Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ワクチンの副反応回復

2023年05月14日 17時11分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝には夫婦ともに熱は下がっていた。解熱剤が効いたというよりも、副反応が自然におさまった、ということのようだ。解熱剤の影響でぐっすり寝ることが出来た。
 妻は、肩凝りが強いということで、湿布をすることに。私は左腕にかすかな凝りがあるが気にならない程度。

 朝食後、私は退職者会の文書作りと郵便物の発送準備。妻はリフォームに向けての室内整理作業。午後からは妻と共同で本棚の本と文房具等、及び棚のごく一部を仮置き場のリビングルームに運んだ。本はほとんどが美術展の図録類。これはとても重い。20束の半分近くがこの図録類。短い距離とはいえ、腕がちぎれそうに痛くなった。
 私は膝と腰が不安になったところで、予定の作業は終了。残るはパソコンとプリンターと紙類の移動であるが、これは今度の金曜日の作業開始までに行えばよい。とはいえ、この大量の紙類やラベル用紙(3個のカラーボックス)の運搬もなかなか手ごわい。仮置き場所もまだ確定していない。
  引っ越しならば業者にすべてお願いするのが楽であるが、同じ家屋内の移動なのでそんなことはできない。引っ越しやリフォームはもうこれで最後にしたい。だが近い将来、団地の建て替えとなるとそうもいかなくなる。そのためにも今回かなりの断捨離を行い、少しでも身軽になりたかった。数年先には本類はさらに大量に廃棄する決心が着いた。

 先ほどから雨が降り出した。これで本日も出かけないで一日を過ごしてしまった。

 


微熱が出てきた

2023年05月13日 21時47分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 20時を過ぎてから微熱が出てきた。平熱が低めなので、平熱の中間値よりも0.7℃は高い。それなりの発熱である。これに伴い、腕の上げ下ろしもつらくなってきた。妻も少し寒気がするといいだし、微熱が出ている。
 入浴は止めて、洗面を済ませてから就寝することにした。コロナワクチン接種で発熱は初めてだと思う。


ワクチン接種後の軽い倦怠感

2023年05月13日 19時46分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日コロナワクチンを接種した左腕を中心に、わずかに筋肉痛。これは最初のワクチン接種の時のような具合である。左肩から腕にかけて、
 午後に団地の管理組合の諮問機関の会議を行っているうちに、上半身の節々がだるくなり、少し熱っぽくなってきた。少し腫れていた。赤くはなっていない。会議後団地内の見回りを少ししたのち、帰宅して体温計で測ってみた。
 しかし平熱の範囲の低い方であった。発熱はない。2回目から5回目にかけて味わった倦怠感は翌日に出てきたが、今回は半日で出てきた。
 食欲は減退していないのが少し残念である。

 本日は昨日に続いて早寝したほうが良いようだ。入浴は止められていないので、ぬるめで短時間。

 


馴染めないもののひとつ

2023年05月13日 17時11分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝8時半に6回目のワクチン接種。

 朝食をファミレスにて初めて食べた。夕食でファミレスを数回利用したことはある。それなりに客は入っていた。家族連れも一人利用も混在。
 注文はタブレットで注文。しかしタブレットの画面だけでは、付け合わせの細かい情報は伝わってこない。結局店員を呼ばないとわからない。呼んでも店員が来ないので、妻はレジから厨房に声をかけてようやく情報を得る羽目になった。しかも親も妻もタブレットの操作は私任せ。「行ってみたい」という割には他人任せである。
 私はあの配膳ロボットが好きになれない。人手不足解消のためというのが謳い文句であるらしいが、そういう理屈が当然のように流通する社会というのは病んでいる、という思いは拭い切れない。「人件費削減が経営の基本」というのはどうしても納得できない。
 本日の配膳ロボットも、皿が乗っている台は汚れ、液体がこぼれたままであった。人を削減すると同時に「衛生のための手間」も削減されている。私はそういう食事の扱いをするところは、避けたいのだが、私個人の意見を押し通すことが難しい場面も多々あるのが悲しい。

 世の中がこんな風になっているのか、ということを知るためには、年に1度くらいは来店せざるを得ないのだろう。


極めて眠い

2023年05月12日 22時05分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど「方丈記」の第五段目の書き写しを始めた。少し長めだが、第五段の最後と思っていた。しかしとても眠く予定の半分までで中断。15分ほど椅子にもたれて寝てしまった。
 ようやく目が覚めたが、書き写しはやめ、第五段の残りは明日以降にした。

 明日は朝早いので、これにて就寝。朝食はワクチン接種後に近くのファミレスにて、三人でモーニングセットを注文することにした。朝食を外食というのは、しかも夫婦と親で揃って食べたのは極めて珍しい。若い時には家族連れで良好先の旅館で朝食を摂ることはあったが、それでも家の傍で朝食を揃って食べに行ったことは記憶にない。


本日の花、4態

2023年05月12日 19時58分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

         

 アジサイに色が現れ始めた。赤いアジサイはまだ今年は見ていないが、まずは青から目に付いた。白のアジサイは白に光沢が見え始めた。
 団地の中では、ホタルブクロが突然のように目に飛び込んできた。
 もう一つの赤い花は名前がわからないまま数年が過ぎてしまった。真剣になって調べれば、わかると思う。しかし私は昔から花、花だけでなく植物全体の名前に特にこだわりがないので、知ろうという熱意が湧いて来ない。樹木の名前も、樹木の特徴も覚えきらない。
 こんな熱意のない人間に名前を覚えてもらっても植物のほうで有難いとは露ほどにも思わないであろう。


第6回目ワクチン接種

2023年05月12日 15時48分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は朝一番で、第6回目のコロナワクチンの接種。8時半という早い時間なので、先ほど問診票に記載。過去5回、特に顕著な副反応はなく、翌日の倦怠感程度。明日は、5回目と同じく親と妻と私と3人で一緒の時間にしてもらった。
 ワクチン接種後に免疫抗体ができる人とできない人がいるようだ。抗体の量や、減少の仕方の個人差が、感染力の強いウィルスでは罹患率の大きな差となってるように思われる。


「図書5月号」読了

2023年05月11日 21時12分14秒 | 読書



 本日は喫茶店で「図書5月号」を読み終えた。今月は16編の内12編に目を通した。

・レッテルXの話            丘沢静也
今年で五〇歳の『モモ』はますます現代人のための学校になっている。‥資本主義にひそむ困った現代の問題を、根っこのところでつかまえて、時間泥棒というみごとなイメージで描いた。いろんな「武器」Xをモモが体現している。

・フェノロサの『美術真説』について   新関公子

 


地震・雷‥‥

2023年05月11日 20時01分14秒 | 天気と自然災害

 「地震・雷・火事・親爺」と言われるが、親爺とは熊のことだというのは、山に登り始めてから教わった。大山嵐(おおやじ、台風などの風の被害)が短縮されたもの、あるいは山親爺=ヒグマ・羆という説があるが、私には山親爺=熊という説が一番ピンとくる。熊は恐ろしいだけでなく、山や里の暮らしの中で怖れて近づいてはならないものの象徴なのではないか。と私の勝手な解釈である。根拠はない。私の説にしたがって「親父」ではなく「親爺」と表記した。

 明け方に地震、そして夕方に横浜駅の地上に顔を出したら雷鳴と強風と強い雨にびっくり。一時間以上地下街の有隣堂で時間を潰して雨があがったのを確認して、再度バスに乗って帰宅した。しかし家の近くのバス停では弱いながら雨が降り続いていた。5分ほど濡れながら歩行。

 能登半島での地震でも翌日に強い雨が降り、被災者は苦労をしていられた。今回も雷雨に見舞われて、屋根瓦が落下する被害を受けた家屋に住んでいる人にはつらい雨となってしまった。

 この地震と雷、この二つが続くと次は火事かな、などと余計な心配をしたくなる。さいわい地震で火事は発生しなかったが、普段から火事の用心は忘れるわけにはいかない。


横浜で震度4

2023年05月11日 11時13分18秒 | 読書

 今朝4時16分の地震には驚いた。横浜でも震度4を観測。最初の微動からすぐに強い揺れになり、次第に強まった。その間10~15秒くらいに感じたが、具体的に測ったわけではないので、確かではない。
 これ以上の強い揺れならば、ベッドの隙間に身を隠そうと思ったが、揺れはおさまってくれた。震度3と震度4では大きな差がある。震度4からは被害も出てくる。現に横浜でも断水が起こったり、電車の遅延が発生したりした。震度5を越えるとさらに被害が拡大する。
 私にとっては睡眠の一番のコアタイムと信じている時間帯である。この時間に眠れていないと一日の体の調子があまり良くない。逆に言うと短時間であってもこの時間にしっかり眠れていれば、なんとか一日は普段通りに過ごせる。

 神奈川でもけが人が出たという。室内での怪我はどの地震でも多い。棚からの落下物、立ち上がった際のつまずき、電灯などの落下等々、室内には危険物がいっぱい。我が家でも例外ではないが、片付けは難しい。今回は、怪我をされた方は軽症で済んだみたいである。
 私が心配したのは、パソコンの部屋の本棚。棚は半分は空にしたものの、棚を柱に固定しているビスをリフォーム時の移動のために外したばかり。棚が壁から倒れたら倒れ方によってはベランダ側のガラス戸をわってしまったり、パソコンの上に倒れかかってしまったり、ということが予想される。何しろ高さが高く、重い。
 ベッドルームの天袋はほとんど空にしたあるので、そこからの落下物の心配をしなくて済んだ。
 冬ならば厚めの掛け布団を被れば多少の落下物があっても怪我の程度は軽くて済みそうだが、夏掛けやタオルケット1枚の夏は、落下物が直接体に当たる。これも怖いと思う。

 関東地方は地震の巣に取り囲まれ、またその巣の上にいるようなもの。フィリピン海プレートと太平洋プレートという二つのプレートの沈み込み帯が複雑に入り組んでいる。今回は沈み込むフィリピン海プレート内部での発生と発表された。

 気象庁の発表は以下のとおり。

地震の概要
検知時刻   (最初に地震を検知した時刻) 5月11日04時16分
発生時刻   (地震が発生した時刻) 5月11日04時16分
マグニチュード 5.2(暫定値;速報値の5.4から更新)
場所・深さ  千葉県南部 深さ 40km(暫定値)
発震機構   北西―南東方向に張力軸を持つ型で、フィリピン海プレート内部で発生した
震度     【最大震度5強】千葉県の木更津市(きさらづし)で震度5強を観測したほか、
       東北地方から中部地方にかけて震度5弱~1を観測
11日05時30分現在  今回の地震発生後、震度1以上を観測した地震の発生なし
長周期地震動の観測状況  階級1以上を観測した地域はなし

(防災上の留意事項)
この地震による津波の心配はありません。
揺れの強かった地域では、落石や崖崩れなどの危険性が高まっていますので、今後の地震活動や降雨の状況に十分注意してください。
(今後の見通し)
過去の事例では、大地震発生後に同程度の地震が発生した割合は1~2割あることから、揺れの強かった地域では、地震発生から1週間程度、最大震度5強程度の地震に注意してください。特に今後2~3日程度は、規模の大きな地震が発生することが多くあります。

詳細は【⇒https://www.jma.go.jp/jma/press/2305/11b/kaisetsu202305110615.pdf

 


明日の予定

2023年05月10日 22時25分29秒 | 読書

 昨晩の書き写しは「方丈記」の第五段の初め。鴨長明の後半生を記載している。よく読むと隠者風という風には読み込めず、ずいぶんと人間社会に興味津々、社会に認められたいという欲求が強いことがわかる。
 社会に対する異様ともいえる関心、野次馬的な目があったからゆえに、方丈記が成り立っていることをあらためて認識。

 一水会展、菊池洋二展は明日に行く予定だったので、明日は予定が無くなってしまった。少しゆっくりと読書でもしたい。まずは「図書5月号」と「時を越える美術」を読み終えてしまいたい。


もう言ってしまおう

2023年05月10日 21時21分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどは中学・高校のころの美術の先生のことを少し振返ってみた。私はどうも学校に馴染めない性格のようで、小学校4年生以降、いつも力あるものに諂う教師の存在と、彼らへの違和感が次第に増幅していった。

 中学・高校と一貫のミッションスクールだったが、中学一年から、国語・数学・理科各科・美術の授業には割と馴染めた。音楽は歌わされること以外はおもしろかった。英語は馴染める教師と馴染めない教師が両極端で自分でも嫌になり、途中で放り出してしまった。今でも語学への苦手意識は強烈である。

 教科の好き嫌いと教師との肌合いはとても大事であるが、相関関係からずれている場合も多々あった。英語しかり、日本史・地理、地学など。日本史・地学はおもしろいと思ったが、教師とは馴染めなかった。
 地理の教師は中学一年末に提出をさせられた課題を高校三年になるまで、その教師の机の下にほこりにまみれたまま放置された。6年間続けて「いつ返却してもらえるのか」と聞くたびに嫌な顔をされ「そのうち」と不愛想に返答された。卒業後に教員室にいったらその提出書類の山は消えてなくなっていた。生徒にさんざん苦労させて作らせた課題をゴミのように扱う教師に心底腹が立った。
 世界史は楽しく学ばせてもらったが、日本史はあまりに重箱の隅をつつくような授業で、性に合わなかった。体育は中学1年のしょっぱなからダメという烙印を勝手に押されたことが6年間尾をひいた。

 一番おもしろいと思ったのが、現代国語である。教師はかなり個性の強い教師が多く、お互いにあまり仲が良くなかった。しかし私はどの国語の教師にも好感をもった。一人の教師は読み込みの感性が鋭かった。もう一人は自分の考えを押し付けることなく、生徒同士の意見をとことん議論させて、生徒に気づきをさせることに力点をおいていた。
 「議論」と自己主張に自信を持つこと、自分の意見が修正が必要な場合はそれを取り繕うことなく表明することの大切さを教えてくれた。古文の老教師も印象深かった。新古今和歌集の魅力を教えてもらったことが今でもありがたいと思っている。

 体育教師4人からは、押さえつけることの無意味さ、軍隊の教練のように管理する側の身勝手さを反面教師として、嫌というほど味わった。朝ギリギリで登校する生徒の前で鉄の門扉を締め始め、足を取られて転びそうになる私などを、門扉を押しながら笑って見ている体育の教師の顔はおぞましかった。そのような体育の教師におべっかをいう他の教科の教師のあまりの卑屈さに反吐が出そうであった。

 ブラザーの半分は、カナダで貧しい生活脱出のために修道院に入り、日本で一旗あげようという山師的なブラザーであった。教育の理想に燃えたブラザーでも、鼻持ちならぬ「遅れた日本人」という色眼鏡で我々を見ている者もそれなりにいた。尊敬できるブラザーは中学生の私でもすぐに見分けがついた。
 カナダ人の校長は私の嫌いな教師を擁護すること、かなり露骨であった。そのカナダ人校長を日本から追い出したことで、労使紛争は好転した。

 残念だったのは、物理の先生が私の卒業後、ほどなくして亡くなってしまったこと。まだまだ若い先生であった。大学合格直後と一年後にご自宅におもむき、保健室の先生であった若い看護師のお連れ合いも交えてビールを飲んだのが忘れられない。数学の先生には担任としても、進路相談でもずいぶん世話になったが、労使紛争の勃発直前に亡くなったと聞いた。私の支援活動で恩返しがしたかったと思ったものである。議論をさせてくれた国語の先生は労組の委員長をされていたが、紛争が勝利した直後に亡くなられた。

 そんな学校もずいぶん変わったと聞く。あんな管理教育のお化けのような教育体制ではないようだ。もう59年から54年前の話である。


もう言ってしまおう

2023年05月10日 21時21分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほどは中学・高校のころの美術の先生のことを少し振返ってみた。私はどうも学校に馴染めない性格のようで、小学校4年生以降、いつも力あるものに諂う教師の存在と、彼らへの違和感が次第に増幅していった。

 中学・高校と一貫のミッションスクールだったが、中学一年から、国語・数学・理科各科・美術の授業には割と馴染めた。音楽は歌わされること以外はおもしろかった。英語は馴染める教師と馴染めない教師が両極端で自分でも嫌になり、途中で放り出してしまった。今でも語学への苦手意識は強烈である。

 教科の好き嫌いと教師との肌合いはとても大事であるが、相関関係からずれている場合も多々あった。英語しかり、日本史・地理、地学など。日本史・地学はおもしろいと思ったが、教師とは馴染めなかった。
 地理の教師は中学一年末に提出をさせられた課題を高校三年になるまで、その教師の机の下にほこりにまみれたまま放置された。6年間続けて「いつ返却してもらえるのか」と聞くたびに嫌な顔をされ「そのうち」と不愛想に返答された。卒業後に教員室にいったらその提出書類の山は消えてなくなっていた。生徒にさんざん苦労させて作らせた課題をゴミのように扱う教師に心底腹が立った。
 世界史は楽しく学ばせてもらったが、日本史はあまりに重箱の隅をつつくような授業で、性に合わなかった。体育は中学1年のしょっぱなからダメという烙印を勝手に押されたことが6年間尾をひいた。

 一番おもしろいと思ったのが、現代国語である。教師はかなり個性の強い教師が多く、お互いにあまり仲が良くなかった。しかし私はどの国語の教師にも好感をもった。一人の教師は読み込みの感性が鋭かった。もう一人は自分の考えを押し付けることなく、生徒同士の意見をとことん議論させて、生徒に気づきをさせることに力点をおいていた。
 「議論」と自己主張に自信を持つこと、自分の意見が修正が必要な場合はそれを取り繕うことなく表明することの大切さを教えてくれた。古文の老教師も印象深かった。新古今和歌集の魅力を教えてもらったことが今でもありがたいと思っている。

 体育教師4人からは、押さえつけることの無意味さ、軍隊の教練のように管理する側の身勝手さを反面教師として、嫌というほど味わった。朝ギリギリで登校する生徒の前で鉄の門扉を締め始め、足を取られて転びそうになる私などを、門扉を押しながら笑って見ている体育の教師の顔はおぞましかった。そのような体育の教師におべっかをいう他の教科の教師のあまりの卑屈さに反吐が出そうであった。

 ブラザーの半分は、カナダで貧しい生活脱出のために修道院に入り、日本で一旗あげようという山師的なブラザーであった。教育の理想に燃えたブラザーでも、鼻持ちならぬ「遅れた日本人」という色眼鏡で我々を見ている者もそれなりにいた。尊敬できるブラザーは中学生の私でもすぐに見分けがついた。
 カナダ人の校長は私の嫌いな教師を擁護すること、かなり露骨であった。そのカナダ人校長を日本から追い出したことで、労使紛争は好転した。

 残念だったのは、物理の先生が私の卒業後、ほどなくして亡くなってしまったこと。まだまだ若い先生であった。大学合格直後と一年後にご自宅におもむき、保健室の先生であった若い看護師のお連れ合いも交えてビールを飲んだのが忘れられない。数学の先生には担任としても、進路相談でもずいぶん世話になったが、労使紛争の勃発直前に亡くなったと聞いた。私の支援活動で恩返しがしたかったと思ったものである。議論をさせてくれた国語の先生は労組の委員長をされていたが、紛争が勝利した直後に亡くなられた。

 そんな学校もずいぶん変わったと聞く。あんな管理教育のお化けのような教育体制ではないようだ。もう59年から54年前の話である。


「神奈川一水会作家展」&「菊池洋二油彩画展」

2023年05月10日 18時35分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 好天の中、午後になってから神奈川県民ホールで開催している「第44回 神奈川一水会作家展・一水会公募作品展」を見てきた。
 同時に一水会展にも作品を展示している「菊池洋二 油彩画展」を見てきた。会場は県民ホール向かい側の画廊。
 菊池洋二氏は、私の中学・高校の時の美術の先生。私は絵を描くことはまったく不得手で不肖の生徒であったが、美術作品の見方や美術史の講義は熱心に聴いた。とても勉強になった。有難い恩師である。
 高校卒業後、学校に足を向けることは無かったが、教師の組合と理事会の間で労働争議が起きたとき、先輩と同窓生に声をかけられて支援に入った時、組合の書記長をされていてびっくりした。それ以来ずっとお付き合いを再開した。もう退職されているが、古典の開催や一水会の展覧会は見に行って、声をかけてもらっている。
 私たちが中学1年だったか、2年だったかの時に学校を出たばかりで、私たちを教えてくれた。先生はいくつになっても先生であるが、どことなく「兄貴」的な感じが今でもする。風貌だけでなく、画風も若々しいのがうらやましい。菊池先生は何しろ行動的である。写生に国内だけでなくスペインやポルトガルにも足を延ばし、長期滞在をしながら現地で最後まで仕上げることを徹底されている。
 私は先生の構図と明るい色彩の配合、とりわけ空の描き方が気に入っている。本日も丁寧に作品の解説や、写生場所の説明をしてもらった。数点欲しい作品もあるが、いかんせん飾る場所がない。それ以前に値に追いつかない。

 


億劫がる

2023年05月09日 21時50分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 友人にメールをいくつか。連休中は慌ただしく過ぎたので、貰ったメールに返信もしていなかった。
 年齢を感じるとともに、友人へのメールがとても大切に思えるようになってきた。現役のころは仕事の合間や組合活動の合間に、電話でいろいろな情報交換をしていたが、顔を合わせる機会も多かった。学生時代の友人とも、時々は都内まで出向いて居酒屋で会話をする機会も多かった。
 しかし退職後は、職場や組合の仲間でも年に数回しか合わなくなり、学生時代の友人とも合わなくなった。65歳を境目に、時間はできてもお互いに体が動かなくなったようだ。特にコロナ禍で都内に行くのも、市外に出かけるのも億劫になっている。
 これではいけないと、焦るばかりではなお良くない。少しずつ体を動かしつづける習慣を取り戻さないといけない。

 これより、書き写しの再開2回目。