Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「浄土思想」 その3

2023年10月14日 21時23分06秒 | 読書

   

 夕食後、「雨月物語」の巻二の「浅茅が宿」、ならびに「浄土思想」から第3章「平安浄土思想から法然へ」を読み終えた。

 「浄土思想」(岩田文昭、中公新書)の第3章「平安浄土思想から法然へ」は、「往生要集」の源信と、「選択本願念仏集」の法然を中心に扱う。
『往生要集』の基本的論調は、観想念仏が優れた行法であり、称名念仏が観想の行ができないの機根の劣ったものに向けられているということにある。
六道輪廻に苦しんできた衆生にとり浄土に行くことこそ、もっとも大きな願いが満たされる喜びである。浄土に往生するという願いがかなうか否かは、ここではじめて判明する。それゆえ、臨終来迎のときは決定的に重要になる。・・・とはいえ、臨終に往生が定まるということは、見方をかえれば、臨終になりまで救済が確定しないので不安が伴うことにもなる。
源信の思想は11世紀の貴族社会に流布し、その後の日本の浄土思想家を生みだす基盤となった。・・・今日にいたるまでの浄土教のイメージを形づくるのに大きな役割を果たした・・。

福音書は歴史的事実ではなく、むしろイエスの言行から救済にあずかった信者が宗教的真実を表現した書であると理解されたのである。
従来、歴史研究の視点から、法然伝は法然の歴史的事実をゆがめていると見られがちであった。しかしその視点だけでは不十分で、むしろ法然の言行についての証言の書であるという視点が必要である。浄土思想が生きた仕方で伝わるときは、新たな物語が生まれるのである。

遊女でも救われるということではなく、遊女も男も阿弥陀仏の前では平等に救われるという点に法然の力点はあった。
 この指摘は印象に残った。もう少し考えてみたい。

法然のもとには男女を問わず、さまざまな階層・職業の人が集まってきた。絶対者である阿弥陀仏からみれば男と女、武士と貴族、善人と悪人、知者と愚者との区別はない。いずれも自力で仏道修行をして仏になることは困難だ。仏の前ではあらゆる人は平等であることが法然の思想の革新にある。このような法然の思想が、弟子たちによって新たに展開されていく。
 この指摘は記憶にとどめたうえで、次の展開に期待したい。私の浅い理解ではこの指摘は親鸞以降が相応しいと思っていた。

 


ウォーキングというより散歩

2023年10月14日 18時12分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は団地内のボランティア作業の若干の手伝いと、家の前のツツジに絡まったヤブカラシの除去作業。膝の都合でかがめないので、根元から抜きたいものの無理である。しかも花冠でツツジの下に入ると蚊に襲われる。上から除去している間にも首筋を3箇所ほど刺された。

     

 午後から横浜駅まで再び歩いてみた。昨日それなりに歩いたので、足の筋肉に疲労感があったので、ごくユックリとフラワー緑道を歩いた。ウォーキングというよりも散歩。急な下り、緩い下り、すぐに前のめりの姿勢になってしまい、怖かった。膝の具合はまだまだ完治とはいえない。
 ススキの穂には花が開花していた。

 いつもは入らない喫茶店に入ってひと休みと読書タイム。「雨月物語」の巻二から「浅茅が宿」を少々、ならびに「浄土思想」から第3章「平安浄土思想から法然へ」。共にまだ読み終わらず。

 


夜のウォーキング

2023年10月13日 22時36分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど夜の散歩。団地外周などを一回り、約2500歩ほど。昼間はあまり歩かなかったが、先ほどは風もほとんど感じることなく、外気温も18℃と気持ちよく、歩数は少ないもののウォーキングらしいウォーキングができた。

 明日は団地内のボランティアでの作業予定日。私は膝に問題があるので、作業途中の一服で飲むお茶でも差し入れすることにしている。すでに購入して、冷蔵庫で冷やしている。

 躯体の穴あけ工事について業者から諾否の返事もある。スケジュール帳に予定は書き込まれていないが、ボーッとしているわけにはいかないようだ。
 ということで、明日はいつもより早めの8時くらいには起きて、寝巻から着替えておきたい。
 


「浄土思想」 その2

2023年10月13日 20時53分32秒 | 読書

   

 クーラーの新規取付に伴う躯体への穴あけについては本日見積もりに来た業者は対応できないということで、まだまだ時間がかかりそうである。いろいろと面倒なことになりそうである。

 午後からは横浜駅近くの喫茶店で読書タイム。まずは雨月物語の「菊花の約(ちぎり)」を読み終えてから、昨日に続いて「浄土思想」(岩田文昭、中公新書)の第2章「中国の浄土思想」を読み終えた。
 中国の浄土思想に展開や有り様についてはまったく知らなかったに等しい。今回初めて「善導」の事蹟を知った。
浄土の空間的位置について善導は思索を巡らしている。矛盾する経典の文言について善導は解釈を試みる。迷いの世界とさとりの世界との区別があるので、浄土は俗世を超越するという点では遠くに位置している。しかしその超越は迷いの世界を内に包むもので遠くないのだ、と説明する。善導の浄土観は感覚的なイメージを重要視した素朴な救済観だと思う人もいるかもしれない。善導の思想には理性や知性のみで生きることのできない、有限な身体をもった具体的な人間の救済の哲学がある。人間がこの世界から浄土に行くという超越性とともに、浄土からこの世界に働きかける超越性があるというのである。‥実のところ、有限に人間の全体的な救済を可能にする宗教的地平を開いているのである。いづれにしても、善導の浄土観が日本の浄土思想の大枠となったのである。

 「信」という地点からあまりに遠くいる私は、無量寿経も、観無量寿経も、阿弥陀経もつい現代の論理に合わせて読んでしまう。論理矛盾があったり、経典と違う解釈を見るとそこにこだわってしまいがちである。論理的整合性と「信」とは結びつくことはない。また「衆生」との距離の問題、自分の救済ではなく「煩悩に覆われた凡夫=自分」を出発点とする人間救済のための方便、これに私などは躓いてしまう。現代の言葉でいえば、大衆像をいかにどのように、どのような水準で自分の理念に組み込むことができるか、という自問自答が常に求められる。
 とりあえずはそんなことを自分で再確認しながら、次に進みたい。

 

 

 


電卓はやはり必需品

2023年10月13日 10時32分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩の神奈川県西部の狭い範囲の強い雨は、1時間程で相模湾へ南下しつつ消滅した。横浜市域には雨の区域はかからなかったようだ。被害の報道も目にしていない。横浜市域の雷注意報も3時には解除された。
 朝から乾いた涼しい北風が吹き、陽射しが気持ちいい。

 クーラー設置の下見・見積もりで来訪予定の業者は昼前後に来るとの連絡。午後には出かけられそうである。出かけるといっても特に予定があるわけではない。

 20年近く使用した電卓、キーが元に戻らなくなったり、液晶画面にイレギュラーな表示が出るようになり、昨日新しいものを購入。これまでのメーカーとは違うものを購入したために微妙にキーの配列が違う。スピードを競うのではないので、特に問題は無いが、慣れるまでは少しオロオロしそう。家電量販店の文房具売り場で1000円ほどで購入。電卓は昔と値段はほとんど変らない。機能もそれほど変っていない。
 パソコンの画面上にも電卓を表示でき、テンキーボードで操作できるが、画面を広く使っているときには、不便な場合が多々ある。パソコンを立ち上げていないときもある。やはりキーボードの横に電卓は必要である。

 そろそろ16日(月)の退職者会の幹事会の資料を揃えて準備を始める予定。


今晩、雨の予報だが・・・

2023年10月12日 22時43分52秒 | 天気と自然災害

 明日は、クーラーの取付業者の下見&見積もり日。時間は朝に連絡が来てからわかるらしい。所用があり妻は昼から出かけるので、私は下手すると一日在宅しなくてはいけないらしい。そうならないことを祈りつつ、本日の業務は終了。
 明日の天気も本日のように良いらしい。出かけられないのに、好天帰途は残念である。時間があれば、いつものサイフォンで淹れる美味しいコーヒーでも飲みに行きたいものである。

 今しがた今晩の天気予報を見たら、21時から雨のマーク。しかし先ほど近くのポストまで郵便物を投函しに出かけたが、雨は降っていなかった。空の雲は低かったが、雲の間から夜空が見えており、降る気配も感じなかった。レインアイよこはまを見ると、神奈川県西部の秦野市南部と相模原市南部のごく狭い範囲で強い雨の個所が2箇所ほどある。80ミリ以上の猛烈な雨であるが、3キロ程度の円形の中である。少しずつ南下している。
 私の住むところまで雨の区域が移動してくるか、微妙である。しかし先ほど横浜市域にも雷注意報が出たようだ。


ズボン用ベルトも高くなった

2023年10月12日 21時06分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 喫茶店を出てからは、古くなってしまった黒のベルトの替わりを購入。安いといわれる洋品店でも3000円もしたので、購入は遠慮した。ズボン用のベルトも高くなったものである。横浜駅から離れたところにある作業着店へ久しぶりに顔を出した。その店では丈夫そうな製品が1/3以下の値で購入できた。
 その店は、現役時代から普段着用していた軍足やメッシュのベスト、登山時に使う滑り止め付の軍手、作業用のサンダルなどを購入していた店である。ときどきシャレたバッグなどもきわめて安く店頭に並んでいたこともある。私にはありがたい店である。

 掲載の写真は、昨年の5月ごろに撮影したものだが、パソコンのフォルダの片隅にあった画像を再度アップしてみた。記憶からは消えていた画像である。


「浄土思想」 その1

2023年10月12日 19時46分38秒 | 読書

   

 本日もチェーン店の喫茶店で読書タイム。「浄土思想」(岩田文明)の「はじめに」「第1章物語の力と浄土思想」を読んだ。

浄土教の物語はその固有の宗教的現実を開いてきた。浄土教の歴史は、その物語が人々の心に訴え、そこからまた新たな物語が生まれながらダイナミックに展開してきた歴史といえる。このような浄土教の歴史を物語という観点から描くことを試みる。」(はじめに)

 私には新しい視点であるので、期待しつつ読み進めたい。

 

 


お粗末な「埼玉県虐待禁止条例」始末

2023年10月11日 22時49分32秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 埼玉県議会の自・公の「虐待禁止条例改正案」なるとんでもないものについて、提出した会派が取り下げを表明したという。しかし「説明に不十分さがあり、不安を与えたことを猛省している」ものの、内容や手続きについては「瑕疵は無かったものと思っている」と発言したと報じられている。そして廃案ではないというところがあまりに未練がましい。
 この説明を聞いて、私は怒りを覚えた。「瑕疵は無かった」ということと、「言葉足らずにより不安と心配の声が広がり」ということを並べてみれば、「誤解」した我々の方が悪いとも取れる。
 この「誤解を招いたことをお詫びしたい」というのは国会議員、大臣の「お詫び」で定着してしまった。誤解した国民が悪いと、いわれてそれを垂れ流すマスコミもひどいものである。こんな発言に食らいつかなくて、マスコミの名がすたるというもの。
 今回も、内容や言いわけは突っ込みどころ満載だが、多くの批判で触れられているので省略しよう。

 私の感想は以下のとおり。

 昔、私が学生の頃、政府や大学側の対応に異議申し立てをしたし、また政治課題にも関心を持って学生向けのビラも多く作成した。
 そのときの時代の雰囲気として、学生の主張に多くの場合保守派のマスコミや教授連中や政党から「生活感がない」「理念ばかりが先行して、それで世の中を裁断してしまっている」というものがあった。
 その批判の当否や今は論じないが、最近の地方・国の議員を見聞きするにつけ、実につたなく、現実にはとても通用しない「理念」ならざる理念で、政治に携わろうとし、肝心の市民には向きあっていない。向きあおうとする姿勢を見せない。時代に通用しない理念で市民に説教をしているとしか思えない。

 カルト教団化した保守系の政治家・議員、行政府の長へ、50年以上前の私たちに投げかけられた言葉を、今度は逆に私たちが投げかけなければならない時代になっている。政治家の箍が外れてしまっている。外した象徴的人間はだれか、言わずもがなであろう。そしてとりわけ大切なのは、彼を支えた体制の問題点は何であったか、リベラル派にはその解明が求められている。
 今度の「虐待禁止条例」は「古い家族理念に縛られた家族・家庭像の押し付け」といわれる。実際に子育てで奮闘し、苦労している親の世代から総スカンをくらった。国力の顕著な衰退、貧富の差の拡大、高齢化、地域社会の崩壊、過疎化という時代に処方箋が描けない保守系政治家の無力。現実感のない空論に等しい貧弱な「政治理念」「政治的理想」にしがみついている保守政治家の堕落が浮き彫りになっている。

 私は50年以上経って、世の中が進歩どころかこんなにも後退していることにあきれ果てている。同時にそれを乗り越えられなかったリベラル派の政治力量、理念にも50年前と同様に絶望している。その絶望は当然私自身にも向けられてもいるのだが、今の私の能力では解決の糸口をつかめていない。
 半世紀以上、私はできるだけ生活者としての立場から為政者に言い続けてきた。自分が彼らを乗り越えられなかった半世紀という月日は、とても情けないとしか言えない。それが重く感じる昨今である。
 生活実感に真摯に向きあい、それを基に政治理念を積み上げて時代の課題を見極める。そんな姿勢が政治家にとっての当たり前になってほしいのだが・・・。墓場まで持ち込みたくはないが、そんな思いはかなえられそうもないほど、世界は厳しい事態になっている。

 


求められるバスと地下鉄の新しい棲み分け

2023年10月11日 18時36分38秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日はかなりくたびれた。そしてこんなことを考えた。

 朝から一家三人のインフルエンザの予防接種の予約、クーラー設置工事の13日の見積もりと下見に伴う申請書類の取り寄せ、親同伴の予防接種、銀行。途中で二人と別れて神奈川大学生協での予約本の受け取り、整形外科でのヒアルロン酸注射・・・・・とバス・タクシー・地下鉄・私鉄をいく九つも乗り継いだ。
 16時過ぎに帰宅して、横になって1時間ほど寝てしまった。家についてみると高々8000歩。それでも足はとてもだるい。

 本日はこんなことがあった。整形外科を訪れるために、長い階段を手摺りを頼りに昇っていたら、同じ手摺りにつかまって降りてくる私よりも年上のご老人とすれ違った。
 最初私が下を向いて歩いていたので気がつかなかった。「すみませんが・・・」と上からの声で慌てて上を見上げた。手摺りにつかまりながらぶつからないように声を掛けて注意をしてくれたのだ。
 私よりも明らかに年上で、しかも足の具合は私よりも悪そう。「ゴメンナサイ」と謝りながら私が横にずれてすれ違った。すれ違う時に、私から「つらい階段ですね」と一声、二人で笑いながらすれ違った。年寄り泣かせ、足の悪い者を泣かせる階段である。
 この駅、エレベーターがあるが、かなり遠回りになるので、少し苦労しても階段を使ってしまう駅である。昇りのエスカレーターは途中まであるが、下りのエスカレーターはそもそもない。

 本日の体験から、以下のように考えてみた。横浜市営地下鉄も開通してからもう半世紀近くになる。当時は問題にならなかった階段ばかりの出入り口、その後少しずつエレベーターやエスカレーターは整備されたものの、狭い敷地と駅舎構造のため物理的に限られた設置しか出来ていない。
 利用する市民の高齢化も著しく進んでいる。この地下鉄は、開通時から通勤をはじめ日常生活に欠かせない私である。その私も歳を取り、足がつらくなった場合のつらさを身をもって体験している。

 地下鉄開通時には地下鉄利用者が増え、バスが減便・路線減となった。しかし地下鉄駅舎のエスカレーター・エレベーターの増設が限界になり、階段がつらい人のバス利用が最近は増えている。団地の中でも、地下鉄に並行して走るバス路線に乗る住民が増えている。
 現在の状況を踏まえて、交通機関のあり様の見直し、地下鉄とバスの新しい棲み分けの方策・施策が必要に思える。


本日から読む本「浄土思想」

2023年10月11日 10時14分40秒 | 読書

 本日から「雨月物語」と並行して読む本を昨晩のうちに本棚から探し出した。
 「弥勒」(宮田登)を読んでいるときに気がついたのだが、意外と日本における法然以前の阿弥陀信仰、浄土信仰の展開や拡大について忘れていることや体系的な知識の不足に気がついた。
 その思いを適えてくれるかくれるかはわからないが、とりあえず入門書的なものを、と思い購入していた「浄土思想 釈尊から法然、現代へ」(岩田文昭、中公新書)を読むことにした。

 


萩もそろそろ終わり

2023年10月10日 21時18分41秒 | 近くの自然

 19時ころから急に北風が強くなり、唸り声を上げていた。雨も少しパラついたようである。昼間の好天気からは予想できなかった。21時ころからようやく少しおさまったようである。
 そろそろ花が終りかけている萩がこの風で散ってしまうのではないだろうか。寂しさが残る。

 明日は忙しい。まずはインフルエンザの予防接種を明日中に受けるにあたり、朝一番で予約の電話。接種時間は夕方になりそうである。
 次に13日のクーラーの買換え・新規設置工事の見積もり作成のための下見に合わせて、管理組合への届け出書類の受領。可能ならば、整形外科で膝のヒアルロン酸注射もしてもらう予定にしている。
 整形外科は当初13日の予定であったが、業者の下見が入ったので、明日中に打ちたい。急にドタバタと予定が入った。
 


クーラー買替えへ工事申し込み

2023年10月10日 17時59分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 14時の時点で比較すると昨日よりも本日はちょうど10℃高い25.8℃の気温。朝は肌寒かったので長袖を着た。そのまま出かけたものの、半袖にすれば良かったと反省。

 本日クーラーの購入で家電量販店へ二人で出向いた。工事のための事前の下見をまず先行する必要があるとのことで、とりあえず本日は下見の日程を予約した。
クーラーは寝室用は新規購入、穴あけ・電気配線新設が必要。リビングルームは17年使ったこともあり、買換え。出費が嵩む。

 家電量販店を出てから一服した後、私は有隣堂へ、妻は夕食の買い物といつものとおり別々。

 本日は雨月物語の「菊花の約(ちぎり)」を半分ほど。文庫本の活字が小さいので、拡大コピーをして読むことにした。
 同時に並行して読む本を物色中。

 


眼鏡が直ってご満悦

2023年10月10日 10時26分57秒 | 天気と自然災害

 昨日は雨が長引いた上、かなり寒かったので夫婦でクーラーを見に行くことは諦めた。しかし私の眼鏡の枠のネジが外れるというアクシデントがあり、夕方私だけが眼鏡店へ修理のために外出。
 ちょうど雨が小降りの時で傘を差さなくとも何とかバス停まで歩いた。しかしあと15秒のところでバスが行ってしまい、近くのコンビニで10分ほど時間を過ごした。買い物もしないオジイサンが店内をウロウロして店の人には不審にみられたかもしれない。
 いつもの眼鏡店で、小さなネジを交換して直して貰った。外出時にかける眼鏡も同時に点検してもらい、微調整もお願いした。共に無料。眼鏡が直ると視界が戻り、機嫌も良くなる。

 夜の散歩は雨がやんだすきに1000歩ほど。途中から再び降り出し、慌てて帰宅。明け方まで雨の音はやむことがなかった。かなりの雨量だったと思われる。


雨月物語から「白峰」

2023年10月09日 20時34分38秒 | 読書

 昼直後に上田秋成の雨月物語の最初の1編「白峰」を岩波文庫の最新版で読み終わった。解説には「崇徳院をシテ、西行をワキとする能のような劇的構成は謡曲の「松山天狗」に示唆された可能性‥。」とある。残念ながら私の持つ新潮社の日本古典集成の「謡曲集」全3巻にはこの謡曲は収録されていない。
 また「王道と覇道、天意と人道の対立をはじめとする思想的課題を取り入れた」「西行の論には国学・儒学・仏教が混ざり合って、賀茂真淵、熊沢藩山の影響も見える」とあるように、崇徳院と西行の対決はとても劇的である。
 高校生の頃はよく理解できなくて、1回読み飛ばしてそのまま放置していたが、この歳までいつかは読みたいと心には残っていた書物である。ようやくじっくりと読むことが出来た。