山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

幕末・維新を疾駆したイギリス人

2018-06-23 07:41:35 | 読書

 以前、春野町の辺境・越木平地区を散策したとき、1881年(明治14年)にイギリスの通訳・外交官アーネストサトウが歩いたことを知った。そのことからBM・アレン『アーネスト・サトウ伝』(平凡社、庄田元男訳、1999.2.)を読む。

 

            

 名前からしてハーフなのかなと思ったが、スラブ系の名前だそうだ。19歳に念願の日本にやってきて日本語を猛勉強、崩し字や古文書も読めるくらいの日本通となる。幕末から維新の激動期に西郷や伊藤などの志士とも交流し、日本とイギリスをつなげる役割を果たす。生麦事件もあり刺殺されそうにもなりながら日本各地の山や名所も精力的に旅行する。

 

       (画像は横浜開港資料館から)

 1871年(明治4年)ごろ、日本人女性と事実婚し、その次男は植物学者として名高い武田久吉、彼は日本山岳会の創立メンバーでもある。サトウは秋葉神社の帰りに、久保田ー気田ー越木平ー篠原ー行師平を経て、川根・千頭寸又峡へと行く。越木集落では養蚕と茶農家をやっている「伊三郎」という裕福な家に泊る。今でも奥まった集落だが当時は2軒しかなかったという。

 

       

 彼が残した『日本旅行日記』(平凡社)には、富士山・南アルプス・日光・箱根・八丈島・伊勢・京都などを歩いた詳細なエッセイが残っている。当時の日本人には初めて外国人を見ることもおおかったようだが、サトウの好奇心豊かなパイオニア精神に驚く。古墳にも興味があったらしく詳細な調査も行っている。

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