山陽道の北側をJR吉備線が走っている。明治37年(1904)11月5日中国鉄道(現在の中鉄バス)・吉備線の開通に伴い吉備津駅(※岡山市のホームページでは真金駅の呼称を用いている)が開業した。明治中期から後期にかけて物流の要は船から鉄道へ取って代った。
無人の吉備津駅の改札を入って左手に「明治天皇御駐車跡」の碑が建っている。山陽道側からは文字を読むことはできない。吉備線の車窓から撮影した写真(ピンボケで申し訳ない)を参考までに載せておく。
明治天皇の来岡は明治43年(1910)11月。駅構内には「攝政宮殿下御駐車跡」の碑もあるらしい(未確認)。話が脱線するが、吉備津駅の後方の山(駅の北西)には「千日墓地」と日蓮宗・真城寺(吉備津425‐2)があり、大阪の繁華街の原点を思い起こさずにはいられない。
明治40年創業の林瓦(吉備津545)の少し先が真金一里塚があった場所である。山陽道を更に東へ進むと交通量の多い国道180号と合流する。
無人の吉備津駅の改札を入って左手に「明治天皇御駐車跡」の碑が建っている。山陽道側からは文字を読むことはできない。吉備線の車窓から撮影した写真(ピンボケで申し訳ない)を参考までに載せておく。
明治天皇の来岡は明治43年(1910)11月。駅構内には「攝政宮殿下御駐車跡」の碑もあるらしい(未確認)。話が脱線するが、吉備津駅の後方の山(駅の北西)には「千日墓地」と日蓮宗・真城寺(吉備津425‐2)があり、大阪の繁華街の原点を思い起こさずにはいられない。
明治40年創業の林瓦(吉備津545)の少し先が真金一里塚があった場所である。山陽道を更に東へ進むと交通量の多い国道180号と合流する。