蘇生 平成25年3月5日
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ムーア博士の面接した臨死体験をした患者さんたちは、一度、
死の宣告を受けて、再び生き帰った人たちだ。
その人たちの心情の動きに ムーア博士は注目すると、
共通した感情の波があったという。
”死に続く最初の時点におけるもっとも、一般的な感情は、
物理的肉体に戻りたいという必死の願いだ。
自分が死んだことに対する強烈は後悔。
しかし、死後の世界に踏み込んだ人が、いったん、或る深さ
まで達すると、現世に戻りたいという気持ちは消え去り、
物理的肉体の中に戻ることに抵抗すら、感じる場合がある。
死後の世界に深く踏み込み、生命の光に出会った人は、
特にそうした、傾向が強い。”
生命の光とは、前述された体験記に詳細が書かれているが、
私たちの魂の故郷、愛の大元、赦しと許容、やさしさと癒しを
与えてくれる 個性ある、光 である。
いくつかの体験例を挙げる
例1)
”医者はすでに、私の死を認めていましたが、私は死後の世界で
生きていたのです。
あの世界での体験はとても素晴らしいものでした。
嫌な感じはしませんでした。
生き帰ったとき私は、目を開いて、姉と夫が私を見ているのに
気が付きました。
二人はぼーっとしていて、その眼には、涙があふれていました。
あの時以来、人間には、死者を呼びもどす、力が備わっている、
と 私は信じています。”
例2)
”自分が肉体に戻るところは覚えていません。
意識が薄れ 眠ってしまったようです。
突然目を醒ましたときは、戻っていて、ベッドに横たわっていました。”
例3)
” 天井のところで、あの人たちが 自分の肉体に手を施している
のを見つめていました。
彼らが私の胸にショックを与え、私の体が飛び上がった途端、
私は、自分の体に向かって真っ直ぐに落ちていきました。
まるで、重い荷物のように。”
例4)
”みんなで私の体を持ちあげ、運転席のハンドルの下から
運び出すのを見ていたとき、風を切る、ビューンというような
音がして、通風管のようなある限られた空間の中を引っ張られ
ているような感じがしました。
その中は真っ暗で、私はそこを素早く通り抜け、自分の肉体
に戻りました。
吸い込まれるようにして肉体に戻るとき、頭の中に入って
いったようです。”
この例にみられるように、”出ていくときは足のほうから、入るときは
頭からはいっていた”と具体的に語る体験者の話は、興味深い。
こうして、生の生還を果たすのだが、この種の体験者は、自分が
かかわった体験の真実性や重要性に、いかなる疑いを持って
いないとムーア博士は語る。
想像、あるいは、幻影だと思う人もいるだろう。
ある体験者はそういう意見にこう反論する。
” 物理的肉体を抜け出ているとき、自分の身の上に
起こっていることに本当に驚きました。
私には、どうにも、理解できませんでした。
でも、現実だったのです。
私は 自分の物理的肉体を 離れた場所から、非常にはっきり
と見ました。
あの時の私には何か事を構えたり、でっち上げようなどと
いう気分ではありませんでした。
想像をたくましくするような気分でもなかったのです。
とてもそのような、精神状態ではありませんでした。”
幻想・幻覚だという言葉で片付けようとする人もいる。
それに対しては
” それは 幻覚などではありません。
以前に一度 幻覚を見たことがあります。
病院でコデインを投与されたときのことです。
でも、幻覚をみたのは、あの事故で死ぬ以前でした。
今回の体験は、幻覚とは似ても似つかぬものでした。”
ムーア博士も、実際 面接して
”彼らは、機能的にも精神的にも良くバランスがとれている。
しかも、夢見るような調子でなく、自分の身の上に起こった
現実の出来事として、自分の体験を話していることが判る”
と述べている。
しかし、このような体験の話は、一般的に、精神的に
不安定な人間だと 結論づけられてしまいがちなことも、
体験者はわかっている。
そのため、この話題に関しては、沈黙を守り、よき理解者と
思われる限られた縁者や知り合いだけに、打ち明けることが
あるくらいで普段は沈黙を保っている。
実際体験者の一人は、一連の死の世界の共通項を体験して、
覚醒したとき、看護婦に話そうとしたという。
ところが、看護婦の”そんなお話しはやめなさい。ただの空想に
過ぎません” という返答で、言葉を詰まらせたと語る。
ムーア博士が調べたところによると、数多い臨床例の中で、
たった一つだけ、医師の理解が得られたケースがあった。
例5)
” 両親と私は、私の身の上に起こったことについて、
医者に尋ねてみました。
すると医者は、重症を負うと、そのようなことが起こります。
魂が肉体から離れるのです、と言いました。”
しかし、こういう理解を示す医師は確率はまことに低い。
多くは、精神不安定の幻覚 で片付けられるのかもしれない。
(3月8日のブログ”唯脳論者”参照)
ムーア博士が医療現場から、この臨死体験をとりあげて発表した
ことで救われたと語る体験者がいる。
例6)
” 他の人たちと私と同じ体験をしているとは、興味深いです。
私は知りませんでした。
間違いなくあの体験をした人が他にもいるということがわかって、
本当にうれしい。
自分が気ちがいでないことが、はっきりしたのですから。”
この社会が、科学的でないという理由で、こういう事象を
偶然の幻覚の一致とみることは否めない。
話してもわかってもらえないどころか、奇異な眼で見られたり、
一笑に付されたりされるぐらいなら、
心の奥底にしまっておこうと決意することは、
ごく当たり前のことなのだ。
ほんとうに、それらが幻覚であるのかどうか?
後日(3月8日以降)、引き続き、ブログでそのことを考えていきたい。
続く~
引用箇所:
”かいま見た死後の世界” レイモンド・A・ムーディ・Jr.
中山 善之訳 評論社 昭和58年
レイモンド博士について:
バージニア大学、大学院で哲学専攻
1969年 哲学博士号取得、 3年間 ノースキャロライナ
東部の大学で教鞭をとる。
1972年 バージニア医学大学に入学。
医学博士号を取得。
1965年 死後の世界の体験談を聞き、その後、
死後の世界体験者に面接。
特異な分野研究を行い今日に至る。