鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

石造り倉庫群

2008-02-17 | 史跡
昨日紹介した篤姫館は、鹿児島本港の北埠頭と南埠頭の近くにあり、周辺には港湾施設があります。
大通りに面したところには、港湾荷役用の石造り倉庫がたくさん並んでいました。
今でもいくつかが残っています。


レトロな雰囲気の石造り倉庫。
まだ倉庫として使用されているものがあります。
石材は、鹿児島に多く産する、石橋の石材と同じ溶結凝灰岩です。


マンションと石造り倉庫の組み合わせ。


中には、店舗に転用されている倉庫もあります。
入ったことはありませんが、内部もレトロな雰囲気が漂っているのではないでしょうか。
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篤姫館

2008-02-16 | 施設
1月29~31日、天璋院篤姫の史跡を紹介しましたが、篤姫のことを知るのに適した施設が、鹿児島本港新町のドルフィンポートにある篤姫館です。


篤姫館。
篤姫とその時代、篤姫を取り巻く人々、大河ドラマの世界が、展示物、パネル、映像等で紹介されています。


館内写真撮影禁止のため、写真はありませんが、ここだけ写真撮影が許されています。
豪華な衣装を着て(羽織るだけ)モデルになり、写真を撮ることができます(カメラは各自持参)。
女性が、入れかわり立ちかわり写真を撮っていました。

もう一つの目玉がハイビジョンシアターで、江戸城、特に大奥の世界がCGで再現されます。
また、篤姫と皇女和宮が着た豪華な衣装やその違い(武家風と公家風)もCGで再現されます。

晩年の篤姫は勝海舟と親交があり、海舟は篤姫を芝居小屋や夜遊びなど、市井の人々が行く場所に連れて行ったそうです。
大奥というカゴの中で暮らした篤姫に対する、海舟の思いやりだろうということです。

日本の南端の分家の娘から、将軍の御台所という女性最高の地位まで上り詰めた篤姫ですが、幕府崩壊後は、大奥の女性の再就職に心をくだき、亡くなる時はわずかなお金しか残っていなかったそうです。
女性として、人間として、きっぱりと生き切った篤姫にすがすがしさを覚えます。

篤姫館
 開館時間:9:00~18:00
 入館料:大人 500円 小人 250円
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若狭公園

2008-02-15 | 風景
昨日、鉄砲伝来にまつわるヒロイン、若狭の話をしました。
種子島では、若狭は非常に親しい存在であり、若狭、わかさの名のつくものがいろいろあります。
例えば、鹿児島~種子島間のフェリーの名が、「プリンセスわかさ」と言います。
その一つに若狭公園があります。
西之表市街地の南の小高い丘にあり、市民の憩いの場となっています。


若狭公園。普段は人影は少ない。
一角に土俵があり、相撲大会が行われます。
種子島は、相撲の盛んなところです。


ブーゲンビレアが咲いていた。
赤紫の花びらに見えるのは苞です。花は白くて小さく、その中に咲きます。


鉄砲伝来記念碑。
鉄砲がとりもつ縁によって、日本とポルトガルの親交を深めるため、昭和2年、ポルトガルの公使を招いて建立・除幕されました。
鉄砲の弾丸の形をした碑です。


前の写真の左上にある展望台から眺めた、西之表市街地と西之表港。
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若狭姫墓地

2008-02-14 | 史跡
昨日、種子島時堯と鉄砲伝来の話をしましたが、鉄砲伝来にまつわるヒロイン、若狭(わかさ)の伝説があります。
種子島では、若狭姫と呼ばれます。

時堯から、鉄砲の製作を命じられた刀鍛冶、八板金兵衛清定は、日夜製作に励みます。


西之表港の近くにある八板金兵衛の像。

ようやく完成に近づきましたが、どうしてもできない部分がありました。
銃身の底をふさぐネジです。
当時の日本にはネジという技術がなかったのです。

翌天文13年の春、島の東海岸の熊野浦に再びポルトガル人が来島し、金兵衛がネジの教えを請うと、娘の若狭を嫁にくれたら教えてやるといわれます。
親子は悩みますが、若狭は親のためポルトガル人に嫁いで行きました。このとき、若狭16歳でした。
こうして、国産の鉄砲が完成したのです。
外国で若狭が詠んだ歌です。
 月も日も日本(やまと)の方ぞなつかしき
 わがふた親のあると思えば 

翌年、若狭はポルトガル人と帰島します。
親子は再会しますが、数日して若狭は急病で亡くなったと偽り、葬式を出します。
若狭は再びポルトガルには行かなかったと言われます。


西之表市街地の南の小高い丘にある若狭の墓。
右の小さな石が墓で、中央の大きいのは忠孝碑。


墓の隣にある海音寺潮五郎の歌碑。
 あハれここ若狭の墓か
 白砂のもろく崩るる海のべの丘


シティホテルあらきの前にある若狭の像。

若狭の伝説が事実かどうかはわかりません。
ネジの製作の困難さを伝えるエピソードかもしれません。

ネジの造りかたは、雄ネジはタガネやヤスリで削って造り、雌ネジは焼いて軟らかくした鉄に雄ネジをねじ込んで造ったようです。
こう書けば簡単ですが、大変な苦労があったのでしょう。
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赤尾木城跡と種子島時堯像

2008-02-13 | 史跡
赤尾木城跡は、種子島の西之表市にある種子島家の居城跡です。
アコウの木がうっそうと茂る城であったため、赤尾木城と呼ばれました。
現在、榕城小学校と榕城中学校になっています。(榕はアコウ)


赤尾木城跡。
石垣や細い小路に城の面影が残っています。
石垣の上が榕城小学校で、道路の左が榕城中学校。

赤尾木城は、14代島主、種子島時堯(ときたか)の時代に、榕城中学校の敷地に内城として建設されました。
1624年、17代島主忠時が榕城小学校の場所に居城を移し、明治2年の版籍奉還まで、250年間、種子島家の居城として使用されました。


榕城小学校。
お城をイメージした屋形風の建物です。


榕城中学校の一角にある種子島時堯の像。
時堯は、なんと言っても鉄砲伝来で有名な島主です。

天文12(1543)年、島の南端門倉岬に明国船が漂着し、乗っていたポルトガル人が鉄砲を所有していました。
16歳の若い島主時堯は、鉄砲2丁を2000両で譲り受け、刀鍛冶の八板金兵衛に命じて作らせます。
ここに国産の鉄砲が完成し、戦国時代の歴史を変えるのです。


時堯像の隣、榕城中学校の校庭の土手にあるアコウの木。
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ポンカン

2008-02-12 | 食べ物
種子島に帰省しました。
実家の家の横にポンカンの木があります。
私が高校生のころ植えたポンカンの木です。
老木になっていますが、毎年実を付けます。
久しぶりにポンカン狩りをしました。


脚立に乗り、首にかごをぶら下げ、はさみを持ってポンカンを取りました。


ポンカンは、タンカンに比べて水分が少なく、ややサクサクしていますが、上品な甘さがあり、贈答に用いられます。
自分が植えたポンカンは思い入れがあり、美味しさが違いました。
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コカリナ

2008-02-10 | Weblog
ブログ友達のmomomamaさんに教えられて、コカリナの存在を知り、ネットで購入した。


木曽檜で出来たソプラノコカリナ。
直径2.5cm、長さ約8cm。4500円。

この楽器のルーツは、ハンガリーで生まれた「桜の木でできたオカリナ」で、日本では「木でできた、小さな」という意味をこめてコカリナと呼んでいるそうだ。
材質は、桜、かえで、なら、くるみなどさまざまで、手のひらにすっぽり入るかわいさだ。

写真のように上に4個の穴があり、下に2個の穴があって、この組み合わせで音階を出す。
オカリナの音が、石質で、深遠で、奥深いのに対し、コカリナは木質で柔らかく、かわいらしい音だ(音の表現は難しい)。

早速練習してみる。
 ドレミファソラシド
運指標があるからこれはすぐできる。

 さいたさいた チューリップのはなが・・・

 ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ・・・

音階が簡単な曲はすぐ吹ける。
童心に帰るなあ。

次はスワニー川。
 はーるかなるスワニーがわー 
 そーのしもー

急に音階が高くなるが、何とか吹ける。
いつか、人前で吹けるようになるといいなあ。
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豚骨

2008-02-09 | 食べ物
薩摩料理の一つに豚骨があります。
武士が、戦場や狩り場で作り始めたという、300年の歴史を持つ料理です。
薩摩料理の店で食べることが出来ますが、自宅でも時々作ります。


我が家の亜流の豚骨。

先日紹介した、今村知子さんの「私の鹿児島料理」から、正式な作り方を紹介すると、
1.厚手の鍋に油を熱し、骨付き豚肉を炒めて焦げ目をつけ、焼酎をかけて火を呼び、アルコールを飛ばす。
2.だし汁を加えて強火でしばらく煮てから、弱火にしてアクをすくい取る。
3.大根(桜島大根が正式)を入れて1時間煮てから、こんにゃく、薄切りしょうがを入れ、白味噌、赤味噌を入れ30分煮る。
4.黒砂糖を加えて約30分煮る。
5.器に盛り、針しょうがとねぎを天盛りにする。

我が家では、豚骨を圧力鍋で煮て、軟らかくしたりします。
骨の旨みが溶け出して、コラーゲンたっぷりの料理です。

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馬場の田の神

2008-02-08 | 田の神
昨日紹介した南蛮船係留の大クスから、国道269号線を北に向かいます。
すぐに錦江町に入り、まもなく国道の右に馬場の田の神があります。


馬場の田の神。

頭にこしきを被り、右手にしゃもじ、左手にすりこぎを持つ薩摩独特の石像です。
制作年代を書いた台座はありませんが、形状などから、享保年間の製作と推定されています。
馬場一体の豊作を願って建立されました。
宅地開発で、住宅地の片隅に追いやられる田の神がある中、田んぼの脇で本来の役目を果たしている田の神です。
錦江町の文化財に指定されています。
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南蛮船係留の大クス

2008-02-07 | 巨樹・古木
南大隅町根占川北に、南蛮船係留の大クスと呼ばれるクスノキの古木があります。
場所は、南大隅町役場(旧根占町役場)の前の、国道269号線の脇です。
雄川の河口付近の右岸に当たります。


国道から見た大クス。
 幹周り:9.8m
 樹高:17m
 樹齢:約1000年
根元は空洞化しておらず、樹勢も盛んな木です。


反対側から見た大クス。
向こうに見えるのが雄川です。
名前の由来は、約500年前、雄川河口は天然の良港であり、唐や南蛮、琉球などの船が出入りする貿易港で、異国船はこのクスにとも綱をつないで、交易品を荷揚げしたことによるそうです。
この付近には唐人町もでき、港は繁栄しました。


大クスの根元。
ここにとも綱をつないだのでしょう。
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