むかし、古本屋で買っておいた本が書架の奥から出てきた。かなり黄ばんで表紙も崩れそうになっていた。早く読まなくっちゃ。著者は民俗学研究者の江馬三枝子だった。この名前に心当たりがあった。市井の隠居が課題図書として指定されたのが、実際にあった飛騨の農民一揆を題材とした江馬修の『山の民』だった(2017.9.8 blog)。
彼の妻が江馬三枝子で彼女は、『飛騨の女たち』(三國書房、1942.12)が近代になってもなお変わらない過酷な暮しであることをたんたんと描いている。明治末年に同地を訪れた柳田国男が「前書き」に当たる「著者に贈る言葉」で賛辞を送っている。初版の昭和17年は真珠湾攻撃を始めた翌年の戦時体制下だった。
読み終わるころ背表紙が取れてしまったが、その裏うちに使った紙には大正ロマンを彷彿とするスズランだろうか、花の図案が施されていた。戦時下でこうした地味な内容を出版すること自体が闘いだったに違いない。出版社もその精神を応援しながら裏うちの紙に自由の精神を秘かに込めたようにも思える。配給先も「日本出版配給株式会社」である。
出版社の三國書房の「女性叢書シリーズ」では、民俗学者の大御所柳田国男や女性民俗学の草分けの瀬川清子・能田多代子の名前が出てくる。社会主義者山川均の妻・山川菊栄も女性解放運動の草分け。オイラも注目していた路上観察などの現象学の今和次郎などの出版予告が出ているが、発刊されたかどうかはわからない。治安維持法に抵触しないようギリギリの配慮をしたシリーズであるのが伝わってくる。
あとがきに当たる「農村婦人を擁護せよ」で作者の提起は、戦時下でも怒りを抑えられないほどの情念あふれるものだった。「農村の女房たちは、忙がしい台所の主婦であり、子供たちの母親であると同時に、一人前の百姓でもあって、男たちと一緒に烈しい労働をしなければならない。
ここに一番大きな無理があるのであって、過労からくる疾病、栄養障害、ひいては幼児の病弱と夭死なぞ、ここに大きな原因を持っていると言える。そしてこの無理が何とかして除去され、解決されない限りは、本当に農村婦人の生活が改善されたと言って威張ることができないと思う」と。
このような苦言には、女性たちの労働・家族形態・婚姻関係など飛騨の女性たちの克明な調査・聞き取りに裏打ちされたものだった。それは事柄の大小はあれ、現代にも相通ずる水脈が流れているのは言うまでもない。