金沢に住んでいたとき、能登半島での仕事があり、宇出津という港町の民宿に1ヶ月ばかり滞在したことがある。
家庭的な、本当の民宿らしい民宿であり、食事は囲炉裏を囲んで家族と一緒にした。
能登の港町であるから、食卓には新鮮な海の幸、山の幸が豊富に並んだ。
客が私一人というときもあり、民宿の親父さんと二人で酒を飲みながら食事をすることもあった。
親父さんから、能登の話などを聞くのは楽しかった。
民宿には一人娘がいた。
年のころ22~23歳で、私より3~4歳下だった。
民宿の手伝いをして、かいがいしく働いていた。
私の身辺の世話をしたり、私が親父さんと飲んでいる脇で給仕をしてくれたりした。
清楚で、かわいい顔立ちをしており、控えめではあるが胸の奥に芯の強さを秘めたような娘だった。
都会の女性には見られない純朴さと、風雪に耐える能登の女のイメージがあって、私は惹かれていった。
彼女もまた、私に見せる笑顔に恥じらいを浮かべ、私に好意を寄せているらしいことは、その素振りから察せられた。
親父さんは、私と二人で飲んでいるとき、「もう決まった人はいるのか」と尋ねた。
そのときの私は、婚約者はおろか、恋人といえる人さえいなかったので、正直にそう答えた。
親父さんは、はっきりと口に出しては言わなかったが、どうも娘と私を一緒にしたいふうだった。
親が望んでおり、私たちも好意を抱いているのだから、結婚の障害などないはずだった。
しかし、親父さんが望んでいるのは、娘を嫁にやることではなく、婿を迎えて民宿を継いでもらいたい、ということらしいのは、言葉の端から容易に推察できた。
そのときの私は、これからの一生を能登で過ごす決心はつかなかった。
仕事が終わって民宿を去るとき、親父さんは落胆した表情で「ぜひまた来てください」と言った。
今思うと、能登半島の民宿の親父として一生をおくるのも、それはそれで、また別の、ささやかで穏やかな人生だったのではないかという気がする。