山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

100本近くの支柱完了!!

2022-11-21 21:34:55 | バタフライガーデン

 近所に放置された竹が転がっていたので拾ってくる。残念ながら新品はない。カビだろうかまだら模様のものや柔な竹もあったが、廃材の活用だと思って活かすことにする。長いもの、短いものを2mほどに切って揃えたらなんだかんだ100本近くになった。

        

 これを数週間、草取りや剪定をしながら少しづつ樹の支柱として打っていく。太さもまちまちだったが90本はまちがいなく打ち込んだ。ということは、ガーデンの内周だけでも100本以上の樹木があることになる。それを抜根した茶樹が積まれている中央部にこれから植樹するとなると150本以上にはなるはずだ。

   

 ガーデンに向かって左側にはアジサイを中心に、右側にはレンギョウを中心に植栽している。その70%は挿し木で育てたものだ。向かいのガーデンから移植したノリウツギは、抜根した茶樹の跡地に生まれた自生の樹木だ。そこに、山猿さんからいただいた山椒やクロモジなども植栽された。

   

 さらには、実生から育てたロウバイも130cmほどに成長した。花が咲くまでに7年はかかるらしいので、あと3~4年はかかるかもしれない。同じく、実生から育ったナンテンも雑草に追いやられながらもなんとか生き延びている。その開花も4~5年はかかるらしいので、数年後には開花するはずだ。来年の開花はまだ見られないが、アジサイ・レンギョウの開花は期待できそうだ。

             

 ガーデンの中央部分の一部では、芝桜がいまだにちらほらピンクの花が咲いている。また、コンニャクはすでに3年物を収穫、アシタバも2~3年かかったがなんとか収穫し初めて食味を堪能した。まもなく、ウコンの収穫が終われば冬の取り組み、つまり後かたずけ作業が始まる。

 雑草の海の中にいまや開削された道ができたことに希望がある。外周に植えたロウバイもしたたかに生きている。4~5年後には内側と外側のローバイが香る空間ができるはずだ。ということは、おいらも80歳代になっているということだが、どちらの命が持つかのせめぎ合いが始まっている。

     

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アジサイを救い出す

2022-11-16 22:31:15 | バタフライガーデン

 雑草の海がバタフライガーデンを支配した。背の低かったアジサイはついにその海に溺れてしまっていた。舌打ちしながら見えなかったアジサイの姿を手探りで探す。以前、草刈り機でアジサイを刈り取ってしまったこともたびたびあった。

            

 だから、今回はなるべく機械で一気に草刈りをしないで、鎌を中心に雑草をのんびり刈り取っていく。すると、絶え絶えになりながらもアジサイを発見する。生きていた。植え付けた当時とあまり背丈は変わらない。ほとんど、挿し木で育ったつわものらしくたくましい。全部で50本近くもある。

   

 目印と支柱を兼ねた竹を打ち込む。このけん引だけでも時間がかかる。種類もヤマアジサイ・西洋アジサイ・墨田の花火などが混在している。久しぶりに雑草が目立たないシーンが実現できて、うっとり(自己満足)する。また、一番奥の方に、トランペットツリー(ナス科)の花が咲いていたのに気づく。

         

 たまたま奥は残された茶の木に囲まれていたので、風に弱いトランペットツリーには好適な環境だったのかもしれない。全身が有毒なので鑑賞するしかない。この仲間の木で、花岡青洲が麻酔剤として乳がん治療に使ったことで有名だ。

           

 五裂した花冠の先端には細い突起があった。正式名は「木立朝鮮朝顔」で、英名が「エンジェルス・トランペットツリー」という。「天使のトランペット」というわけだ。南米原産の熱帯植物だが、寒さにも強いというのが心強い。江戸時代に朝鮮経由で薬用として伝わったことから「朝鮮」の名前がついたようだ。今月に入り、草刈り機や鎌の活躍でなんとか荒野からガーデンらしくなってきた。希望の片りんが見えてきた。

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萩の花が No.1のわけは

2022-09-28 12:00:00 | バタフライガーデン

 雑草の海のバタフライガーデンで、いま唯一花盛りなのは、萩の花だ。雑草に埋もれて命を落とした草木も多かったのに、萩だけは安心して成長をしてくれた。やせ地や裸地においてパイオニア植物として戦陣に馳せ参じる樹木である。茶畑の跡地に植えつけてすぐ反応が良かったのが「萩」だった。

 萩がなぜ古代人の人気になったかについて、万葉の歌人には「大和盆地」に縁のある歌人が多かったからという説がある。つまり、大和盆地の森林伐採・焼き畑農業による開発で、パイオニア植物の萩がよく見られたからだという。萩を育ててみてなるほどと思う。

  

  万葉集に詠まれた花を多い順に示すと次の通り。断然、ハギがトップなのだ。

 1位 ハギ 141首  2位 ウメ 118首  3位 松 79首  4位 橘 68首

 5位 桜 50首  6位 葦 50  7位 ススキ 47首 (数字は引用者によって微妙に異なる)

 なぜ、萩が慕われていたのか、それは、萩の原文が「芽子」と表現され、「めこ」は「妻子」、女性を表現する象徴として扱われたというのだ。それに対し、「鹿」は男性を表し、萩と鹿がセットで相聞歌となっている歌が圧倒的に多い、という。

             

 そこに、秋風・露・月・雁などの定番を登場させ、秋の風情と愛の切なさを交錯させている。したがって、花言葉も「内気」とか「思案」とかの控えめな風情を醸し出している。そこから、「秋の花見は萩だ」と古代人は謳うわけだ。わがガーデンの10mを越える萩の花の行列を見ると、なるほど秋の花見は秋だというのを実感する。

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自然に生えたノリウツギを移植する

2022-09-05 22:10:24 | バタフライガーデン

 抜根した茶畑の跡地は雑草の海と化した。雨の連続も痛し痒しだが、茶樹の肥料がまだ効いているせいか、裸地から芽を出した草も樹も一斉に自由を謳歌している。その中でも、1m以上の高さのノリウツギ(糊空木)が15本以上も自然発生していた。6月中旬には玄関入り口に純白のノリウツギが勝手に咲き出していたが、その種が茶畑に散布・埋蔵されていたのだろうか。

         

 さすがに、これだけ野生化してしまうといつのまにかジャングルとなってしまう。花は気に入っていたので今のうちに移植することに決めた。根もしっかり張っているのである程度カットしながら鶴嘴の出番だ。相手も場所をわきまえていないから掘り出しに時間がかかる。一日に2本くらい移植できればいいか、と雨天の合間にしこしこと作業を開始する。

          

 玄関入り口近くに咲いていたノリウツギのきょう現在では、花はすっかり枯れてしまっているが、翌年までこのまま残るらしい。和歌山の山間部では娘を嫁に出すとき、「ノリウツギの花が無くなるまで返ってくるな」と、送り出したという。

 ノリウツギは和紙を作る時の「糊」に活用されたが、アイヌは幹の中空を利用して芸術的な「キセル」を作っていた。また、根っこからは「パイプ」も作っていたがこれは希少価値もあり高価な芸術品だ。 

    

 道の真ん中に生えていたノリウツギを真向いの3面のガーデンにやっと移植する。しかし、ノリウツギ以上に繁茂しているのが、「コムラサキ」だった。この二大巨魁を移植しないとガーデニングを開始できない。コムラサキの移植もやらなければならない、と焦りのストレスが心を支配する。

       

 一日一善ではないが、なるべく体を動かすしか道はない。土をしっかり保持しながらの移植は成功したが、土を取り逃がした根だけの樹は葉に元気がない。頼みは雨天だった。雨が降りそうな前日に移植をするようにしている。炎天下での移植は禁物だ。あたふたしながらとりあえず、12本の移植は完了した。うまくいけば、ノリウツギの純白な花に囲まれた楽園ができるはずなのだが。そんな妄想に浸りながらきょうも草刈りをやってみる。   

 

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乞食のイチゴが痛いよ~!!

2022-06-24 23:12:57 | バタフライガーデン

 バタフライガーデンをやり始めて不思議なことが起きる。例えば、棘だらけの「コジキイチゴ」がところどころに繁茂し始めたのだ。何しろ半端ない棘があるのでとても素手でも軍手でもさわれない。それも棘だらけの太い幹が2mくらい伸びていくのだ。何度かボーッとしていて棘の幹が倒れて頭を襲われたこともあった。

   

 5月の連休明けには白い花が咲き、他のイチゴの花と競っていたので、どんなイチゴができるのかが楽しみだった。名前からしてあまり期待できそうもないが、今まで見たこともない迫力ある木苺なのは確かだ。

  

 そのうちに、ドングリのような実ができたのが6月上旬だった。実がいっぱいできて、赤くなったのもあり、期待値が増してきた。愛用している「山渓」の図鑑が和名に「乞食苺」を使っているのが違和感があったが。果実が蒸し器の「甑(コシキ)」に似ているから、「コシキイチゴ」と言われていたのが、「コジキイチゴ」になったという説が有力らしい。

  

 2cmほどの果実がやっと黄色くなってきた。今月中旬ごろには地面に落ちる果実もでてきた。触ろうとしたり、枝が揺れるとすぐ落ちてしまう危うさがある。食べてみるとほんのりした甘さがあるが、ジャムにはどうかなー、というところだ。

    

 別名「フクロイチゴ」と言われるくらい、中身が中空なのが残念。食べがいがない。ガーデンには5~6か所に生育しているが棘が痛いしぐんぐん大きくなるのでので、出た芽は切らしてもらっている。そのせいか、自治体によっては準絶滅危惧種に指定しているところもある。生育場所をどんどん変えるらしいので、今見られることが貴重なのかもしれない。それにしても、鉤状の棘はとてもお付き合いできそうもないくらい強烈なのがつらいところだ。

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「松本仙翁」の役者ぶり!?

2022-06-22 22:27:32 | バタフライガーデン

  雑草に占拠された花壇にひときわ目立つ花が咲いていた。それが、昨年植えた「マツモトセンノウ」(ナデシコ科)だった。ことしは花数が増えていたのがうれしい。環境省のレッドデータリストで絶滅危惧Ⅱ類にも登録されている。

      

 名前の由来は信州松本に分布していたという説や花が松本幸四郎の家紋に似ているという説などがある。雑草の中で目立った華やかさはやはり歌舞伎の華麗さを表しているのかなとも思えた。「仙翁」は、京都嵯峨の「仙翁寺」周辺で栽培されたことからのネーミングらしい。花色はサーモンカラーの鮮やかさがある。また、花柄が絞り咲きになっているのも貴重だ。

           

 その隣に、薄い橙色の花も咲いていた。花弁がハート型なのも魅力的だ。そういえば、以前暗い藪の中で、「フシグロセンノウ」を見たことを想い出した。花弁は切れ込みがない丸型だったが、やはりひときわ目立つスターのような存在感があった。

           

 先月に、「ガンピセンノウ」を150円で買ってきた。処分寸前の商品だった。なんとかわが庭園で伸びやかに育ってほしいものだ。名前は、和紙の原料になる「雁皮」に似た花ということで、命名されたらしい。センノウの種類は、花色やその形、葉などにバリエーションが多い。江戸で開発された園芸種はほとんど幕末には消失したというが、現在はそれをなんとか復活させてきた途上なのかもしれない。

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注目されなかったアジサイの歴史だったが

2022-06-17 12:50:43 | バタフライガーデン

 挿し木で育てたアジサイを3月末にバタフライガーデンに植栽する。合計すると約60本近くなる。全部が咲いたわけではないが、植えてから三か月ほどで開花したのがうれしい。庭の主役になりそうな勢いがある。

           

 しかし、アジサイの歴史を見ると、はなはだながら日陰者に甘んじていた。初めて登場した万葉集でも2首しか詠まれていない。萩が141首、梅が116首、桜が47首というぐあいなのに。また、源氏物語・枕草子・古今和歌集などにはアジサイのアの字も登場もしていないらしい。安土桃山時代になって狩野永徳によって初めて画壇に登場する。その後、光琳・宗達・抱一・北斎などがポツリポツリと描かれ、芭蕉も2首詠んでいる。

  

 むしろ、シーボルトがガクアジサイなど14種の新種をヨーロッパに紹介する。1900年代になってフランスで育種が成功するや「西洋アジサイ」が注目され、日本に逆輸入される。アジサイが脚光を浴びるのは太平洋戦争後のことだった。死者の手向けの花としてお寺に植えられたアジサイが観光資源として人気になり、大衆化され現代にいたるというわけである。だから、アジサイはしばらく歴史に埋もれていたが、戦後になってついに本領を発揮したというわけだ。

  

 その意味で、そんな忍耐の歴史を背負った??アジサイが、わが庭にじわじわと咲き出し始めたのが感慨深い。挿し木で増やしたから、もとはと言えば10cmくらいの枝だったのだ。ここまでなるにはやはり2年近くはかかっている。水やりも肥料も忘れたりしてのぐーたら栽培だったので成功率は5割ということだろうか。どんなアジサイなのかは咲いてみないとわからないという有様であることも告白しなければならない。ガクアジサイが少ないこともわかった。間もなく「ヤマアジサイ」が開花本番となる。

 

 

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コスモスのこぼれ種から

2022-06-08 23:19:09 | バタフライガーデン

 昨年、コスモスの種まきをした。そして今年になって、そのこぼれ種から推定200本以上の苗ができていた。歩道などに芽が出てしまった苗を抜いて、先月中旬ごろ植え付けを始める。それだけでも100本近くはあった。

 コスモスは、和名を「オオハルシャギク」(大春車菊)という。「ハルシャ」とはペルシャのことだが、要するに幕末に外国から来た植物という意味らしい。

  

 そのコスモスが早くも開花した。コスモスは一年草で、背が高くなって倒伏することも少なくない。そのため、今までコスモスを育てることはしなかったものの、こぼれ種ができることで宿根草と同じ効果があることが分かった。そしてまた、花の凛とした姿や色遣いの魅力を見直すことにもなった。

           

 コスモスは、さだまさしが作詞作曲した「秋桜」で、コスモスを初めて「秋桜」と表現したことでも有名だ。山口百恵のヒット曲でもある。「淡紅(ウスクレナイ)の秋桜が秋の日の 何気ない日溜まりに揺れている」という低いメロディの出だしから、「こんな小春日和の穏やかな日は、あなたの優しさが沁みてくる」のメロディのなってくると、ぐっと涙腺を刺激してくる。さだまさしの詩人らしい感性の豊かさがさざ波のようにやってくる。

 また、この歌をウクライナ出身の歌手ナターシャ・グジーが、ウクライナの民族楽器パンドゥーラで奏でながら「秋桜」を歌っている。その透明な歌声も見逃せない。グジーはさだまさしのカバー曲を多く歌っている。音楽を通してウクライナ支援活動もすすめているグジーさんを、マスコミはもっと放映していく感性がほしい。

 「何気ない日溜まりに揺れている」コスモスと平和ボケした似非平和の世界(コスモス)とが混淆する日本のいま。

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ホオベニエニシダの花言葉は

2022-05-11 23:31:04 | バタフライガーデン

 20年前だっただろうか、千葉へ行ったとき住宅街の一角で見かけて、その前で心を奪われたように立ちすくした想い出があったのが、「ホオベニエニシダ」だった。この華やかさの見事さをぜひバタフライガーデンで実現したいと昨年定植したものだった。なかなか入手ができなかったがやっと植えつけることができ、しかも今年には見事な花を見せてくれた。遠くから見ても鮮やかに目立つ。

          

 花の形からして、マメ科であるのはわかる。ヨーロッパ原産で江戸時代にオランダ経由でやってきた「エニシダ」の園芸品種だ。オランダ語で「ヘニシタ」「ゲニシタ」と呼んだことから、「エニシダ」と命名するようになったというのが名前の由来らしい。

 樹形が箒型だが、この枝を束ねて実際箒にしていたらしい。伝説では魔女がこれにまたがって飛行したという。この箒にちなんで、花言葉は「清楚」「清潔」。

   

 また、フランスでの伝説は。王である兄を殺した弟が、城を出て悔恨(カイコン)の旅をする。そのとき、エニシダに懺悔を繰り返していたという。そこから、花言葉は「謙遜」「卑下」ということにもなった。花にまつわる物語があるのは楽しい。いつもながらだが、専門家は植物の緻密な特徴を並べるもののどうもそういう幅がないのが残念だ。

 

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ビオトープ一気に完成!!

2022-05-06 22:26:28 | バタフライガーデン

 前々から、茶畑伐根跡にビオトープを作りたいと思っていたが、ついに実現に至った。オイラのそんな思いに応えて、かつてのボランティア仲間を中心に昨日作業を行う。久しぶりに、参画してくれたメンバーの自家用車が埋まっていく。その車の先のバタフライガーデンの片隅でさっそく穴掘りから始まる。山猿さんも道具をいっぱい持参してくれた。

        

 当初は、バスタブくらいの広さかと思っていたがその3倍ほどの穴が広げられた。途中で、硬い岩盤にぶつかり、ツルハシの出番となる。みなさん、大手術した後遺症もあり、さらに忙しい仕事の合間がありながらも駆けつけてくれた。そのボランティア精神の心意気が美しい。地元ではそういう発想で動いてくれる人はとても少ない。そんな壁にいつもぶつかるので、とてもありがたい。

  

 そのうちに、幼児のタイチくんも穴掘りをやり始めた。穴の広さはシートの広さに合わせながら掘り進める。問題は石だった。シートが崩れぬよう30個以上の石が必要だった。人力で運ぶこともあったがかなり重い。持ち上げられてもそれを運ぶとなると腰に負担がいく重さだ。それで、ネコ車に石を乗せて何度もピストンして運んでいく。傾斜があるのでけっこう力もいるし、ネコを倒してしまうこともあった。それでもなんとか30個以上を運ぶことができた。これらを一人でやるとなると、最低3日はかかるだろう。

  

 石を運び終わってから次は水入れだ。すると、タイチ君も手伝ってくれた。池に入った第1号となる。池には水草も入れられ、生き物のシェルターとしてブロックも投入される。そのうちになんと、アメンボウがすぐさまやってきた。タイチ君が「アメンボウになる」と言って池から離れない。しかも、みんなが作業を終了して昼食づくりでいなくなっても、びちょびちょになりながらも池にこだわっていた。ご夫婦もそれを暖かく見守っている。そこに、今回のビオトープをめぐる物語ができていたように思う。

  

 七輪と焚き火での昼食は、食べるのが忙しくてすっかり写真を撮るのを忘れる。陶板による焼きおにぎりや新玉ねぎ焼きが好評だった。焼きそば、焼き芋、ホッケの干物、コーヒー、キュウリ漬け、ジャンボマシュマロ、ホタテ、厚揚げ焼きなどが次々並べられてみんな満腹となる。持参してくれた食材も調理されなかったものも少なくない。

 コロナ禍もあって久しぶりの再会でもあった。それぞれそれなりに元気で過ごしていたのがうれしい。次の機会が待ち遠しいが、月末に全町的なイベントがあるのでそこそこの再会は可能となる。ビオトープにはどんな生き物が来るか、楽しみだ。まずはトンボかなー。アカハライモリ・カエルかもね。

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