山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

生存の根拠を問い直す「火だるま」な生涯

2023-02-15 21:35:04 | 読書

 先月、山田風太郎の『魔群の通過』を読んで、水戸天狗党の実態を知る。戦前、その天狗党を「斬られの仙太」として作品化していたのが三好十郎だった。日本が国際連盟を脱退し、満州国や軍事体制がピークを迎えたころだ。その作品は、戦後、仲代達矢主演の映画(1969年、山本薩夫監督)にもなり、一昨年の2021年、平成生まれの気鋭の演出家・上村聡史が新国立劇場で上演するなど、それは三好十郎の代表作とも言われた。そこで、三好十郎とはどういう人物なのかを知りたくなり、片島紀男『悲しい火だるま、評伝・三好十郎』(NHK出版、2003.6)を読む。

           

 十郎は、事実上親に捨てられ、貧困と孤独に追い詰められ、自殺未遂・飢餓など辛酸をなめる。そこから、左派の階級闘争へとはけ口を向けたが、その指導者への違和感が十郎を襲う。「斬られの仙太」は、闘病中の妻の看病の中から生まれていく。

 1934年、築地小劇場で初演された舞台では、滝沢修主演に松本克平・嵯峨善兵・宇野重吉・東野英治郎など錚々たる顔ぶれがそろう。しかし、獄中から出てまもなくの気鋭の村山知義はそれを批判するなどして波紋が劇団や組織の分裂にまで及ぶこととなる。

         

 その作品は戦前に書かれたものの現代にも十分通用する普遍性がある世界でもある。十郎の怒りは、「上に立ってワアワア言ってやる人間は当てにゃならねえものよ。…ドタン場になれば、食うや食わずでやっている下々の人間のことあ忘れてしまうがオチだ。」と、仙太に語らせている。本書は、600頁に迫る大部な評論だが、できるだけ十郎のナマの表現を引用してるような気配がある。しかし、読み手としてはもう少し直截に短く表現してもいいのではという愚痴も湧いてくる。

    

 とはいえ、地獄を知った人間だからこそ言える叫びが作品にはある。「<現実の歯車>を見た者にこそ、他人の歯車、社会全体の歯車の真の姿は見えて来る」という叫びは、そのまま戦後の赤貧の暮らしに人生を見てしまったオイラには痛いほど突き刺さる。

 文芸評論家の奥野健男氏は三好十郎を絶賛する。「戦後初期の新劇の不振の約十年間の中で、真にあふれるような、火山の噴火のような仕事で、新劇というジャンルを、いや劇作家の光栄と責任を負ったのは三好十郎だけと言ってよい。三好十郎は日本の戦後新劇をひとりで負っていたのだ」と。

           

 1951年、新橋演舞場で三好十郎作「炎の人・ゴッホ小伝」が上演された。滝沢修・清水將夫・細川ちか子・宇野重吉・小夜福子・多々良純・北林谷栄・奈良岡朋子・芦田伸介など劇団民芸総力を挙げたキャストだけに、新劇史上空前の記録の約10万人の観客を集める。

 エピローグに宇野重吉が詩を朗読する。「あなたの絵は今われわれの中にある。/ 貧乏と病気と、世の冷遇と孤独とから /  あなたが命をかけて、もぎとって / われわれの所に持って来てくれた / あなたの絵は、われわれの中にある。/ … 貧しい貧しい心のヴィンセントよ!  /  同じ貧しい心の日本人が今 / 小さな花束をあなたにささげて / 人間にして英雄 / 炎の人、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに / 拍手をおくる !  」

         

 「ゴッホの炎のすさまじさは同時にこの天才がどんなに苦しんだか」の証左でもある。「炎の人」ゴッホは、三好十郎その人自身でもあった。十郎の作品そのものが命がけだった。だから、十郎の提起した作品はいまだ現代を問うている。吉本隆明は、「三好十郎には文学的な営みがすべて、生存の根拠を問い直す死活問題だった」と評し、その生涯は「悲しい火だるま」みたいだとたとえた。表題の意味がやっと首肯できた。

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