自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

死生観の転換

2013年03月07日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

実生活への影響  平成25年3月7日

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死後体験をしてきた人は、自分の不可思議な、でも、現実性のある、

疑似死の話を、だれにも語りたくはないが、 深い体験として

受け止め、生還してからの生活(精神生活)を変えることもあるようだ。


以下はその体験記の一つである。

” あの体験以来、自分が過去にやってきたことは、何だったのだろう? 

 この先、どうやって、生きていこうかと常に考えています。 

    

これまでの自分の人生に私は満足しています。 

 私はこの世のためになることを何一つしていない、と思っています。

なぜなら、自分のやりたいことを、自分の流儀でやってきた。 

 でも、私はまだ生きているから、もっと何かをできるわけです。 

     

しかし、死を体験した直後から、突然、今までいろいろな

ことをやってきたけれど  ’それが良いことだから’、か

それとも、’自分の望みにかなうから’やったのか?と考え込むように

なりました。

  

以前は衝動的に振る舞っていましたが、今では頭の中でじっくり考えます。

  ・・・略・・・

私は、今、気持ちと魂がより満足できることをしようと努めています。

偏見にとらわれないよう、他人を批判しないよう努めています

  

自分にとって、好ましいからではなく、それ自体が好ましいことを

したいと思っています。”


死後の体験をして、精神生活に目覚めたという人もいる。

”以前、私は 精神より肉体の方 が興味ありました。 

 肉体のことを気にかけ、心に生じることは生じるにまかせて、

気にかけませんでした。 

  

 でも、あの体験以来、精神が最大の関心事になり、肉体は、

2番目になりました。 

    

肉体は単なる、精神の入れ物に過ぎなくなったのです。 

 肉体があっても、無くても、どうでもいいのです。 

 精神こそ、最も重要だから、そんなことは問題ではなくなったのです。”


ここでいう、肉体があっても無くてもいい というのは、特に肉体を

粗末に扱うという意味では無いと思う。

死の体験、その後の意識の観た、自分の物理的肉体。

そして、その時、動いていたのは、自分という意識、つまり、

精神だったことを体験して、この人は、肉体が、精神の入れ物である

ということと、肉体の死後に残るのは、精神である ということに

気が付いたのだろう。


ムーア博士のまとめによると、

~すべての人が、他人に対する、一種独特の深みある愛情を培う

努力が、人生において大切であること。

~生命の光が現れて、自分の全生涯のパノラマを見せられ、

”あなたは他人を愛せたか?”と尋ねられた。

~般若の智慧(人間知を超えた、真理の智慧)の習得は、

死後も続行される。

~新しい目標と道徳律を体得して、それに合致した人生を

送ることを決意した。

 

とあり、死後の体験は、体験者を、”特別な浄化や聖人に近づいた”

という傲慢な気持ちと反対に、”もっと、学ぶべきことがあるし、

真理の智慧の探究を続けていこう”という謙虚な気持ちにさせたと

報告している。


これらの報告は、生きる事 に対する心境の変化を物語っているが、

当然、死 に対する捉え方にも影響を与えているはずだ。

死んだら、すべて消滅してしまうと信じていた人にとっても、その、

死後からの生還の体験は大きな物理的死への考え方の転換を

もたらしている。


次の体験記は少年のころから死への恐怖感があったとい

う体験者の話だ。

”少年のころ、私は死を恐れていた。 夜中に泣き叫び、

発作を起こして良く目を覚ました。

 ・・・・略・・・・

母が死んでから 何年もたってから、私は妻と死について、

よく話し合った。

私は依然として、死を恐れていたし、死が訪れないようと願っていた。

しかし、あの体験いらい、私は死を恐れなくなった。 

そんな気持ちがすっかり消えた。

 

葬式に出ても、(亡くなった人を)気の毒だと思わない。 

私は、亡くなった方のため、むしろ、喜ばしい気がする。 

死者が体験する世界を、私はわかっているからだ。”

 

多くの体験者にとって、死 は喜ばしいものであり、かといって、

自殺をすることは、許されないことも承知している。 


生きている ことは、それなりの意味がある からであり、

”私は生きている間にまだ、多くの面で変わらなければならないことがある” 

と気が付いているからだ。


多くの体験者は、死を 再出発だととらえ、高度な意識への

再生の扉にたつことだという。

或いは、死後の世界の入り口で、すでに故人となった家族や親類縁者

に迎えられて、”帰宅”するような感じと言った人もいる。


さらに 精神を押さえつける獄舎からの脱出と、捉える人もいた。

例1)

死から逃れたいから、死と言う言葉を避けている人がいる。

あのような体験をすれば、死 など、存在しないことが誰にも

わかるはずなのに。

それは、一つの段階を卒業して、べつのものへ移るだけのこと。

高校から大学へ進むようなものだ。


例2)

生きていることは、拘禁されているようなものだ。

生きている間は 肉体が精神の獄舎であることは理解できないだろう。

死 は素晴らしい解放だ。 獄舎からの脱走といえるだろう。

この説明が私には、一番ぴったりくる。

 

報告書には天国も地獄も、天使も、鬼もいない。

懲罰や報酬 という来世に待つ 裁判 のようなものもない。

体験者たちに共通していえることは、古い観念とひきかえに、

新しい観念と理解をもって、この世に戻ってくるといえそうだ。


いいかえれば ”自己成就という究極の目的”をいかに達成するか

という課題を新たに心に抱iいて蘇生したと言える。 

 

参考:

”かいま見た死後の世界” レイモンド・A・ムーディ・Jr. 

中山 善之訳 評論社 昭和58年


レイモンド博士について: 

バージニア大学、大学院で哲学専攻

1969年 哲学博士号取得、 

3年間 ノースキャロライナ東部の大学で教鞭をとる。

1972年 バージニア医学大学に入学。医学博士号を取得。 

1965年 死後の世界の体験談を聞き、その後、死後の

世界体験者に面接。 特異な分野研究を行い今日に至る。

 

 

 

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