不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

慈眼寺自然遊歩道(1)

2015-08-12 | 石橋

鹿児島市下福元町の慈眼寺公園には、史跡、石橋が多いのでよく訪ねます。

慈眼寺は、今から1400年前、百済の僧日羅によって開基され、明治2年の廃仏毀釈により焼失しました。

 

和田川沿いに自然遊歩道があるので、下流から上流へ歩きました。

一番下流にある遊仙橋を右岸から見たものです。

 

下流から見た遊仙橋。

 

遊仙橋の左岸にある酒水の井戸。水質がよく、酒造に使われました。

 

崖の下から水が湧いています。石畳は1767年に造られました。

 

遊仙橋の上流にある桁橋です。

 

上流から見た桁橋。

 

前の桁橋の左岸に池があり、そこにも桁橋が架かっています。

 

池の近くにある大雲白峯和尚の墓。慈眼寺12代目の和尚でした。

 

稲荷神社と、その前の稲荷橋です。

 

下流から見た稲荷橋。

 

上流より見る。

 

稲荷橋の右岸にある青面金剛像。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍王山源廣院跡の観音像他

2015-08-10 | 史跡

鹿児島市喜入の史跡を紹介します。

 

生見にある龍王山源廣院跡です。1664年、肝付氏の霊を慰めるため、源廣院が建てられました。

 

慶応3年に廃寺になりました。観音像が1体残っています。

 

目を閉じて、少しうつむいた観音像。

 

帖地の山の神です。杉林の中の鳥居をくぐって進みます。

 

山の神は女神です。これは陰陽石でしょうか。

 

槍が祀られており、帖地の集落神となっています。

 

帖地墓地の近くにある馬頭観音です。

 

馬頭観音は、馬の無病息災を願う民間信仰です。

 

墓地にある帖地最古の墓。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電報

2015-08-08 | エッセイ

新しい技術にとって替わられ、滅んでいったものは数多い。

 

私が若いときワープロはなく、公式文書は、タイピストが和文タイプライターで作成していた。

ワープロが出初めたとき、タイピストからの「和文タイプは滅びない」という投書が新聞に載ったことがある。

理由は、「ワープロの文字は汚いが、タイプの文字は美しいから」というものであった。

確かに、当時のワープロ文字はドット数が少なく、ギザギザした文字で汚かった。

だが、その人は技術の進歩を甘く見ていたのだ。

ワープロはドットの問題などたちまち解決し、活字に劣らない美しい文字で印刷できるようになった。

やがて、和文タイプライターもタイピストという職業も、完全に駆逐されてしまった。

 

私が子供の頃は一般家庭に電話がなく、緊急の連絡は電報だった。

夜中に電報配達員が来ると、たいてい「○○シス」といったような悪い知らせだった。

合否電報というのもあった。

大学入試の結果を電報で知らせるもので、電文は「サクラサク」、「サクラチル」が一般的だったが、その地方特有のものもあった。

例えば、私が今適当に考えたのだが

秋田なら「アキタオバコホホエム」

岡山なら「モモタロウオニタイジス」

鹿児島なら「キンコウワンニニジタツ」

といった具合である。もちろんどれも合格電報である。

 

電文はカタカナなので、こんなジョークもあった。

子供が親に「カネオクレタノム」と電報を打ったら、親から「ダレガクレタカノムナ」と返信があった。

子供は「金送れ。頼む」と電報したのだが、親は「金をくれた。飲む」と勘違いし、

「誰がくれたか。飲むな」と返電した、というジョークである。

 

その後、一般家庭に電話がいきわたり、今は個人が携帯電話を持って、いつでもどこでも電話やメールで簡単に情報を伝達できる時代になった。

では、電報の役割は終わったのかといえばそうではない。

慶弔電報として、しっかり生き残っている。

今、電報のほとんどはこれである。豪華な電報もあり、値段も結構高い。

電報は、緊急情報伝達手段からセレモニーの小道具へと役割を変え、技術の進歩をかいくぐってしぶとく生き残った稀有な存在といえるだろう。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小長崎神社の杉

2015-08-06 | 巨樹・古木

鹿児島市福山町の小長崎神社を紹介します。

 

小長崎神社です。

 

境内には、多くの杉の古木があります。

 

小長崎神社社殿。創建は1531年で、今の社殿は昭和28年に改修されました。

長崎市の諏訪神社から分神されたという説があるそうです。

 

神社側から見た境内の杉です。樹高が高く、樹勢がいいです。

 

下部。

 

濃い緑の上部。

 

社殿の裏の杉林。これはそれほど大きくないです。

 

神社に向かって左の斜面に孟宗竹の林もあります。

 

境内の行幸記念碑。以前は松元小学校にありました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅ジュース

2015-08-04 | 食べ物

梅ジュースを作りました。

 

材料は、青梅1kg、氷砂糖1kgです。好みにより、氷砂糖を少なくしてもいいです。

 

梅を洗って、水気を切ります。この後、冷凍庫に1晩入れておくと、液が出やすくなります。

 

広口ビンに、梅と氷砂糖を交互に入れ、一番上に氷砂糖がくるようにします。

 

冷暗所に約1ヶ月置くと、液が出てきます。

 

液を加熱殺菌します。

 

ビンに移して、冷蔵庫で保管します。1kgの梅から1リットル以上のジュースが出来ました。

 

 

水で適当な濃さに薄め、氷を入れて飲みます。

さわやかな甘酸っぱいジュースで、夏バテ防止によさそうです。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二重橋他

2015-08-02 | 石橋

鹿児島市喜入の旧麓を訪ねたとき、近くの石橋を訪ねました。

 

一倉小学校の近くにある二重(ふたえ)橋です。川は八幡川です。

 

近景。

 橋長:7.95m

 幅員:2.70m

 架設年代:明治44年8月

 

右岸から見たもので、集落の生活道路です。

 

河床より見る。

橋が完成したとき、紋付袴を着た人たちが踊り、子供たちにはお菓子が振舞われて、お祝いがあったそうです。

 

上流より見る。ツタに覆われて、アーチが見えません。

 

二重橋を下流へ行くと、旧麓に桁橋があります。

 

下流から見た桁橋。桁の下にアーチが見えますが、玉繁寺橋です。

 

下流から見た玉繁寺橋。

 橋長:3.6m

 幅員:3.7m 

 架設年代:昭和7年

 

近景。

 

上流より見る。アーチの中に、桁橋が見えます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする