霧島市の史跡を紹介します。
国分姫城にある「こがの杜(もり)」です。
道路脇の田んぼに、形のいいクスノキが1本立っています。
1177年、鹿ケ谷の陰謀で都を追われ、俊寛とともに鬼界ケ島に流された丹波成経を慕ってこの地まできた伯耆局は、逢えないままこの地で亡くなりました。
クスノキの根元と、こがの杜の碑。
伯耆局を哀れんで植えられたクスノキとされています。
国分府中町にある祓戸神社です。
大隅国の総社として建立され、格式の高い神社だったそうです。
孝子田の碑。
明治時代、長崎金左ヱ門という人が、 病気の父を助け懸命に働き孝行に励みました。
このため、国から緑綬褒章をうけ、旧国分村から土地が贈られました。
今もここは孝子田と呼ばれています。
気色の杜(けしきのもり)。
かつては新古今和歌集をはじめ、多くの古歌集にも詠まれた名勝でした。
気色の杜の史碑。
隼人町内山田にある内山田の鼻んす。
今から250年前、用水路の水を通すために掘られた2連アーチ型トンネルです。
トンネルが崩れるのを防ぐため、2連アーチにしたものです。
鼻の穴に似ているため、鼻んすといいます。
アーチ部は、石などで保護していない素掘りトンネルです。
霧島市指定文化財です
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やせ衰えて舟を待っている図が浮かんできますね。
大きな楠の下の田圃 ピンク色に見えますが
レンゲの花かな?
でもそうだったらchiroさんが別に写真を撮られるような気もするし・・・
>鼻の穴に似ているため、鼻んすといいます。
ウフフ 大きかったら眼鏡ですが小さかったら
「鼻んす」ですね。
霧島には 昔温泉付きの別荘を買ってすっかり気に入って住みついた知人がいるんですよ・・・
鼻んす、というのですね。
その通りの形ですね。
いいえて妙です!
冒頭の楠も見事です!
俊寛が流されたのは、喜界島と鬼界ケ島(硫黄島)の説がありますが、硫黄島に史跡が多いので、鬼界ケ島に修正しました。
ピンク色はレンゲです。
ここを訪れたのは、少し前なのでレンゲが咲いていましたが、今は田植えがされているかもしれません。
ここは、海から遠いですが、昔は港があったらしく、ここから船に乗って流されたそうです。
霧島には、温泉付き別荘がたくさんありますよ。
温泉三昧の生活、いいですね。
鼻ひげを蓄えた「鼻んす」ですね。
福岡でも、鼻の穴を鼻んすといいますか。
九州北部も梅雨入りしましたね。
吹きっさらしのように見えますが、
何百年か台風にも倒れずそこに立っていたのでしょうね。
こがの杜、祓戸神社、孝子田、気色の杜と、
いずれも人文に深く根ざした、貴重な遺産と言えますね。
内山田の鼻んすは、江戸期の灌漑工事に遺産となりますか。
まるで、やごろうドンが仰向けに寝て、
両鼻を広げて大イビキをかいているようです。
番所鼻、長崎鼻と、鼻のつく地名は多いですね。
蓮の土台部分ははちすと言いますが、
これは蜂の巣に似ているからでしょうね。
味わいのある史蹟の映像を有難うございました。
国分は、大隅国分寺があったところですから、史跡も多いです。
今回の史跡は、あまり知られていないところで、私も初めて訪ねました。
こがの杜は、今は田んぼの中ですが、昔は港があったところで、俊寛たちもここから流されたそうです。
>やごろうドンが仰向けに寝て
そんな風に見たら楽しいですね。
番所鼻というのは、山川港にありますよ。
いつも、ご丁寧なコメント、ありがとうございます。