記録した。gooのブログでの順位でも490位とこれまででもっとも高い順位となった。
 そして気が付いたら、これまでの累計閲覧数が550万を超え、累計訪問者も130万を超えていた。ほぼ12年間でずいぶんと多くのかたの目に留まったことがうれしい。
 まず、訪問されてもらったかたに心から御礼を申し上げるとともに、引き続きの訪問とご意見をお願いしたいと思う。
 一昨日・昨日と訪問が多かったのは、それぞれ「雨に似合う花」と「集団スポーツ嫌悪症」。とくに後者にはツィッターでもフェイスブックでも反応がさまざまにあった。これは予想外であった。反応があったことが、同意とは限らないとは思うが、意外と体育の授業や教師に嫌な思いをしたかたが多かったのだと思っている。
 同時に日本で特有なのかどうかは分からないが、集団主義、同調圧力、皆と同じでないと許されない社会の発端がここにあるような気もしている。

 再度、引き続きのご訪問をお願いします。

昨日と昨日までの記録
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