自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

サーマヴェーダと波動

2013年03月27日 | 自然治癒力とヴェーダ哲学の関係

インド古典音楽の直観直覚  平成25年3月27日

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Saraswati sits on the bank of a river,
 holds a book and beads, and plays music 
on Veena,

 

直観・直覚 とは何か?

それは 心が 無心になったとき、その静けさの中に 自然に顕れる

魂の声だ。


人の心は、マナス といわれる、情感に揺れ動く心の性質のために、

動揺することが多い。

動揺は、ある意味、この直観の経路への妨害波動になる。

心は、さまざまな波動を通す、一種の精妙な生体のラジオ装置にも 

似ている。

電波の周波数があったものをキャッチするように、心も、

その時の想念の波動によって、受け取る質が違うということになる。

 

 

私たちは、日常生活の中で、波となって、押し寄せる、想念波動

への意識は コントロールしやすい。

一方、異次元の想念波動や、宇宙規模の想念波動に対して、

あまり、意識も薄く 無防備になりがち かもしれない。

しかし、インドの聖者が言うように、宇宙にはあらゆる想念が 

時間と空間を越えて振動しているのだ。

生きている人のみならず、死んだ人の想念も 空間の中に、

行きかっていることは、飯田教授の体験(ブログ:H.25/3月13~20日参照)

容易に伺える。


そうした種々様々な波動の中に、神とつながる波動も 

実在している。

否、真理の波動のみが 実際は実存しているのだが、

空間と時間の中で屈折して、そうした雑念と渾然一体に

なってしまっているのかもしれない。

 

ヨギたちは、テレビが発明される以前から、

直観に従い、心を澄ませることにより、他者の考えや状況を瞬時に

自分の心に映し出してきた。

その直観・直覚こそ、神につながる 波動の道への切符だからこそ、

その研ぎ澄まされた能力を、ヨガ の修行で身につけていった。

 

 

自分は 15年間のインド生活で、古典音楽を通して、こうした、

神と直観的に結ばれる 波動 に ひきつけられてきた。

インド古典音楽は、ヴェーダの時代に残された、

サーマヴェーダの世界最古といわれる、音楽理論が 基盤にある。

 

サラスワティ女神は、智慧の女神であり、ヴィ―ナの奏者。

この女神は、日本に伝わり、後世、弁天様となり、琵琶を手にもつ、

仏教の女神となった。

クリシュナ神は フルートを片手に持ち、その音色で、マーヤー

幻想の世界)に溺れる人たちの心を救い出そうとした。

 

シヴァ神は、リズムを生み出し、そのリズムは宇宙のダンスとして、

創造の前の破壊、古いものへの打開という役目を果たして

いるという。

こうした、インドの神話から、わかるように、神々と音楽とは、

重要な関連をもっている。

ヴェーダの音楽理論は、その、神々の音楽に、人間の五感と能力が

少しでも近づくことができるように、外枠を 整える 役目を

果たした。

 

少し、専門的になるが、そのヴェーダにはすでに、下記の決まりごと

が記されている。

インド古典音楽は6つの基本的な旋律のグループ(ラーガ)について。

それぞれ、四季に合わせて、さらに、演奏される時間帯も 細かく、

決められている。

ラーガの基本的な旋律は、100以上の旋律に分かれている。

その分け方は、宇宙の太陽と月が大気に及ぼす影響、大自然の

季節の波動、に合わせての 決められている。

 

大学院の パフォーマンス(試験)でも、その試験の時間帯に

合わせて ラーガは 慎重に 選ばなければならなかった。

時として、試験の予定が伸びたとき、用意していた時間帯の

ラーガが、その時間帯と合わないこともある。

そのため、それに合ったラーガの、選択肢がなければ、

それだけでも大きな 減点となった。

 

インド古典音楽では、西洋音階の ドレミソラシド 

の7音以外に、それぞれの音階の間に微妙な 半音より

小さい音が いくつか存在する。

それを シュルティ と呼び、これは、1オクターブに 

22個 存在した。

ラーガによって 微妙にシュルティを引き出すことができる

演奏家が、達人とされた。

 

リズムも重要な要素だ。

シヴァ神の 生み出す そのリズムは、16拍子、10拍子、

12拍子など、多々存在した。

自分は 数種類のリズムしか、演奏ができない、

新参者だったが、 理論上では120種類の ターラといわれる、

拍子の取り方があるといわれる。

  

サーマヴェーダ の聖典には、インド音楽が、もともと、神に

ささげる 音楽から出発したことが明記されている。

現代でも、古典音楽演奏家は、その音楽を 魂で弾く という

ことを、徹底して教わる。 

西洋のオーケストラ音楽とは対照的に、インド古典音楽は、

個人の音楽に終始する。

主観的であるからこそ、表現が豊かで 、自分自身が 

その音楽の粋(すい)に没頭してこそ、醍醐味が、聴衆に

伝わると、教えられた。 

テクニックも大切だが、まず、演奏する人が心から 直覚直観を

研ぎ澄ませ、自ら、その境地を楽しむことが必要だと、師から

何度か注意された。

筆者のグルのお父様 ヴィラヤット・カーン師は、演奏会で 

聴衆に向かって、こうおっしゃった。

“私の音楽は、皆様、眼をつぶってお聞きください。

魂で聞いてほしいからです。“

 

インド古典音楽の演奏に待ったなしだ。  

というのも、基本旋律以外には 楽譜は 存在しない。 

あえて言えば、ジャズのように、ほとんどが、即興だ。 

ラブ という静かなリズムのない 最初のパートは、そのラーガ

の真髄を、聞いている人たちに届ける。

ここでは全く、楽譜はない。

同じ奏者でも 全く同じには、二度と弾けないだろう。

アラブは、その ラーガのエッセンスを表現する。

最初のフレーズを聞いただけで、聴衆は、何のラーガか聞き分ける。

 

そこには、22個ある シュルティの微妙な使い方なども、

吟味されている。

アラブの次に、ガッツといわれる、旋律部分に移行し、テンポと

リズムが加わる。

ここで初めて、タブラ(インドの太鼓)奏者が登場する。

さまざまな、即興曲がここで披露される。

勿論、タブラの拍子と、合体して、隙間が無いくらいに、見事

に重なると、ますます、その演奏の魅力が増して、聴衆は

ひきつけられていく。

 

最後に ジャラ という 特殊な装飾的なひき方に変わって、

クライマックスを迎え 曲の終了となる。

(以上、シタールリサイタルの場合)

直観の音選びとテンポの連続が、インド古典音楽の 絶妙な

面白さかもしれない。

波動の選び方、テンポの創り方、すべて、主観的な美的感覚は

奏者にゆだねられる。

 

このような インド古典音楽波動に 文字通り、毎日 浸り

ながら15年のインド生活を送った。

そして、神への波動 という言葉は、抽象論で観念的ではない

ことを、インド古典音楽を通じて、体感したような気がしている。                 


Murti of Saraswati for puja in Kolkata
Devanagariसरस्वती
Sanskrit TransliterationSaraswatī
AffiliationDevi (Tridevi)
AbodeBrahmapura
MantraOm Aim Sarasvatyai Svāhā
ConsortBrahma
Mountswan, Hansa Bird, and often peacock

以上表はWikipediaより

 

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