坊津の史跡を紹介します。
泊浦にある海印寺の磨崖文字です。
船の「とも」から彫ったものと伝えられています。
磨崖文字。
泊浦の海岸にある「まっどくんかわ」(弘法の井川)。
弘法大師が、西国行脚の途中ここに立ち寄った際、のどの渇きを覚え、浜を杖で指されたら水が湧き出た、という言い伝えがあるそうです。
弘法大師が水を出したという伝説は各地にあるようですが、坊津にもあったんですね。
輝津館の近くにある、梅崎春生文学碑。
「人生幻化に似たり」
梅崎春生は福岡生まれで、昭和20年、海軍暗号兵として坊津に駐屯しました。
昭和40年、坊津を舞台にした「幻化」を発表し、これが遺作となりました。
坊浦にある沈溺諸霊塔。
文化5年(1808年)11月10日、坊港に入港しようとした唐船が沈没し、乗組員90人のうち61人が溺死しました。
それを慰める慰霊碑です。
碑のところから坊浦を望む。
泊浦にある海印寺の磨崖文字です。
船の「とも」から彫ったものと伝えられています。
磨崖文字。
泊浦の海岸にある「まっどくんかわ」(弘法の井川)。
弘法大師が、西国行脚の途中ここに立ち寄った際、のどの渇きを覚え、浜を杖で指されたら水が湧き出た、という言い伝えがあるそうです。
弘法大師が水を出したという伝説は各地にあるようですが、坊津にもあったんですね。
輝津館の近くにある、梅崎春生文学碑。
「人生幻化に似たり」
梅崎春生は福岡生まれで、昭和20年、海軍暗号兵として坊津に駐屯しました。
昭和40年、坊津を舞台にした「幻化」を発表し、これが遺作となりました。
坊浦にある沈溺諸霊塔。
文化5年(1808年)11月10日、坊港に入港しようとした唐船が沈没し、乗組員90人のうち61人が溺死しました。
それを慰める慰霊碑です。
碑のところから坊浦を望む。